(第二部 約19,600文字)


悠久の大地/中国横断ひとり旅




第二部 南京から鳥魯木斉ウルムチそして北京へ

(第一部より続く)


 4月29日(日) 曇りのち雨
 7時前に起き,8時に上のレストランで朝食(6元).今日は西安へ中国東方航空の飛行機で飛ぶ日だ.出発時刻は15:35であるので,部屋で今後の計画を練る.11時まで部屋にいたが,退屈なのでやはり市内を少し歩いてみることにする.早速チェックアウトし,荷物をフロントに預ける.O番のバに乗り中華門で下車.見学後,玄武湖へ行こうと思い立ち,A番のバスに乗車.バスを降りてしばらくうろついていたが,時計を見ると12時15分.1時ぐらいまでにはホテルへ戻らなければならない.見学は諦め,北京東路を中山路まで歩き,勝利飯店まで歩いて帰る.早足で歩いて約45分.地図ではすぐ近くにあるのだが,歩くと予想以上に時間がかかる.中国の街は全体に大きく拡がっており,地図の縮尺も異なるのだろうか?中国の面積は日本の国土の実に26倍もあることを考えれば,無理からぬ事ではある.
 ホテル前にいたタクシーをつかまえ南京空港へ行く.タクシーの運ちゃんは帰国すると思ったのか,国際線ターミナルに車をつけた.すぐに国内線迄送ってもらう(50元).南京空港にしては少々狭い待合室で待つこと30分余り,14:00一斉に係官達が持ち場に就く.どうやら搭乗手続きが始まるようだ.ところが今までおとなしく待っていた乗客達が突然豹変!人を押しのけ我先にと一目散にどっとカウンターに押し寄せ,大混雑となってしまった.散々苦労してチェックインを済ませば,次はボディチェック.飛行機は全て指定席であるので,そんなに慌てても仕方がないことが,彼らには分からないのだろうか?係官が懸命に阻止しようとするが,まるで暴動のような,どうにも収拾のつかない状況に陥ってしまった.搭乗口がミシミシと音を立て壊れそうになり,手続きは一時中断.既に運良く手続きを済ませた者も全員待合室に戻される.乗客と係官との間に,一瞬重ぐるしい緊張の空気が漂い,しばし睨み合いが続く.台湾観光団のリーダーらしき人が,係官にしきりと抗議している.こんな状態が続いたら,離陸の時間に間に合わなくなるのではないかと心配になってきた.
 30分ぐらい経過しただろうか.しばらくして係官が乗客達に何やら話をしてから,再び手続きが始まった.今度は順番に並び(ほとんど列にはなっていないが)何とかスムースに事が運んだ.このような事態は毎度おなじみのことなのだろうか?出発の2〜3時間前から随時手続きを行えば,何も問題は起こらないはずなのに,どうしてそうしないのだろうか?ウ〜ムどうも分からないなぁ〜・・・
 さて,定刻よりやや遅れて4時頃,ソ連製と思える旧式のプロペラ機(大きさはYS-11よりだいぶ小さい)は無事離陸.右の窓際の席に座り,中国の風景を楽しんでいると徐々に高度を下げ始めた.機は町並みのレンガ造りの建物がはっきり見えるまでに下降.外は雨が降っている.はて?西安到着にはまだ早いし,一体どうしたのだろう?と不思議に思っていると,とある飛行場に着陸してしまった.どうやらこの機は西安直行便ではなかったらしい.しばらく機内で待つが,なかなか離陸しようとしない.やっとパイロット達が参上,プロペラが廻り始めエンジン全開,今まさに動き出そうとしたその瞬間,突然エンジン音が変わり,ついにエンジン停止.しばらくして全員降ろされてしまった.
 雨の中,滑走路を空港待合室まで歩いて行く.そうこうしている内に,空港内の食堂で夕食となった.どうやら航空会社の奢りらしい.みんなで丸テーブルを囲み,ワイワイ騒ぎながら食べ始める.どうやら飛行機が遅れていることを気に懸けている人は,私を除いて一人もいないようだ.むしろこの事態を楽しんでいるように見受ける.時間に縛られた生活をしている,日本の企業戦士達に見せてやりたいものだ.中国大陸では時間の流れが日本とは違うのかも知れない.
 さて,食堂の場面.私の隣に座った岡八郎によく似た人が,これは旨いか?あれも食えと言って,どんどん私の皿に盛りつけてくれる.中国では遠慮は全く不要.どれもこれも「美味い!美味い!」と連発して食ってたらパンパンに腹がふくれ上がってしまった.
 どうやらこの地で一泊することになったらしい.食後,空港前の招待所(旅館)へ,乗客皆そろって連れて行かれる.宿帳記入に私がパスポートを見せると,フロント係は怪訝な顔をして私をしげしげと見つめ,そのまま待つようにと言う.しばらくして空港の係員がすっ飛んで来た.どうやらこの私を今まで中国人だと思っていたらしい.風体からして無理からぬ事ではあろうが,それにしても・・・
 その係員は私を飛行機まで連れていき,手荷物を降ろさせ,空港前に待機していたリムジン(バンのこと)へ,訳の分からないまま乗せる.車内には既に外国人数人が乗っていた.シンガポールから来た西欧系男女2人と東洋系青年男女2人の4人組,背の高い初老の米国人の他計8人である.バンは市街地へ向かって行った.とあるりっぱな超デラックスホテル前に止まった.どうやらここが我々の今夜の宿らしい.『お〜!これはラッキー!』と私は内心ほくそ笑む.フロントで部屋割りをして,私はシンガポールから来た東洋人の青年と一緒に泊まることになった.なお,シングルだと追加料金が必要となるみたいだ.
 部屋に荷物を置いてしばらく休息.退屈なのでロビーまで降りていくことにしよう.ロビーをうろつき探検していると,バーを見つけたので入ってみる.カウンターに席をとりビールとピーナッツを注文.早速,ウェイターにいろいろ質問してみる.まずはこの町のことから聞いてみよう.
 ここは河南省の省都鄭州(ていしゅう)という町で,近くにかの有名な少林寺があるという.そしてこのホテルは河南国際飯店(INTERNATIONAL HOTEL HENAN)といい,この町きっての一流ホテルだそうだ.いろいろ話をしている内に,日本へ行ったことがある従業員がいるので,ちょっと呼んでくるという.呼ばれた青年は,少林寺の関係で2年間,香川県で滞在したことがあるらしい.香川に日本の少林寺総本山があるらしい.私がその隣の徳島から来たと言うと,彼は「徳島もよく知っている,日和佐も行ったよ」と言う.あれこれ話をしていると,彼は呼び出しを受け立ち去った.
 棚に日本酒の一升瓶があるのを見つけ,即,熱燗を注文.ややぬるかったが久々の酒に舌鼓を打つ.そうこうしているうちに私の背後から声が掛かった.振り返るとテーブル席に,あの初老の米国人とシンガポールの東洋系女性がいる.いっしょのテーブルに座ってビールを飲む.この米国人は半導体関係のビジネスで中国に来ているのだそうだ.日本にも3回行ったことがあるという.しばらく話をした後,支払い(17元とは安い!)を済まし11時に部屋へ戻る.既にシンガポールの青年は寝ていた.
 
