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本編は,予告無く加筆・修正することがあります.


(総文字数 約11,000文字)

シネマ想い出ばなし
(シネマ,我が人生と共に)
 
 
 
 昭和30年代前半,映画は黄金時代を迎えた.日本映画界の中でも特に東映が際だってその全盛を誇っていた.市内の封切館,二番館から場末の三流映画館に至るまで,どこの映画館も常に満席であった.この頃,立ち見席で鑑賞することなど常識であった.
 私は比較的幼い頃から両親に連れられ映画館へ通っていたが,はっきり言って映画は好きになれなかった.と言うのはあの暗闇がどうにもならないくらい怖かったからである.当時の映画館は上映が始まると,灯りはスクリーン意外何もなく,客席は真っ暗になった.それに子供向けの映画ならまだしも,大人向けの映画は全く理解出来ず又興味も湧かず,暗闇の中,単に恐怖にジッと耐え苦痛を伴う長い時間でしかなかった.当時総天然色,つまりカラー作品は少なく,ほとんどが“白黒”映画だったのも,恐怖心を煽る一因であった.確かにどこか暗いイメージのある内容の作品が多かったのも事実.小学一年生の時であろうか,学校から映画鑑賞会に出掛けた時など担任の先生に「気分が悪い」と嘘をつき,ロビーのベンチでひとり寝ていたこともあったほど.
 
 そんな怖がりの私が大の映画好きとなった切っ掛けは,昭和32年頃に観た「ゆうれい船」(※)からであった.この作品は総天然色で前編・後編の2部構成からなり,いわば“血沸き肉躍る”痛快時代劇.当時としてはスケールの大きな海洋スペクタクル冒険活劇であった.この時,私は確か小学2年生であったと記憶する.
(※)「ゆうれい船」→1957年東映
<出演:大友柳太朗,中村錦之介,大河内傳次郎,長谷川裕見子,月形龍之介>
 これ以降,暗闇もさほど怖くなくなり,やっと映画というものを楽しめるようになった.「将来,大きくなったら何になりたい?」と聞かれたら,迷わず「映画の看板書き!」又は「映写技師になりたい!」と答えたくらいだ.「スターになりたい!」と大それた事を言わなかったのは,自分には向いていないし到底無理,と既に自覚していたからであろう.
 ほとんど東映,大映などの時代劇を中心に観ていたが,たまたま小学4年の時,アルフレッド・ヒッチコックの「北北西に進路をとれ」(※1),「素晴らしい風船旅行」(※2)などを観てから,だんだんと洋画に興味を持ち始めた.以降,西部劇などのアメリカ映画を数多く観るようになった.
(※1)「北北西に進路をとれ」→1959年米
<出演:ケイリー・グラント,エバ・マリー・セイント>
<一口メモ:歴代大統領の顔が刻まれているラッシュモア山での死闘シーンは圧巻>
(※2)「素晴らしい風船旅行」→1960年仏
<出演:パスカル・ラモリス,アンドレ・ジル,モーリス・バケ>
<一口メモ:観客も同様に風船に乗っているかのような気分にさせてくれた撮影技術は,素晴らしい!の一言>
 
