(総文字数 約73,900文字)

徳島の山
 
はじめに
 
 昭和30年代くらいまでは,どこの山にも木こりさんが入って薪や炭焼きの木を切り出していたものだ.そのため山道はきれいに整備され,かなりの山奥でも平らなところがあれば畑が耕され野菜とか芋などが作られていた.そんな訳で道などなくても山中を自由に歩き回ることができた.やはり山も都市とか住居といっしょで,一度,人の手を加えたものが一旦その手を離れると,荒廃ぶりは急激な早さで進む.現在の山は登山道を少しでも逸れると,ジャングルのようにブッシュやバラが生い茂り,進むのは不可能に近い.さらに最近の登山道は,メインルート以外は登山者もほとんど訪れないので消えかかっている.反面,人が多く訪れるところでは植生が踏みつけられ,荒れるにまかせている.また一部の心無い人によって高山植物が持ち出されたり,まき散らされるゴミ公害に泣かされているのが現状だ.
 当初,私がほぼ15年ぶりに再び山に興味を持ち始め,山に出掛けるようになりだした頃は,主に林道を車で走破するだけであった.いわば,山の雰囲気を手軽に味わおうという安易な手段をとっていた.ちょうどその頃,剣山スーパー林道が全線開通した年であった.全長87.7kmと日本一長いこのスーパー林道が,私にとって大きな刺激になったのは確かである.そんな事情もあり何回か行っているうち,ただ車で走るだけでは物足りなくなり,いつの間にか山登りが主になってきた.
 皮肉なことではあるが,林業が不振となった現在,県内くまなく林道がはりめぐらされている.従来徳島市から登るのに1泊か2泊しなけらばならなかった山が,日帰りで極めて短時間で容易に登れるようになった.このことを喜ぶべきか憂うべきかの議論はさておいて,少なくとも私にとっては歓迎すべき事である.そこで,現在私がとっている登山方法は,マイカーで出来る限り目的の山に近づき,そこから山頂目指して登るというものだ.この方法だと楽であり,あまり時間がかからず,県内どこの山でも日帰り登山が可能である.軽装で,しかもハイキング気分で登れるのだ.
 登山に限らず何か物事を継続するには,大きな目標を掲げるのがよい.それもなるべく多い方が良いだろう.何故かと言うと山登りが一段と楽しくなるし,長続きする.私の場合,まず第一に健康,すなわち足腰を鍛えるため,そして山頂に立ったときのあの壮快感を味わうため,汗をたっぷりかいた後のビール,それから空腹となった腹にはバーベキューが堪えられない,などといろいろある.これは最初の林道走破の頃はカレーとかラーメンなどのインスタント食品が主であったが,登山をするようになってからは,バーベキューがメインとなってきた.
 山を登るのは言うまでもなく本当に苦しいものである.マラソンと同様に自分は何故このようなしんどい事をやっているのだろうかと,絶えず自問自答しながら足を運んでいる.しかし,いずれにせよ,たいして金もかからず,体のためにもよいし,自然の中に存分に浸っていられるという利点は,他のスポーツでは得られないものだ.私は無趣味な人がおれば,登山とまではいかなくても,気軽に近くの山に登るようにと勧めている今日この頃である.
 
 
 
VOL.1
【 初の登山,初のバーベキュー/矢筈山 】
1987年5月21日 木曜日 天候 晴
矢筈山 標高 1,848.5m 
徳島県美馬郡一宇村〜三好郡東祖谷山村
 
 矢筈山は私にとって最初の本格的登山となった,記念すべき山である.なんでも県下で5番目に高い山なのだそうだ.それから山頂からの眺めは天下絶景?であると,以前より友人から聞いていたことが,この山を最初の登山に選んだ主な理由である.今まで登山と言える山登りは,学生の時,仲間と登った剣山縦走及び石槌山縦走ぐらいなものである.従って今回の登山は,何と18年ぶり!となる.そのころは徳島市から矢筈山に登るには,1泊しなければならなかったそうだ.が,現在は落合峠を越えて東祖谷山村落合まで林道が開通しており,日帰りで,手軽に登れるようになった.
 
 さて,同行したのはいままで数回,林道ドライブを共にしたK君である.我々は落合峠コースから登ることにした.三加茂町から桟敷峠を越え,標高1,520mの落合峠に到着したのは,10時ちょっと過ぎであった.登り口には烏帽子山,寒峰,及び矢筈山への案内標がある.矢筈山への道は,まず,すぐ東に位置する目の前の小高い丘へと登りつめている.ここで早くも我々は息は絶えだえ,足はガクガクになり,これから果たして3時間近くも歩き続けられるのか,いささか自信がなくなってきた.しかし,これ以降は,低い熊笹の中を尾根伝いに歩く,快適なコースとなった.ツツジも所々で花を咲かせている.山歩きはこのように右も左も開けた尾根を歩くのが一番ではないだろうか.
 