 4月30日(月) 雨後曇り(西安:雨)
 8時に再び空港へ送迎.かの米国人は飛行機は当てにならないので,朝早く列車で西安へ旅立ったらしい.空港の別室の食堂で朝食後,手荷物検査を済まして再び機へ.小雨降る中,滑走路を歩いて向かう.自分で運んできた荷物を,飛行機の貨物室へ自分で放り込む.これこそ本当のセルフサービスだ.
 さて,シートベルトをしてエンジン全開.やれやれ,これでやっと西安へ行ける,と安堵したのも束の間,突然プロペラ停止.またまた飛行中止だ.もう,ウンザリしてくる.再び待合所へ引き返す.今日は少々肌寒い.昨日食事の時に食べ物をすすめてくれた中国人やらシンガポール人と筆談を交え話をする.これで十分に話が通じるのだ.そうこうしているうちに11:40に昼食となった.空港レストランで昼食後,1時頃待合室へ.何時間か待たされた後,やっと搭乗が始まった.
 今日こそ飛び立てるのだろうか?雨は今朝よりひどくなっているのが心配だ.プロペラが回り始めた.パイロットはしばらくエンジンの調子を見ているようだ.なお,この飛行機は操縦席が客席から丸見えなので,パイロットの動きが逐一分かる.ちょうどバスの運転席と同じだと思って頂ければよろしい.機体を揺るがす振動だけが伝わるが動き出す気配はない.機内はシンと静まりかえっている.皆の思いは同じなのだろう.エンジンの回転が上がる度に,お尻がフワッと持ち上がる感じがした.おっと,少し動き始めたようだ.この時歓声が湧き起こり,大きな拍手が飛び交った.その勢いある雰囲気に呑み込まれ,私も思わずいっしょに拍手をし,隣の人と互いに手を握り合ったものだ.乗客全員が正に一心同体と化した瞬間であった.それにしても南京空港でのあの大騒乱は一体何だったのか?
 以降,順調な飛行を続け,約1時間のフライトの後,5時に西安空港に無事到着.西安は小雨だった.タクシーを拾い,ホテル人民大厦へ(180元).ホテル内の旅行会社で,明日の市内観光ツアーと吐魯蕃への寝台列車の切符(5/2)を手配しておく.列車の切符は明日の朝8時に取りに来るようとのこと.
 
 5月1日(火) 晴
 6時ごろ起きる.朝食を食べようとレストランを探すが見つからない.このホテルには案内書とか案内図がないので,さっぱり分からない.ベルボーイに聞くと4階の西の端にあるという.無事朝食を済ませる.
 昨日,市内観光を予約しておいたので,9時にロビーで待っていたが誰も来ない.9:20に本館の窓口へ行ってみる.9:40ツアーのマイクロバスがやっと出発,外国人ばかり計5人(一人50元).秦始皇兵馬俑坑博物館→華清池→半坡博物館の順に回る.
 4時にホテルへ戻る.電話がかかり列車の切符を受け取りに行く.最初に聞いていた運賃よりえらく安いなと思ったが,そのまま受け取る.その後下見を兼ねて西安駅まで歩いて行く.片道およそ30分.駅前の写真を撮ってから,一応待合室まで入る.そこで列車の切符を取り出してよく見ると,何と軟臥(一等寝台)ではなく硬臥(普通寝台)の切符であることに気付く.一等寝台を頼んでいたのに・・・道理で安いはずだ.一瞬戸惑うが,まあ,硬臥に乗ってみるのもよかろう,と思い気を取り直す.
 (西安→酒泉:169元)
 19:30頃ホテルのレストランへ夕食を食べに行く.その後,洗濯をして風呂に入る.ここで中国のガイドブックは不要と思い捨てる.以降シルクロード方面は別の専用ガイドブックを持参していたからだ.あれやこれやして寝たのは11時頃.
 
 5月2日(水) 雨
 5時前に目覚めるが,起きたのは6時半.8時前に朝食を食べる.チェックアウト後,荷物をクロークに預け,10時頃市内見学へ出発.今日も小雨がぱらつき寒い.まずタクシーで大雁塔へ(20元).たいそうではあるが来た以上一応,塔の最上部まで登らなくてはならない.てっぺんから景色を楽しんだ後,大雁塔前で軽四タクシーを拾い小雁塔へ.ゆっくり写真を撮りながら見学.次いで雨の中,歩いて南門の城壁へ行く.入場料を支払い城壁の上まで登る.風が強く雨が横殴りに降る.早々に降りてすぐ近くの?西省(碑林)博物館を目指す.雨も降っていることだし,ここの博物館で夕方まで時間を過ごすつもりで,じっくりと見て回る.それでも時間が余ったので博物館内にある茶店に寄る.ビールとおつまみの豆を注文.愛想の良い店のおばちゃんとしばらく雑談をして時間を過ごす.(12:30〜16:30)
 ホテルに歩いて戻り,レストランで食事.19:05に荷物を受け取り,タクシーで西安駅まで15分(8元).二等待合室は満員で足の踏み場もないほどだ.そこで一等待合室へ.ここはうってかわってガラガラだった.ベンチに腰掛けていると服務員のおばさんが切符をチェックしに来た.私の切符は硬臥(二等)であったが,何も言わずに立ち去った.向こうのベンチに日本人らしき青年がいたが,疲れていたので声はかけなかった.
 第143次列車は定刻(20:54)出発.中国の列車は割と時間に正確である.私の席は三段あるうちの,下段ベッド(下舗という)であった.足元の片隅に荷物を置き,まずはお茶タイム.蓋付のコップを取り出す.これは昨日,この列車の旅に備え,西安駅からの帰りに買っておいた物だ.茶の葉はパック茶を使う.こちらはホテルの部屋に置いてあったパックを,今まで貯めて持っていたものだ.お湯はテーブルに魔法瓶が用意されている.中国では茶は欠かせないものだ.町中でもインスタントコーヒーか何かの空き瓶に茶を入れ,水筒代わりに持っているのをよく見掛ける.お茶を飲んだ後,今夜は早々に寝る.
 