 小学生までは親に連れられ映画館へ通っていたが,中学生になってからはひとりで出掛けるようになった.主に洋画3本立ての映画館,いわゆる三番館(新劇,松映等があった)ばかりで,両館をはしごしたこともあった.そんな映画館で上映するフイルムは相当擦り切れているらしく,画面に筋が入って雨が降っているかのようであった.当然切れることなど当たり前のことで,その都度何分間も待たされた.また映画館前には自転車預かりのおばさんがいて,十円で預かってくれたことを覚えている.
 そんな頃,封切館(グランド→後のOSグランド)で007シリーズの記念すべき第1作であり原点ともなる「007は殺しの番号」(※1)を観た.ちなみに007は“ゼロゼロナナ”と発音していた.当時の封切館は2本立てと決まっていた.レコードにA面・B面があったように,封切り映画も必ずA級及びB級作品をセットにしていた.すなわち「007」はB級で,A級が「隊長ブーリバ」(※2)であった.確かに隊長ブーリバもなかなか良く出来た作品であったが,007の方が遙かに面白かった.当時無名であったが,ボンド役のショーン・コネリーが本当にカッコよかった.まさに“はまり役”であったと言えよう.ボンド=S・コネリーで決まり!という強烈な印象を植えつけられた.翌年製作の「007/危機一発」(※3)でその人気を不動のものとした.映画のオープニングのあの丸いマーク,それにジェームズ・ボンドのテーマ曲は,その後のシリーズに連綿と受け継がれていく.あれから40年以上たった現在でも,なおも新作が作られているから驚きである.度肝を抜くド派手なアクション,アッと驚く秘密スパイ兵器に小物類,それに美人揃いのボンドガールたち.毎回工夫を凝らし,見せ場をたっぷり用意しているからこそ観客にこれほど支持を受け,長く続いているのだろう.
(※1)「007は殺しの番号」→1962年英
<出演:ショーン・コネリー,ウルスラ・アンドレス,ジョゼフ・ワイズマン>
<一口メモ:リバイバル公開時に「007/ドクター・ノオ」とタイトルが変わっていた!?以降,007は“ゼロゼロセブン”又は“ダブルオーセブン”と呼ばれるようになった>
(※2)「隊長ブーリバ」→1962年米
<出演:ユル・ブリンナー,トニー・カーティス,クリスチーネ・カウフマン>
<一口メモ:C・カウフマンの美貌もさることながら,大平原を疾走するコサック騎馬軍団がカッコいい>
(※3)「007/危機一発」→1963年英
<出演:ショーン・コネリー,ダニエラ・ビアンキ,ロバート・ショー>
<一口メモ:これも再公開されたとき,スパイ映画とは思えない「007/ロシアより愛をこめて」とタイトルを変えていた!?ロシア・スパイ役のダニエラ・ビアンキにはウットリしたものだ>
 007は空前のスパイブームを巻き起こし,ナポレオン・ソロ,スパイ大作戦,電撃フリント,サイレンサー等のシリーズ物が作られ,その他イタリア,フランス,それに日本でも続々とスパイ映画が量産された.「追撃!イスタンブール要塞」(※1)「女王陛下の大作戦」(※2)など今でも微かに印象に残る.これら映画の宣伝文句・予告編は全て一様に「007を凌ぐ面白さ!」と決まっていた.
(※1)「追撃!イスタンブール要塞」→1966年仏・伊
<出演:リチャ−ド・ワイラー,ジル・ドラマール,ロベール・マニュエル>
<一口メモ:撮影中にスタントマンが事故死するほどの壮絶なスタントがみもの>
(※2)「女王陛下の大作戦」→1967年伊
<出演:リチャ−ド・ハリソン,アドルフォ・チェリ,マーガレット・リー>
<一口メモ:R・ハリソンはこの他数本のスパイ映画に出演している.なお,マカロニ・ウェスタンでも主役を務めた2枚目である>
 