 この尾根道が終わると木立の中へと道は続く.しばらく歩くといきなり急坂に変わる.ここは登ると言うよりも這い上がる,またはよじ登ると言った方が,表現としてはピッタリあてはまるだろう.途中2回,しばしの休憩をとる.この区間はルートで一番苦しいところである.登りきると,サガリハゲ山へと続く峰の北斜面をトラバースする.いつかこの山にも登らなければならない,と考えてながら黙々と歩く.このあたりは雑木とか笹のヤブが生い茂り,歩きにくいし,道は分かりにくいところだ.この二つめの難所をやっと過ぎると,次はヤセ尾根にでる.比較的見通しが良いので,再びここで小休止する.南に霧谷川方面が一望できる.
 
 さらに先へ進むと,岩の多い尾根道となる.踏み跡に忠実に従って行くと,岩の上に出てしまった.高さ3m以上は有るだろうか?降りるに降りられない.幸い,すぐそばに1本の木が延びていたので,その木を伝って降りる.妙な登山路があるものだなと不思議に思いながら通過.わざわざこんな苦労をせずとも,やはりちゃんとしたに安全な廻り道が下にあったのだ.当然,帰りはこちらの迂回路を採ったのは言うまでもない.
 
 そびえ立つ巨岩が見えれば,山頂はもうすぐ近くである.この岩はかなり遠くからでも見えた.しかし,遠くからでは岩とは判別しにくい.何かの木が繁っているように見えた.頂上へ至る道はこの下を通っている.山頂はあまり広くはないが,聞いていた通り,周囲に遮るものは何もない.5月中旬とはいえ結構蒸し暑く,あまり風が吹かないので暑い.
 
 頂上のすぐ北に矢筈の名の由来となったと言われている,大きな岩がある.この岩の上に立つと彼方に落合峠が遠望できる.随分と遠くまで来たものだと感心すると共に,また,あそこまで帰らなければならないのかと思うとため息もでる.やはり同じ道を帰るのは少し退屈だ.出来れば帰りは反対側に下るとか別のルートをとりたいものだが,車で来ている以上いた仕方ない.なお,この岩は形が矢筈に似ているらしいが,はっきりそういう風には見えなかった.それよりも来るときにあった矢のように突き出ている岩が,そうではないかとも思われる.
 
 登りは2時間30分かかったが,復路の峠までは1時間30分で帰れた.さあ,これから今回初めてとなるバーベキューの準備をしなければならない.バーベキューの材料は24時間スーパーで出発時に買い込んでおいた.去年までの林道ドライブではインスタント食品が主流だった.炭をおこすのも初めてなので,いささか手間取り少々焦る.青空のもと,5時頃までテレビを見ながら寝ころがって,くつろいでいた.まさしく今日は煩わしい仕事のことなど忘れて,命の洗濯が存分に出来た.
 
 
 
VOL.2
【 ラクダのこぶ?それとも砂丘?尾根を越えて塔の丸 】
1987年9月22日 火曜日 天候 晴れ
塔の丸 標高 1,713m 
徳島県三好郡東祖谷山村
 
 塔の丸へは,夫婦池の少し手前に標識があるから,そこから登る.今回からひとりメンバーが増えて三人で登ることと相成った.登山道はきれいに刈られており歩きやすい.ずうとこのような道が続いているのかと思っていたが,やはり,整備されているのも途中までで,以降はヤブの中を歩かなければならない.しかし,それもしばらくの間で,すぐに背の低い笹に変わり,見晴らしはグッと良くなる.足元のササは露を含んでいるので,みるみるまにズボンの膝上まで濡れてしまった.
 
 本日はトランシーバーを持参してきたのだ.なぜかと言えば,前回の三嶺登山のとき,K君が道を間違えたためである.今日は絶えず連絡をとりながら行動しよういうことだ.しかし,K君の持ってきたトランシーバーは旧式なもので重いことこのうえない.さらにアンテナが 1.5mぐらいあり,延ばして歩くと枝にひっかかり,邪魔になる.トランシーバーは本日限りで,二度と再び持ってくることはなかった.
 
 登山道は尾根に沿って続いているので,すぐに周囲は開けてくる.途中にある剣山スキー場のリフト降り場を,右手下方に見ながら歩く.アップダウンもあまりなく,快適である.しばらく塔の丸を遠望しながら歩く.その光景はまるで砂丘の連続のようにも思える.ところが今まで晴れていたのに急に霧がかかって,見えなくなってしまった.ひたすら先を急ぐことにする.一つの峰を越えると,また次の峰が現れるといったことを何度も繰り返す.あれが頂上だと思っていると,さらに別の峰が現れるといった具合いで,結構距離はあるみたいだ.
 