 5月3日(木)
 眼が覚めると辺りの景色はうって変わっていた.列車は黄土平原をまっしぐらに走っていた.車窓から真っ黄色に濁った黄河が見え隠れする.トイレへ行こうと廊下を歩いていると,昨日待合室で見掛けた日本人らしき青年が本を読んでいた.トイレからの帰り何気なくその本を見ると,何と日本の文庫本であった.「日本から来たのですか?」と私は声をかけた.その青年は留学生で,現在天津の大学に在学,名前は田村さんという.私と同じく敦煌へ行くところだ.しばし話をする.彼も昨日待合室で私に気付いたが,日本人かどうか分からなかったので,話かけなかったという.ただ,靴を見ると中国人があまり履いていないような靴だったので,多分日本人だろうと思っていたという.今,私が履いている靴は,先日黄山にて38元で買った“高級品”で,いささか派手気味ではある.
 列車は11時に蘭州駅に停車.ここでディーゼル機関車から蒸気機関車にバトンタッチ.駅のホームに降り,売店で焼きうどんのようなものを朝食代わりに食べる.蘭州を出発後,列車は高度をどんどん上げていくようだ.車窓から見る景色はいつまで見ていても飽きることはない.かなり高度を上げたのか,途中,雪が積もって真冬の様相を呈している峠(2900m)を通過,青河駅に15:30到着,一時停車.列車はSL二重連が煙をモクモクと吐き出し,懸命に引っ張っている.

<高原を走る汽車>

 夜中,寝ていると突然起こされる.タレントの左とん平に似た感じの顔をした,いかめしい制服を着た公安関係らしき役人が,どこから来てどこへ行くのだとか,パスポートを見せろとか言って,しつこく聞かれた.なかなか立ち去ろうとしない.後で聞くと,田村さんのところへも来て,いろいろ尋問されたらしい.
 
 5月4日(金) 晴
 7:10酒泉駅に到着.あたりはまだ薄暗い.まだ夜明け前だ.昨日列車内で知り合った,日本人留学生の田村さんと一緒にバスに乗り(もちろん言うまでもなく超満員!)酒泉のホテルへと向かう.車中でなにか独特の‘におい’を嗅ぐ.この匂いが何であるかは,しばらく分からなかった.それは敦煌でやっと判明することになるのだ.
 酒泉賓館にチェックイン(20元).9:20ホテルを出て嘉峪関行きのバスを探す(1.1元).嘉峪関まで約22km,この町でバスを乗り換えなければならない.町の中心部で下車しようとしたが,先に大勢の人がどっと乗り込んできて降りられなくなった.全くマナーもへちまもあったものでない.仕方なくひとつ先の停留所で,人をかき分け苦労して降りる.嘉峪関砦は乗り合いのミニバス(1元)で行く.嘉峪関を見学後,いったん城壁の外へ出て西側方面へも行ってみる.

<嘉峪関からさらに延びる万里の長城>

 嘉峪関の町へは,外人旅行者のバンに乗せてもらって帰る.到着後,国営の食堂で昼食.我々があまりにも多くの,しかも値段の高い料理ばかり注文したので,周りの中国人達はびっくりした様子だった.たらふく食った後,酒泉行きのバスに乗る.酒泉は砂嵐に見舞われていた.と言っても強い風が吹いているわけではない.日本でいうところの黄砂現象のひどいものと思えばよい.まるで黄色い霧がかかっているみたいで夢の世界に居るみたいだ.この中を町の中心にある鐘鼓楼を見学しに行く.3角支払って楼に登る.なお,この鐘楼の台座の部分には,東西南北にトンネルが通っていて,それぞれの方向に下記の文字が刻まれている.
 東迎華獄 →東は華獄を迎え(華獄:西安の西にある山)
 西達伊吾 →西はハミに達し
 南望祁連 →南は祁連山を望み
 北通砂漠  →北は砂漠に通じる
いったんホテルに戻り,いつものように洗濯してお茶を飲み一服.
 18:50泉湖公園を見学しに行く.この頃になると黄砂も少し和らいできた.公園を一廻りし,帰り道,清真(イスラム風料理)食堂でビールを持ち込み食事.昼にたくさん食べ過ぎたので,あまり食べられなかったのは残念だった.かなり残ったのでビニール袋を2つもらい,料理を持ち帰る.シャワーを浴び,再び部屋で持ち帰った料理をあてに,ビールを飲む.なお,このホテルは共同シャワーのみで風呂はない.
 
 5月5日(土) 晴
 9:50発の敦煌行きのバスに乗る.車中で固くて黄色いパンをかじる.嘉峪関を過ぎ玉門で昼休み(12:20),バスターミナル前の交通食堂で昼食(食事1.4元,ビール1.2元).13:05玉門出発.やや高度が下がり標高1200mの安西着(15:30).15:45出発,17:30空港前通過,17:40敦煌(標高1175m)中華民航事務所前着.田村さんが民航へ寄りたいと言ったので行ってみるが,すでに閉店していた.飛天広場を通りホテル鳴山賓館へチェックイン(1泊14元).一休みしてイスラム風の清真食堂で夕食.ホテルへ帰りシャワーを浴びる.(このホテルも共同シャワーのみ)
 