 ブームと言えばこの後すぐに続くイタリア製西部劇,通称マカロニ・ウェスタンを外すことは出来ない.クリント・イーストウッドの「荒野の用心棒」(※1)「夕陽のガンマン」(※2)がブームの火付け役となり大ヒット.C・イーストウッドは当時ハリウッドでは駆け出しの俳優であった.監督のセルジオ・レオーネが西部劇の制作に当たり,わざわざハリウッドから呼び寄せたと云う.リー・ヴァン・クリーフも同様にアメリカ人で,マカロニウェスタンで有名になった.ちなみにジュリアーノ・ジェンマ,フランコ・ネロはれっきとしたイタリア人である.
(※1)「荒野の用心棒」→1963年伊
<出演:クリント・イーストウッド>
<一口メモ:C・イーストウッド主演第1作.黒澤明監督の「用心棒」をパクッたとされる作品でも有名>
(※2)「夕陽のガンマン」→1965年伊
<出演:クリント・イーストウッド,リー・ヴァン・クリーフ,ジャン・マリア・ボロンテ>
<一口メモ:3人のガンマンの対決.マカロニウェスタンの代表作とされる>
 またどこか一風変わった,しかし哀愁に満ちたテーマ音楽もよかった.作曲家エンニオ・モリコーネを代表とし,数多くのヒット曲が生まれた.「どれかひとつ好きなのを挙げろ!」と言われたら,迷いながらもやはり「荒野の用心棒」に挿入されていた“さすらいの口笛”となろう.もうひとつ挙げておかなければならないのが「ウエスタン」(※)のテーマ曲である.私事であるが,この映画とテーマ曲には次のような思い入れがある.
(※)「ウエスタン」→1969年伊
<出演:ヘンリー・フォンダ,クラウディア・カルディナーレ,チャールズ・ブロンソン,ジェイソン・ロバーツ>
<一口メモ:S・レオーネ監督がアメリカで製作した西部劇超大作>
 あれは私が大阪の,とある電機会社へ就職した年.確か5月下旬頃だったと記憶する.場所は近鉄布施駅近くの映画館.通勤電車の車窓より目立つ映画の看板が見えた.私好みの面白そうな映画ばかり3本立てである.これは何としても観なくてはならないと思い立ち,日曜を待ちかねた.目当ての映画館に出掛けたのは昼過ぎだったろうか.上映映画は「ウエスタン」「ミニミニ大作戦」(※)他1本(タイトルは忘れてしまった)であった.ミニクーパーが縦横無尽に疾走,大活躍するミニミニ大作戦のカーチェイス場面がことのほか面白く,是が非でももう一度見たくなった.そのためには先ほど観たばかりのウエスタンを,再度観なくてはならない.この映画の冒頭シーン,大平原の真っ只中にある人気のない鉄道駅.ゆっくり場面が移動しバックに流れるE・モリコーネ作曲の物静かであるが雄大なテーマ曲.場面と曲の両方が脳裏にインプットされた.結局,ミニミニ大作戦の上映が終わったのは午後10時頃.最寄りの近鉄ひょうたんやま駅までは電車はあったが,大東市の社員寮までの最終バスには間に合わなかった.そこで寮まで歩くことにしたが,今日観た映画のことを思い浮かべると,長い夜道(1時間かかったか,あるいは2時間かかったのか忘れてしまった)もさほど苦にならなかった.
(※)「ミニミニ大作戦」→1969年英・米
<出演:マイケル・ケイン,ノエル・カワード,マギー・ブライ>
<一口メモ:意表を突くコミカルなカーチェイスは必見の価値有り!2003年米でリメイクされた>
 なお,マカロニウェスタンブームは70年代の後半まで十年以上続き,その間何と!500本以上も作られたというから,これはもう凄いと言うほかない.
 
 先ほどカーチェイスに触れたが,ここでもう少し詳しく分析してみよう.カーチェイスと言えばスティーブ・マックィーンの「ブリット」(※)を想い出す.マックィーン扮するブリット刑事のマスタングが犯人の車を追跡すべく,サンフランシスコの街を疾走する.坂道をジャンプ,タイヤをきしませ白煙をあげて爆走するシーンは新鮮で気持ちよかった.この撮影のため,市内の交通を全面シャットアウトしたらしい.そのせいか何か物足りなく違和感があったのも事実.通行人は居らないし,他の車もほとんど見あたらない.
(※)「ブリット」→1968年米
<出演:スティーブ・マックィーン,ジャックリーン・ビセット,ロバート・ボーン>
<一口メモ:ブリット刑事の壮絶なカーチェイスシーンは胸がスカッとする>
 「フレンチ・コネクション」(※)のカーチェイスは,この点をしっかりカバーしていた.高架線下を徴収した車で追跡するポパイ刑事の行く手には,歩行者・車など様々な障害物が現れる.特に乳母車を跳ね飛ばしそうなシーンには思わず手に汗を握った.現実味を帯びている分,より迫力・緊迫感が増したと言えよう.以降のカーチェイスに多大な影響を与えた一作であったことは間違いない.
(※)「フレンチ・コネクション」→1971年米
<出演:ジーン・ハックマン,ロイ・シャイダー,フェルナンド・レイ>
<一口メモ:巨大麻薬シンジケートに立ち向かうN.Y.市警のポパイ刑事.続編も作られた>
 
 60年代から70年代にかけて見過ごすことが出来ないのがフランス映画界の存在である.アラン・ドロンを筆頭にジャン・ギャバン,リノ・ヴァンチュラ,ジャン・ポール・ベルモンドといった男優陣に加え,女優陣ではジャンヌ・モロー,ミレーヌ・ドモンジョ,カトリ−ヌ・ドヌーブらそうそうたる名優たちがいた.またジャン・リュック・ゴダール,フランソワ・トリュフォー,ジャン・コクトー,ルイ・マル,クロード・ルルーシュといった名監督もヌーベル・バーグという新しい波に乗って次々と秀作を発表していた.あの頃のフランス映画は本当に活気があった.私にとっての代表作を2,3挙げるなら世紀の怪盗ファントマが暗躍する「ファントマ三部作」(※1),リオの男を始めとする「男シリーズ」(※2),そして外すことが出来ないのが「冒険者たち」(※3)である.
(※1)「ファントマ/危機脱出」  →1964年仏
   「ファントマ/電光石火」  →1965年仏
   「ファントマ/ミサイル作戦」→1967年仏
<出演:ジャン・マレー,ミレーヌ・ドモンジョ,ルイ・ド・フュネス>
<一口メモ:危機脱出は変装名人のファントマが,あらゆる乗り物を駆使して逃げ切るのが面白おかしく描かれている.電光石火はマァ良しとしても,三作目のミサイル作戦ではアクションが皆無となり,ジューブ警部役のルイ・ド・フュネスが主役のジャン・マレーを完全に食っていたのはどうにも許せない>
(※2)「リオの男」   →1964年仏
   「カトマンズの男」→1965年仏・伊
   「タヒチの男」  →1967年仏
<出演:ジャン・ポール・ベルモンド>
<一口メモ:リオの男は全編アクションたっぷりであったが,ファントマと同様,三作目のタヒチの男ではアクションは影をひそめ面白味に欠けた.これがフランス映画の悪いクセと言えなくもない>
(※3)「冒険者たち」  →1967年仏
<出演:アラン・ドロン,リノ・ヴァンチュラ,ジョアンナ・シムカス>
<一口メモ:アフリカ沖に墜落した機体から財宝を引き揚げるという筋書きであるが,これを二人の男の友情を通して情感を込めて描かれている秀作.音楽も良かった>
 近年,注目すべきはTaxiシリーズの製作・脚本を努めたリュック・ベッソン.彼がフランス映画界復活の起爆剤になっているようだ.Taxiシリーズを始めとし,ヤマカシ,スズメバチ,ル・ブレ,トランスポーター,略奪者など見応えたっぷりのアクション映画が続々と公開されている.往年のフランス映画お得意のエスプリに満ちたかけ合い,アクション,カーチェイスなどその健在ぶりが垣間見える.今後のフランス映画には大いに期待が持てるし目が離せない.
 