 5月6日(日) 晴
 今日はいよいよ敦煌莫高窟見学の日.朝8時の莫高窟行きのバスに乗る.9:00から始まり,10:40で午前中の見学会が終わる.時間は早かったが,入り口近くの食堂へ昼食を食べに入る.その時,隣の席にいた日本人2人と知り合う.会社を退職した三橋さん,浜松の寺の坊さんである粒谷さんだ.粒谷さんは作務衣のようなものを着ている.いずれもユニークな人達だ.みんなで同席して,いっしょに食事することにした.その後3人(私,田村,粒谷)で莫高窟の裏山(というか砂丘)に登る.しばし丘の上でくつろぐ.廻りはすべて砂漠だ.午後の部は14:15から始まる.いやはや,それにしても何とも長い昼休みである.見学会は15:30終了.16:00のバスに乗り敦煌へと帰る.7時に夕食を一緒に食べようと約束し,彼らと別れる.
 20:00に近くのレンタサイクル店で自転車を借りる.自転車はすべてボロいが,文句を言っても始まらない.溝口さん(3年計画で世界一周を目指しているという.中国は最初の訪問地だそうだ)が1人増え計5人で,鳴沙山からの日没を見るため自転車で出かける.9時前に鳴沙山到着.自転車を置き山頂へ向かうが,細かい粒子の砂に何度も足を取られ,極めて登りにくい.汗をかきかき,靴のなかは砂まみれ,やっと山頂に着く.山頂には見物客をあてこんで物売りがいる.早速ジュースを買い,いっき飲み.すでに数十人の旅行者が座り込んでいる.
 遙か彼方の砂丘に沈みゆく,雄大な夕日の写真を何枚か愛用のカメラに収める.日没は9時半であった.これは東西約5,000kmもある広大な国土にも拘わらず,中国では時差を設けていないからだ.しかも東部(北京)を標準時としているから,なおさら無理がある.西へ行くほど日没は遅くなっていく(夏期).しかし,時刻が統一されているのは,旅行者にとって便利な面があるのは確か.
 その後反対側の山の麓にある,三日月型をした月牙泉という,洒落た名の池まで降りていく.池に着いた頃は,すでにうす暗くなっていた.近くに公衆トイレがあったので用を足そうと入るが,例に漏れずあまりにも汚い.結局外で立ちションとなった.
 再び町に戻ると,メインストリート飛天ロータリー広場には露店がひしめきあい,大変な賑わいをみせていた.5人そろってこの中のシシカバブー屋に陣取る.ビールも注文しワイワイ言いながら大いに食って飲む.この時,酒泉へ向かうバスの車中で匂った,あの‘におい’の正体がやっと分かった.シシカバブーには,どうやら塩の他にスパイスをふりかけているようだ.このスパイスの匂いだったのだ.
 ここのシシカバブー屋のオヤジが,米ドルと人民幣とでマネーチェンジをしてくれという.レート条件がよいので私はすぐに応じた.イスラム教徒達は皆,メッカ巡礼のためドルが必要なのだ.
 ホテルに帰ったのは夜中12時に近かった.遅かったのでシャワーは浴びられなかった.寝たのは1時頃.
 
 5月7日(月) 晴
 8時30分ごろ起きる.10時過ぎにホテルを出て絵はがきを2枚出す.CITS(中国国際旅行社)に昨日予約した列車の切符を受け取りに行く.しかし,昼過ぎの1時頃来いという.12時に4人(私,田村,粒谷,溝口)で昼食.1時に再びCITSに行く.すると切符の代わりに一枚のメモ紙を手渡され,柳園の李なる人物にこの用紙を持って行けと言う.手数料として15元支払う.
 15:00発柳園行きのバスに田村さんと共に乗る.柳園まで130km,6元.熱砂の中,2時間20分かかった.すぐにバス停前のCITS柳園分室に行ってみるが,「李」なる人物は影も形もない.仕方なく柳園駅で切符を買うことにするが,軟座(一等)は例によって無い(没有)と言う.そこで再びCITSへ行き「李」なる人物を待つ.しかし,待てど暮らせど帰ってこない.又,駅へ行くが,7時30分にならないと窓口は開かないらしい.仕方なく窓口のそばにあるベンチに腰掛けて,二人共気長に待つことにする.暑いのでよけい疲れる.
 こんなことなら慌てて出発しなくても,もうあと数日敦煌でゆっくり滞在した方が良かったのに,と後悔する.愉快な仲間がいるし,敦煌の街もなかなか面白く興味が尽きない.何も名所旧跡を見て廻ることだけが,旅ではない.旅先でふと出会う人達とのふれあいこそが,何にも代え難い貴重な,目には見えない旅の財産と言える.そしてまた,いつまでも心に残るものである.せっかくのチャンスを逃し,惜しいことをしたものだ.今思えば,かえすがえすも残念でたまらない.
 やっと吐魯蕃(トルファン)行きの硬座(二等)の切符(64元)が買える.田村さんは成都行き硬座を購入.成都行きは明日になるので,柳園駅前のホテルに泊まることになった.いずれにせよ,お互いホッとする.が,トイレを済まし落ち着く間もなく,すぐに吐魯蕃行第69次列車が到着.駅に預けておいた荷物を急いで受け取り,田村さんとの別れもそこそこに列車に飛び乗った.
 走り出して1時間ぐらいで,一等寝台に替わりたい旨のメモを車掌に見せ,軟臥(一等寝台)に席を移る(追加123.5元).これは切符を買うのを待つ間に,田村さんに書いておいてもらっていたのだ(下記参照).彼は既に1年余り,中国に留学しているので,中国語はかなり達者なようだ.席を移ってしばらくして,夕食を食べに食堂車へ行く(4元).11時頃寝る.