 復活と言えば日本映画界も同様に頑張ってもらいたい.そして日本映画と言えば真っ先に思い浮かぶのが,ご存じ「男はつらいよ」シリーズ.テキ屋の“フーテンの寅さん”と言った方が分かり易いかも知れない.初公開は昭和44年(1969年)「男はつらいよ」(※1).これが予想外の大ヒットとなり、以降,年2本のスペースで作られた.松竹の盆・正月映画の看板作品となり,同社の屋台骨を支えたくらいだ.もっとも第43作当たりから、年1本となったが・・・平成7年(1995年)「男はつらいよ/寅次郎紅の花」(※2)までの26年間に延べ48本が製作された.007シリーズとてこのレコードを破るには,あと50年はかかる計算となる(約2年に1回製作として).
(※)「男はつらいよ」  →1969年松竹
<出演:渥美清,倍償千恵子,森川信,三崎千恵子,笠智衆,前田吟>
<一口メモ:記念すべき第1作.この作品で既に基本骨格,登場人物のキャラ設定等出来上がっていた>
(※)「男はつらいよ/寅次郎紅の花」→1995年松竹
<出演:渥美清,倍償千恵子,浅丘ルリ子,吉岡秀隆,下条正巳,三崎千恵子,前田吟>
<一口メモ:遺作となった作品.奄美黄島が舞台で何と寅次郎がハブに咬まれて死ぬ!?お馴染みリリー役で浅丘ルリ子が4回目のマドンナ>
 映画冒頭は妹想いの寅次郎がヒーローに扮して大活躍する,うたた寝の夢のシーン.筋書きは寅さんが惚れてフラれ,そしてまた何処となく旅立つ毎回同じパターンであるが,これが不思議と飽きが来ない.映画の各シーンには寅さんお得意の,人を諭すように語る名セリフがちりばめられている.まさに日本人好みの人情味あふれる国民的映画であった.それにしても恥ずかしながらこの私,20作ぐらいまでは毎回欠かさず映画館で観ていたが,遂に年2回の公開ペースに付いていけなくなった.それ以降は観たり観なかったりで,残念ながら全作品は鑑賞していない.いつかDVDを全巻買って,じっくり鑑賞したいものだ.
 「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です」「それを言っちゃお終いよ」「てめぇさしずめインテリだな!」「生まれてきてよかったなぁ」などの名調子を今となっては懐かしく思い出す.
 
 70年代に特筆すべきは,スティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカス両監督の出現である.この二人が娯楽映画とはかくあるべきものと位置づけた.
ジョーズシリーズではリアリティあふれる人喰い鮫に腰を抜かせ,続くインディ・ジョーンズ3部作には年甲斐もなく胸を躍らせた.スター・ウォーズ3部作及びジェラシック・パークシリーズには,完璧なまでの特殊撮影に舌を巻いたものだ.ピーター・ジャクソン監督のロード・オブ・ザ・リング3部作は,現時点での特撮技術の集大成と言えよう.SFX(Special Effects)・VFX(Visual Effects)技術はこれからもさらに発展を重ね,今後どんな映像を見せてくれるのだろうか?なお,上記の“FX”の綴りは,英語の発音“effects”に似ているところからつけられたらしい.
 
 80年代に入ると新たなヒーローたちが台頭する.ランボーのシルベスター・スタローン,ターミネーターのアーノルド・シュワルツェネッガー,ダイ・ハードのブルース・ウイリス.どんな危険な目にあっても何とか切り抜け,マシンガンの乱射を受けロケット弾を撃ち込まれても生き延び,たとえ捕まってボコボコに痛めつけられてもかろうじて脱出,しかもいつの間にか体力は回復,敢然とひとりで敵に立ち向かう.彼らを称して“死なず3人衆”と呼ぶ.無論,元祖はかのジェームズ・ボンド君であることは言うまでもない.
 90年代になると“沈黙”シリースのスティーブン・セガール,ユニバーサル・ソルジャーのジャン・クロード・ヴァン・ダムが加わり“死なず5人衆”となった.エ〜イ!これにジャッキー・チェン,ジェット・リーも加えて“死なず7人衆”にしよう.おっと,いけねぇ,肝心のヒーローを忘れてた!リーサル・ウェポンのメル・ギブソン様だ.近年では「トリプルX」(※)のヴィン・ディーゼルがスキンヘッドで光っている.
(※)「トリプルX」  →2002年米・チェコ
<出演:ヴィン・ディーゼル,サミュエル・L・ジャクソン,アーシア・アルジェント>
<一口メモ:バイク・スタント,スノボー,カーチェイス.すべて盛り込んだ新手のスパイ・アクション>
 
 映画というもの,観客がまばらな空いている映画館で観ることを私の場合,心情的に良しとする.それ故なるべく土日は避けるようになった.学生時代(高専),高学年(4・5年生)になるとちょくちょく昼から休んで映画館へ通ったものだ.学生服を着たまま映画館へ入ると,少年補導員に補導されそうになったこともあるが,“高専生”である旨を告げると何も言わず立ち去った.
 大阪の電機会社退社後,約16年間の公務員時代も学生時代の習慣は抜けきれず,やはり昼から年休を取って映画館へ足繁く通ったものだ.ところが80年代中頃からビデオの普及と共にレンタルビデオ店が急増,家庭で手軽に映画が鑑賞出来るようになった.この時期からだんだんと私の足も映画館から遠のくことになるが,反面,観る本数が一気に増えた.その気になれば毎日でも観られるからだ.その分印象に残る映画は少なくなり,何を観たのかすぐ忘れるようになった.
 これでは大いに困るので,何か記録に残す必要に迫られた.そこで当時まだ珍しかったデータベースソフト(d BASE U)をさるところから入手,試行錯誤しながら鑑賞済み映画を入力することにした.マイ・パソコンライフは鑑賞済み映画整理を目的として始まったことになる.入力項目を多くすると面倒くさくなるので,鑑賞年月日,タイトル,原題,制作年度・制作国及び十文字程度のメモに絞った.関連する文字を一字でも入力すれば検索は可能となり,内容も確認出来るようになった.とは言え当時のソフトは,検索するのにいちいち英語でコマンドを打ち込まなければならず,使い勝手はイマイチだった.
 ‘90年には我が家にもBS(衛星)放送が入り,映画好きな私は発足間もないWOWOWと契約した.公開時期は若干遅くなるが,これでレンタルビデオ屋に足を運ばなくて済むし,第一グッと安上がりである.この頃にはパソコンソフトも使いやすい日本語カード型データベースに切り替えていた.それでも入力するのが面倒なぐらい,さらに鑑賞する映画が増えることとなった.そこで入力項目のうち原題とメモを思い切って省くことにした.ところが困ったことにこれでは目的のタイトルが出てきても,その内容を一向に思い出せないことになった.さらに最近の傾向として洋画の場合,原題と邦題が全く同じ映画が増えてきた.つまり原題をそのまま単にカタカナで表記しているだけなので,タイトルからほとんど内容が判断出来ないのである.無論,このところ私の物忘れが非常に良く(?)なってきているのは拒めない事実であるが・・・どうにも思い出せない映画は観念して録画し,もう一度観ることにしている.
 
 最近の映画館では,洋画は日本語吹替版と字幕版どちらでも選べるようになった.洋画は字幕版に限る!と言うのは私だけだろうか?しかし物事には必ず例外というものが存在する.例えば刑事コロンボ.これだけは吹替版が絶対良い.‘72年NHKで放映されたとき,コロンボの声優を努めたのは小池朝雄氏.その独特の喋り方はコロンボの仕草・風体に不思議とピッタリ合い,あまりにも強烈なインパクトを受けた.後の「新・コロンボ」シリーズでは石田太郎あるいは銀河万丈が担当しているが,話しぶりは“小池流”を踏襲している.それにしても現在でもなお製作が続けられている.まさに稀に見る長寿番組である.ピーター・フォークも爺さんになったものだ.
 しかし映画というもの,無限にあると言っても過言でない.日々続々と世界中で新作が作られている.それも全作品が公開されるとは限らない.我々が目にすることの出来る映画は,そのうちのせいぜいアメリカ・ヨーロッパ・中国・日本の作品ぐらい.強いて云えば最近では韓国が加わろう.いくら毎日観たとしても,それはほんの一部.過去の作品まで含めると,もの凄い数となろう.つまり人が一生で観られる映画なんて,たかが知れている.
 映画が数限りなくあるならば,それに対しての四方山話も同様に数限りなく有り,書こうと思えばいくらでも書ける.勿論,他人様が読んでくれるかどうかは別とするが・・・例えばアクション,サスペンス,SF,ホラー,ミュージカルなどと分類するジャンル分けにしても,通常12通りあるとされる.加えて年代・国別・音楽それにスター・監督の分野まで掘り下げるならば,もはや際限なく話は尽き果てることはない.であるから本編の話など,ほんの一端を書き記しているに過ぎない.他にももっともっと面白い映画がある筈だ.
 