 5月8日(火) 曇り
 8:50吐魯蕃着.駅前のバスに乗るが,このバスはすぐ近くの大河沿バスターミナルまでの,単なる無料送迎バスだった.バスターミナルで吐魯蕃市街行きの切符を買う(2.3元,9:4211:10着).到着後,取りあえず目当てのホテルへ向かう.途中,日本語を上手に話す少年がしつこくつきまとう.この近辺の観光をしきりと勧めるので,頼むことにした(60元).オアシスホテル(緑州賓館,35元)にチェックイン,荷物を部屋に置いた後,ツアーに出掛ける.交河故城→カレーズ→イスラム教寺院→蘇公塔(モスク)と見て回る.使用車両は日本の軽トラックだ.
 観光終了後,いったんホテルへ帰り洗濯を済ます.とにかく中国はどこへ行っても埃っぽいので,洗濯は欠かせない日課だ.しかもこの辺りは暑いのでなおさらだ.それに私自身,この頃になるとしきりと痰が出るようになった.上海に着いて最初に異様に思ったことは,中国人がやたらと痰とか唾を吐いていることだった.なんて連中は汚い事をやらかすのだろうか!?と思っていたが,気が付けばいつの間にか,自分もそこら中に痰や唾を吐いていたのだ.中国の埃っぽい風土に体が適応してきたのだろう.いずれにせよ,気を付けて荷物を置いたり,歩かないと痰を踏みつけるハメに陥る.なお,駅や観光地には必ず痰壺が備え付けられており,注意書きもある.違反すると罰金を課せられるようだ.
 洗濯を終え,乾かしていると,もう一人の日本人が部屋に入ってきた.どうやら相部屋となるようだ.相部屋にすれば料金が安くなり私も得をする.彼の名は鎮守といい,北京の留学生(私費留学,年は20才ぐらい)で,鳥魯木斉(ウルムチ)から来たと言う.ここで一泊だけして,明日再び鳥魯木斉へ戻ると言う.5時頃二人で町へ出掛ける.バザールでナイフを物色後,ビールを買い屋台でシシカバブーを食べる.その後,清真食堂で食事(17.5元),それから珈琲庁(喫茶店)に寄りコーヒーを飲む.勿論,ネスカフェ(インスタントコーヒー)であったが,久しぶりに味わうコーヒーは旨かった.
 ホテルに戻り休息.10時頃,水のシャワーを浴びる.終える頃やっと湯が出てきた.
 
 <現在までのフィルム使用本数:14本(36枚撮り)>
 
 5月9日(水) 晴れ
 7:30起床.8:50鎮守さんに別れを告げ部屋を出る.彼は今日,鳥魯木斉へ戻るのだ.私はもう一泊するので,その旨ホテル側に言っておいたほうがよいと思い,フロントに寄る.が誰もいなかったので,部屋に戻り,もう一泊する旨フロントに伝えてくれるよう,鎮守さんに依頼しておく.
 今日のツアーも昨日と同じ軽トラだ.約1時間で,玄奘三蔵法師が立ち寄ったという高昌故城に着く.入場料1元.昨日の交河故城もそうであるが,このような広大な荒れた廃墟に一人たたずめば,まさに栄枯盛衰,世の無常を思わずにはいられない・・・などとロマンチストぶるのもたまにはいいものだ.40分ほどかけて見て回ったが,観光客にはひとりも会わなかった.
 次にアスターナ古墳群を見学.地下の墓場にミイラを2体安置してある(入場料8角).ここで連休を利用し,個人旅行している日本人に会いしばらく話をする.彼はバスで鳥魯木斉から喀什(カシュガル)まで行ったそうだ.彼の話によると,喀什のホテルに泊まっていた時,公安局の役人がすっ飛んできて,いろいろ尋問されたそうだ.喀什ではつい最近,民族自立運動の暴動が起きたのだ.外国人はむやみに立ち入り出来ないということだ.いろいろ情報を聞くが,どうやら陸路でパキスタンには行けそうもないようだ.お互い旅の無事を祈り別れる.次にベゼクリフ千仏洞を見学.イスラム教徒に破壊されたこともあって保存状態はかなり悪く,敦煌莫高窟を見た後では感激もいまいち.ここを12:14出発.
 火焔山を右手に見ながら帰る.途中,車を止めてもらって写真を撮る.ホテルには1時頃帰る.1時間ほど休憩の後,昼飯を食べに行く(13.5元).腹一杯になってバスターミナルの下見,それからバザールへ行く.ここでナイフを買う(38元).16:40ホテルに帰る.ホテル入口付近でたむろしているロバタクシーの少年が,砂漠を見に行かないかと誘う.今日は特に暑かったし,一日観光をして疲れていたので,どうしようかと迷う.いったんホテルの部屋に戻り,しばしの休息をとる.
 〔ロバタクシー:日除けを付けた荷車(日除けの無いのもある)をロバが引き,客を乗せる.ロバ車ともいう
 少し涼しくなった18:30,ロバタクシーで少年の言うところの砂漠を見に行く.出発前にここでマネーチェンジする(50$→270元).どこかいたいけなこの少年も,片言の日本語を話し,道中いろいろと日本について聞いてくる.少年の名はオスマンという.自分も大人になったら日本に行きたいと,熱い口調で話していたのが印象に残る.約1時間荷車の上で揺られるのは,かなり体にこたえる.これならまだ満員のボロバスの方が楽かも知れない.砂漠は大したことはなかったが,オスマン君といろいろ話が出来たことはよかったと思う.
 ホテルに帰ると直ぐにビールを1本飲み,喉を潤す.今日は本当に暑かった.トルファンは盆地にあり,中国で最も標高が低い地域なのだ.それで特に暑いらしい.洗濯し,日記をつける.00:20にやっと寝る.
 
 5月10日(木) 晴れ(曇り:ウルムチ)
 7:30起床.8:50ホテルをチェックアウト.今日は鳥魯木斉(ウルムチ)へ行く日だ.昨日のオスマン君のロバタクシーがいなかったので,軽トラタクシーでバスターミナルへ(2元).切符売り場の係員が,10時のバスがデラックスで良いとアドバイスするので,その便に決定(FEC11.3元).9:30頃バスに乗り込む.時刻通り10時出発,砂漠を過ぎると山間部に入り,徐々に高度を稼いでいく.ノンストップで走り,鳥魯木斉バスターミナルに13:57到着.
 タクシーで宿泊予定先の紅山賓館に行こうと思い,バス停にいたタクシーに声をかけたが,何故か断られた.バスに乗ろうかと思ったが,どうもその気になれず歩くことにする.20〜30分で行けるだろうと思ったが,結局40分かかってしまった.地図でみて近いと思っても,大抵日本の距離感覚の倍以上は優にある.中国では何事も余裕を持って対拠しなければならないのだ.
 チェックイン(25元)し,3時過ぎホテル近くの食堂へ,遅い昼食を食べに出掛ける(5.3元).その後,明日の天池行きのバス切符を買いに行く(FEC15).売場で香港からきたという女性二人連れと又出会った.酒泉から以降,何回も見掛けている.どうやら行動パターンが,私と同じらしい.切符を購入した後,すぐ近くの紅山公園へ行く.一回りし,5時過ぎホテルに戻る.今後の計画と日記をつける.
 22:30頃,突然部屋にトランクを二つ持った米国人が入ってくる.ジェリーという名だ.中ソ国境近くまで旅してきたという.そしていろいろ話をしている間に,彼の奥さんと娘さんの写真を見せてくれる.奥さんは大層別嬪さんで娘さんはキュート!君の家族の写真も見せてくれと言われたが,残念ながら私は家族の写真を持ち合わせていない.日本人は皆そうであろうが,私は普段から家族の写真など持ち歩いたことがない.しばらく私のつたない英語を駆使して世間話をする.寝たのは12時前.
 
 5月11日(金) 晴れ
 7:30起床.8:10ホテルを出て天池行きのバス乗り場のある人民公園へ.9:25出発.欧米の若い旅行者も何人か乗っている.道路はひどい凸凹道で,もの凄く揺れる.最後尾の席に座っていたが,頭を天井にぶつけてしまった.嘘のようであるが,これは本当の話である.11:15休憩.そこのドライブインで食事をする.チャーハンのようなものを食べる.12:00出発.13:30天池着.
 バスを降りると馬に乗らないかと客引きが寄ってくる.馬にも乗ってみたいが,先ず天池を見学しなければならない.馬は後回しにして,湖岸をぶらりと歩き,南の岸を目指して散策する事にする.ここは本当に中国なのか!?と疑いたくなるような美しい湖である.湖の遙か彼方には万年雪を抱いたボゴダ山脈の主峰ボゴダ峰(5,445m)が望める.目的の場所まで片道1時間,帰ってきたのは4時になっていた.残念ながら馬に乗る時間は無くなったので,休憩所でビールを飲み絵はがきを買う.

<湖から望むボゴダ峰>

 帰りのバスは17:10発.先ほどビールを飲んだ後なので,トイレに行きたくなったが我慢する.バスが揺れるたび,下腹にこたえた.8時に人民広場前に着く.トルファンで一緒だった鎮守さんを見掛ける.同じバスに乗っていたのだ.彼は昨晩,天池でパオに泊まっていたという.紅山賓館まで一緒に行くが,彼は満室で泊まれなかった.これから華僑賓館に行ってみると言って別れを告げた.
 20:30,昨日と同じ食堂で晩飯を食べる.ここでまた香港2人組に会う.少し話をしてみる.そして切符を買うのなら華僑賓館にあるCITSがよいと教えてくれる.彼女らもここから香港へ飛行機で帰るのだそうだ.
 ホテルに戻り風呂に入り頭を洗う.夜中1:20ごろジェリーが戻ってきて眼が覚める.こんな夜更けまで彼は一体何をやっているのだろうか?
 
 5月12日(土) 曇り
 8時過ぎ起床.8:50ジェリーに別れを告げ紅山賓館をチェックアウト.バスに乗り二道橋下車.少し歩いて10:00に華僑賓館着,チェックイン(80).このホテルはウルムチで一番大きくデラックスである.旧館と高層建築の新館があるが,新館に相部屋ではなく一人で部屋を取る.これでルームチャージ80元は安い!ここに宿を移した理由は,次の通り3つに集約される.
  @ホテル内にCITSがあるので何かと便利だから
  A以降の旅程をどのように進めるかじっくり考えるため
  B一人でゆったりと過ごしたかったから
 10:45早速CITSに出掛けて情報を探る.どうやら現在,喀什(カシュガル)迄は行けるが,その先のパキスタンへは行けないとのことだった.何故行けないのかその理由はいまひとつはっきりしない.パキスタンとの国境にある標高4500mのフンジェラーブ峠に,まだ残雪が積もって行けないのか?又は暴動事件が起きたばかりなので国境付近は立入り禁止なのか?パキスタンパミール高原への陸路での国境越えは今回の旅のハイライトの一つであり,楽しみにしていた.そのためパキスタンのビザも取得している.ここで諦めるのは誠に残念な事.空路で行く方法もあるが,それでは面白味がない.またチベットにも行ってみたいが,ここも民族紛争の真っ只中で今は行けそうもない.それに高山病にかかるのが嫌だ.日本アルプスの三千m近い山小屋でさえ,軽い頭痛がしたものだ.ましてやラサは海抜3700mにある.一方,成都とかの華南地方へも行ってみたい願望があるが,中国の旅はここにきて,いい加減ウンザリしてきたところだ.どこに行っても大して違わないと思うようになっていた.
 さりとて所持金は未だ予定額の4分の1程度しか使っていない.さ〜て,どうしたものか?実のところ,私は脱サラをした直後である.いつまでもこのような呑気な放浪の旅なぞ,一般的に考えても許される筈がない.早いとこ帰国して今後のことも真面目に考えなければならない.頭がズキズキ痛むほど迷いに迷った挙げ句,以上の諸般の事情を鑑み,加えてホームシックにもなりかけていたので,北京経由で帰国することに決定した.善は急げ!とばかり早速CITSへ.明日の北京行きのフライトチケットを予約する(909元).夕方4時に取りに来るようにとのこと.
 帰国が決まったことでまずは一安心,肩の荷が下りた感じだ.心浮き浮き,町に繰り出す.帰国の準備として,そろそろ土産を買わなければならない.二道橋のバザールでナイフを三本買う(7×110×2).そのバザール内の屋台で,1本2角の高い方のシシカバブーを7本食べる.さらに隣のそば(うどん)屋で冷麺の上に,唐辛子のよく効いたタレをかけたものを,これまた隣の飲料水屋で買ってきたビール(1.2元)を持ち込み,飲みながら食べる.辛いことこの上なし,だが美味い!
 この後再び繁華街に出て人混みの中を歩いていると,マネーチェンジをしないかと声がかかってきた.「レートはいくら?」と聞くと,その男は「こっちへ来い」と言って道路の反対側へ手招いた.背広の上着で片方の腕を隠したもう一人の男が,背後でこそこそと私のバッグを開けようとしているのを,いち早く察知.『これはいかん,逃げろ!』と咄嗟に判断,彼らを振りきって人混みの中へと走った.『フゥ〜,ヤバかった!』本当に危ういところであった.ここウルムチは物騒なところだ.気を取り直し,二道橋商店に寄り51元の首かざり(ネックレスとは言い難い),さらに近くのデパートで1.2元の錠前と32元の革靴を買い,荷物を置きにいったんホテルへ帰ることにする.
(錠前は紅山賓館に忘れてきた為であり,靴は連日の度重なる過酷なまでの歩行により,早くも傷んできた為)
 荷物の整理をした後,16:20ごろCITSに行って,フライトチケットを受け取る.今回は約束の時間通り,切符を受け取ることが出来た.これは中国では極めて珍しいことだ.ここの旅行社の服務員は,かなりしっかりしていると言える.それはさておき,午前中にいた係員とは別の人だったので,もう一度,念のためパキスタンとの国境について聞いてみる.すると,今はクローズされているが,6月には開くとのことだった.やはり雪に閉ざされているようだ.6月まで待つことは出来ない.これでやっと諦めがついた.チケットを置きに一旦部屋に戻る.
 再びCITSへ行って,明日の空港までのタクシーを予約する(70元).その後,バスに乗って紅山へ出ていく.紅山商場をぐるっと見て回り町に出ると,例の香港2人組とまたまたばったり出会う.挨拶を交わす.しかしそれにしても全くよく出会うものだ.中山路まで歩き,通り過ぎた頃,夕立が降ってきた.10分ほどでやむ.再びバザールに行き,遊牧民の帽子を二つ買う(15元).ホテル前の食堂で夕食(11.7元)後,ホテル内の売店でさらに帽子を二つ買う(50元).部屋に戻り,風呂に入り日記をつける.すでに23:08である.なお,ウルムチでは暗くなりだすのは10時30分頃である(5月現在).
  