 もしも仮に自分が映画をプロデュース出来るとするならば,やはり誰もが文句なく楽しめる娯楽大作を作りたい.冒頭シーンから観客をグッと物語に引込み,時にはハラハラドキドキ手に汗握り,時には笑い,時には胸打たれる感動のシーン.すなわちアドベンチャー,アクション,サスペンス,コメディ,ロマンス等全て盛り込んだ新種の欲張った企画である.主役は無名の新人でも妥協するが,脇役はベテランでしっかり固めたい.舞台はやはりヒマラヤを含む中央アジア,アフリカ,中南米等の人跡未踏の奥地とか絶海の孤島が面白そう.タイトルはズバリ!「マルチアウト(仮題)」.冒頭部分をごく簡単に説明するとこうだ.
 ある国の山岳地帯を登山者がトレッキングしていた.とある樹林地帯で国籍不明の墜落した小型機を発見.死んだ操縦士の手元には小さなボックス.ボックスには一枚のディスク.数日前まで米軍偵察機がこの周辺を捜索していたと地元民は話す.さて,登山者はこのディスクをこっそり持ち帰り,IT関連企業に勤めている友人にデータ解析を依頼.ディスクには地球探査衛星ランドサットが写した,ある地域の緻密な調査データが詰まっていた.不毛の砂漠を越えた険しい山中に何やら建造物らしきものを確認.ピラミッドか?どこの国のどの場所かは現時点では確定不可.ここからいよいよ物語が始まるという設定だ.つまり「キング・ソロモンの秘宝(※1)」「失われた世界(※2)」「ロマンシング・ストーン」「レイダース」を掛け合わせて四で割ったような作品.勿論,随所に“独自”の見どころをたっぷり用意,後半ラストでは地元軍,ゲリラ,CIA,マフィアそれに“得体の知れない何か”が入り乱れ,意表を突くどんでん返しの連続!・・・とまぁ,こんな映画が作れたらいいな...
(※1)「キング・ソロモンの秘宝」  →1985年米
<出演:リチャード・チェンバレン,シャロン・ストーン,ハーバート・ロム,ジョン・リス・ディヴィス>
<一口メモ:アフリカドンゴラ国,古代イスラエルの王ソロモンが隠したという伝説の宝物をめぐる冒険映画>
(※2)「失われた世界」   →1960年米
<出演:マイケル・レニー,ジル・セント・ジョン,ディヴィッド・ヘディソン,クロード・レインズ>
<一口メモ:イギリスの動物学者チャレンジャー博士一行は,アマゾン上流奥地にあるという失われた世界へ>
《※上記2本は何度も映画化されている》
 
 このところ徳島市中心街にあった老舗の映画館が次々と閉鎖している.まことに寂しい限りであるが,これが世の流れというもの.かく申す私でさえ,現在映画館へ足を向ける回数は,年2〜3回程度といった有様.それもマイカーを横付け出来る,郊外ショッピングセンターのシネマサンシャインに限られる.これからの映画館はどうなるのだろうか?それにしても映画の基本原理・方式は,フランスのリュミエール兄弟が1895年に「シネマトグラフ」,次いでかのエジソンが翌年に「バイタスコープ」を発表した頃と何ら変わりがない.映画とは,映写室の映写機から暗い館内のスクリーンに投影して映すものと決まっている.近未来では予想出来ないような方式に変わっていくであろう.が,私のような古い人間にとっては現方式,つまり暗い館内で鑑賞する雰囲気が性に合ってるし,また変わらないことを祈っている.
 
 
劇 終
 
(2004年12月記す)




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