 5月13日(日) 晴れ(北京)
 3時頃目が覚めて起きだす.出発の準備をする.予約しておいたタクシーから7:28に電話があった.すぐにロビーに降りていく.まだあたりは暗い.タクシーはピッカピカに磨き上げたクラウンであった.こんな程度の良い車に乗ったのは,中国に来てこれが最初で最後だった.20分少々で空港に着いてしまった.もっと遠いと思っていたのに・・これで70元とはあまりに高過ぎる.空港で米国人のジェリーと再会.彼は上海へ飛び,そこからアメリカへ帰るのだそうだ.朝食を誘われるが断った.どうせ機内食がでるからだ.彼はそのことを知らないのだろうか?教えてあげれば良かったかなぁ・・・
 9:40鳥魯木斉(ウルムチ)空港出発.12:40北京空港到着.北京空港の案内所でホテルを紹介してもらい,ついで市内観光地図も購入.ジェリーにホリディ・インを勧められていたが,街の中心部から外れていたので止める.13:50復興門内大街にある北京民族飯店チェックイン.R.C240元とぐっと高くなる.
 3時頃から町に出る.地下鉄の駅を探すが見つからない.少し歩いてバスで前門(毛主席記念堂)まで行く.付近を少しぶらついた後,地下鉄で北京駅まで行く.北京駅前も人と車でごった返していた.再び地下鉄に乗り復興門まで引き返すが,有るべき私のホテルが見当たらない.そばにいたオートバイの人に聞くと,ホテルへ行くには,引き返さなければならないらしい.オートバイの後ろに乗れと言うが,断り歩いて帰る.20分ぐらいかかっただろうか.
 ホテルのロビーにある国際公衆電話ボックスから家に電話(18:30)するが,話し中でつながらない.部屋にいったん戻り,7時過ぎ再度電話.今度はつながる.その足でホテル内の日本レストラン‘魚国’で,久々の天ぷらを食べる.ビールはサントリーの生を注文(計59元).今までずっと中国のビールを飲んでいたせいか,サントリービールがこんなに美味いとは思いもよらなかった.なお,ビールは中国語で‘ピ−ジュ(pí jiu)’という.中国に来て何はさておき覚えた,最初の言葉がこれであったことは今更言うまでもない.
 部屋に帰り風呂に入り,日記をつけ,地図を調べる.
 
 5月14日(月) 晴れ
 9:00頃部屋を出て大阪までのフライトを,ホテル内の旅行社で予約する.帰る日を5月18日(金)と決定.北京国際空港8:55の便となる.
 その後(10:00)バスで天安門まで行く.天安門を見学後(30元),いよいよ故宮博物院へ行く(32元).ところが説明用のテープレコーダー(受信機かも知れない,各国語がある)を借りるのにパスポートが必要との事.しかしパスポートは飛行機の切符を買うのに必要で,旅行社に預けてあるので持っていないというと,「では貸せない」と言う.それで「フン!不要!(ブゥヤオ)」と答えた.広大な故宮博物院を14:00まで見学.歩きすぎて足が痛くなったが,ついで故宮の裏山にある景山公園へ登る.公園を降りたところで,ビール(1元)より高いコカコーラ(3元)を飲む.
 小公共汽車(マイクロバス)で前門まで戻り(1.5元),明日の「万里の長城」ツアーの切符を買う(15元).地下鉄で宣武門下車,ホテルへ歩いて帰る.所要20分.4時頃ホテル到着.切符を受け取ろうと旅行社へ寄るが,16:30に来いと言う.そこで16:40に行くと,今度はファーストクラスしかないと言う.一度ファーストクラスに乗ってみるのもいいだろうと思い,OKする.プラス220元.明日の16:30に受け取ることになった.このように全く当てにならないが,いちいち腹を立てていたのでは中国個人旅行は不可能だ.中国に来て以来,私は随分と気が長くなったような思いがする.
 5時頃,ホテル10階の理容室へ散髪に行く(17元).さっぱりした後,ホテルを出て(18:50),かねて目をつけておいた四川飯店へ行く.四川料理は辛いので有名だが,その中でも,とびっきり辛そうな料理を注文する(31元).
 8時頃ホテルに戻り,いつものように風呂に入り,洗濯を済まし日記をつける.11時5分前にロビーに降りてきて,家へ電話する.
 
 5月15日(火) 晴れ
 7:10ホテルを出て,天安門までバスで行く.7:40前門で万里の長城行きツアーのマイクロバスに乗り込む.八達嶺に近づき山道を上がっていく.最初に長城手前の蒙古民族展に寄る.長城到着10:10.90分しか見学時間がないので急いで見て回ることにする.先ず長城の北の方へ登ってみる.中国旅行も1ヶ月近くになると,中国大陸の雄大さに慣れてきたせいもあり,この頃になると何を見てもあまり心から感動しなくなった.であるから万里の長城は確かに中国を代表する,世界最大の素晴らしい建造物ではあるが,大して感激もしなかった.しかし,これは朝から腹の具合が悪いからかも知れない.昨日食べた辛い四川料理が原因だろう.少々下痢気味.本日は飲み物とか食べ物を控えることにする.
 11:40時間通り出発.13:10明の十三陵の定陵着.ここには地下深くに宮殿がある.日本からの団体ツアー客を多く見掛けた.14:15定陵出発.14:20長陵着.ここの露店で梨を売っていたので2個買い,1個だけ食べる.14:50長陵出発.16:10出発地の前門に帰る.
 地下鉄に乗り,16:40ホテル着.すぐに旅行社へ切符を受け取りに行く.何のことはない.エコノミークラスの切符はあったのだ(1944元).部屋に戻り7時頃,ホテル近くの日本風スタイルの食堂へ行く.昨日から目を付けておいたのだ.しかし,サービスは悪く愛想がない上,料理はイマイチ.明日は朝鮮料理の店へ行こう.
 8時前にホテルに戻り,残していた梨を食べる.日記を書き,絵はがきも書く.
 
 5月16日(水) 曇り
 7:30起床.この旅行最後の絵はがきを一気に7枚書く.絵はがき投函はフロン
トに頼み,10時頃ホテルを出る.地下鉄で前門まで行く.前門大街の商店を覗きながら歩く.10:45食堂に入り昼食.北京ダックなど食べ腹一杯になる.
 天壇公園に12:00到着.時間があるのでゆっくり見て回る.13:30天壇公園を出る.106路のトロリーバスで建国門へ.ここにある友誼商店で土産を買う.
 (鳥の置物 60元,お茶 110元,灰皿 35元,夜光杯 70元 計 275元)
地下鉄で北京駅に寄り,全国の列車時刻表を土産として買う(2.8元).ホテルに戻りシャワーを浴び,洗濯.
 19:30頃ホテルを出て近くの朝鮮焼肉の店へ行く(37元).隣の席に日本の商社マンらしき人がいた.ホテルの喫茶で再びビールを飲んでから,部屋に帰り又洗濯.11時頃寝る.
 なお冒頭でも述べたが,中国の旅で最も重要な事のひとつは洗濯である.ここ北京でさえも埃っぽく,日々の洗濯は欠かせない重要な日課だ.
 
 5月17日(木) 晴れ
 9時頃ホテルを出て,前門からの乗り合いバスに乗って頤和園を見学に行く.入場料1元を払って中に入ると,昆明湖という大きな湖が眼前に広がる.これが人造の池であるとは全く驚かされる.極彩色の彫刻を施された長廊を通り,万寿山に向かう.この小高い丘も人工の山だ.ここに入るには別料金を支払わなければならない.10元とぐっと高くなる.その代わり人もまばらで静かにゆっくり見学できる.この山の上にある仏香閣の最上階に登れば,付近の眺望は思うがまま.その後,昆明湖に浮かぶ南湖島まで歩く.ここには石造りの十七孔橋が架かっている.足も疲れてきたので,ここらで引き返すことにする(12:30).
 頤和園正門前のバス停で北京動物園行のバスを待つ.パンダを見に行くためだ.動物園13:10到着.入園料1角を払い,パンダ舎に直行.しかし,パンダは寝ているのか一頭も姿が見えない.諦めてあたりを散策.帰りにもう一度寄るが,やっぱりいなかった.
 動物園の隣に北京展覧館があったので,ついでに寄ってみる.工業展を開催しているようで,各メーカー出展の工業製品とか工作機械が展示してあった.さっと見て回る.
 バスでホテルへ.真っ直ぐホテルには帰らず,隣にある民族文化宮に立ち寄り,館内で壁飾りの土産物を買う.ホテルに戻り(18:55),1階にある土産物店で土産を物色.いよいよ明日に迫った帰国の準備をする.
 
 5月18日(金) 晴れ
 5時起床.6時過ぎタクシーで北京国際空港へ向かう.空港国際線待合室で私と同じ便で大阪へ帰るという,中年の日本人男性2人組と話をする.彼らはシルクロード方面へも行く予定だったが,結局諦めて,僅か1週間の北京滞在のみで帰ることになったらしい.中国語が分からない上,日本とは全く勝手が違うことにショックを受け茫然自失,これ以上旅を続ける気力をなくしたらしい.私にはその気持ちは痛いほどよく解る.
 免税店を見て回り,ネックレス(86$)と香水(9000円)を買う.中国では高級店でも安心して入って行ける.たいして値段が高くないからだ.
 9時17分中国国際航空機は離陸.長いと思っていた旅行もこれで終わりだ.窓から中国大陸を感慨深げに,見えなくなるまでずっと眺めていた.しかし,どうも方向が違うのではないかと思い出した頃,以外や以外!上海国際空港に着陸してしまった(10:40).この機はてっきり,大阪直行便とばかり思っていた.まさか上海経由とは予想だにしなかった.すると今まで中国上空を飛んでいたことになる.それにしてもえらく遠回りするものだ.最後の最後まで度肝を抜かされ,気が抜けない.何はともあれ上海空港の待合室で待たされる.免税店を巡りブランデー(80$)をおみやげとして買い足す.
 12時30分,再び機に搭乗.今度こそ本当に大阪へと飛び立ったのであった.


−劇 終−




あとがき

 かくして土壇場まで気を揉ませた中国の旅は,このようにして幕を閉じたのであった.日々,驚きと不安の連続に唖然とし,焦燥の念に駆られ,また絶望感に襲われ,そしてこれほど苛立たしく嫌気がさした中国には,もう二度と来ることはないだろう=と旅行中ずっと思い続けていた.しかし妙なもので,終わってみるとじわじわと懐かしく思い出し,機会があればもう一度是非中国へ行きたいとさえ,思えるようになってきた.それは旅行中苦労したことや,意表をつく様々な出来事,中国人とのちょっとしたやりとり,行く先々で知り合った各国の人達など,なかには嫌の思いをしたことも多々あったけれども,今となってはそれらすべては,楽しい思い出になろうとしている.そして,これは中国を旅したからこそ得られた貴重な体験であった・・・とさえ思えるようになった.
 しかし,駅,バスターミナル,空港,観光地,町中とかで絶えずスピーカーから流れ,また至る所で人々の声高に喋る,あの独特のかん高い口調の中国語が,その後3ヶ月余り,私の脳裏にしっかりこびり付いて離れなかった.この思わぬ‘後遺症’がつきまとったことを,忘れずに報告しておかねばならない.