 それでも頂上には1時間30分で到着することが出来た.やはり1時間30分程度で登れる山が最も手ごろであると考える.1時間では物足りなく感じるし,かといって2時間を越えると少々しんどくなる.幸い,再び太陽が姿を現してきた.山頂はなだらかで西にやや大きな岩が突き出ている.この岩の上に立って眺める景色はまた格別である.周囲は遮るものがなく,展望は極めて良好.三嶺がひときわ高く彼方にそびえ立ち,名頃ダムの湖面が眼下に光り輝いているのが望める.北側に目をやると小島峠へ至る白井林道が,山肌に白い軌跡を描いているのが一番に目につく.この林道はちょうど去年の紅葉の頃,車で走ったことがある.残念ながら剣山は白い帽子をかぶったように雲に覆われていた.
 
 缶ビールを一気に飲んだ後,コーヒーをゆっくり飲んでくつろぐ.が,いつの間にか,やたらとハエやアブなどの虫が我々の廻りにたかってきたのには,少々閉口した.標高1713mのこの地点の気候を考えると,かなりきびしいはずである.普段何を餌とし,どのように寒さをしのいで生きているのか見当もつかないが,改めて虫たちの生命力の強さに感嘆した次第である.日常生活ではこのようなことは考えたりもしないが,山に登るとこんな些細なことまで考えたりするのは,やはり心にゆとりが生まれたせいか?と思いたい‥‥再び霧がかかりだしたので,頂上で記念写真を数枚撮ってから下山を急ぐ.
 
 せっかく重いトランシーバーを持ってきたので,K君には先に行ってもらい,お互い連絡をとりながら私とH君は後から歩く.しかし,最後にはいささか返事をするのがめんどうくさくなってきたのは,否定できない事実であった.しかし,そのおかげで帰りに要した1時間は,きわめて短く感じた.
 
 来るときに目をつけておいた,夫婦池のすぐ近くにある,第3駐車場の奥まったところで恒例となったバーベキュー宴会を開く.この場所は三方木立に囲まれているので,展望はダメであるが落ち着けるのがよい.宴会は5時頃まで続いた.今回,初参加のH君はこの宴会がいたく気に入り,これからも必ず参加することを宣言した.このことを最後に付け加えて今日の報告を終えるとしよう.
 
 
 
VOL.3
【 雲早山から神通の滝へ,は無理だった 】
1.1987年10月7日 水曜日 天候 晴れ
 雲早山(くもそうやま) 標高 1496m 
 徳島県那賀郡木沢村〜名西郡神山町
2.1988年6月9日 木曜日 天候 曇り後雨
 神通の滝 徳島県名西郡神山町
 
 神山町の寄井から野間殿川内林道に入る.この林道は上勝町の落合まで旭ノ丸峠を越えて通じており,この旭ノ丸峠で剣山スーパー林道に接続している.なお,言うまでもないが剣山スーパー林道の起点は落合側になっている.寄井より走ること50分ほどで”四国の道”の一部に組み込まれている旭ノ丸展望台に着く.このあたりですでに標高1,000mある.ここから徳島市及び鳴門方面が一望に見渡せる.本日は好天に恵まれたので徳島市のシンボル眉山がよく見える.東には中津峰へ至る尾根の稜線が続いている.エンジンを止めると飛行機の爆音が聞こえてきた.市内のように騒音がなく静かなこともあるだろうが,おそらくこの上空は航路になっているに違いない.頻繁に爆音が聞こえてくる.山に来るといつも感ずることのひとつだ.
 
 旭ノ丸頂上直下にスーパー林道との合流点がある.ここから土須峠まで6.5kmだ.雲早山への登山口はこの林道沿いにあるわけだ.標識を見落とさないよう注意しながら進む.登山口を示す小さな標識は谷にかかる橋を渡った,たもとにあった.林道脇に駐車し,登山靴に履き替える.
 
 登山道はこの小さな谷に沿って登っている.登り始めた直後,早くも我々は,道を間違えてしまった.ここは谷を渡らず,そのまま登らなければならないのだ.この北斜面を登る途中に,苔むした石積みがあった.これは私の考えだが,雲早山が見張り台に使われていた遠い昔の頃,何かの建物の土台としての役割を,なしていたのではなかろうか?ビデオを撮っている間に,同行者のK君とH君はどんどん先に行ってしまった.私は首にカメラ,片手にビデオを持っている.さらに,写真とビデオを交互に撮りながら登っているので,どうしても彼らから遅れる.姿が見えなくなったので急いで後を追うが,何しろ急坂のため足を思うように運べない.時々,彼らは立ち止まって待ってくれている.が,やっと,私がゼーゼー息を切らしながら追いつくと,彼らはさっさと先に行ってしまうのだ.これでは私は全く休む間がない.苦しいことこのうえない.何とも意地の悪い奴らではないか!
 
 稜線にやっと辿り着いた.左へ行けば旭ノ丸(高根)・高丸山方面への縦走路,右は雲早山である.比較的新しい標識が立ててあった.ここから先は熊笹が密生しているので,少々歩きにくくなる.道は笹に覆われかき分けて進む.左に高丸山が見える.雲早神社の傾きかけた鳥居の下を通る.木立の下を登り詰めると山頂だ.小さなホコラが正面に鎮座している.まわりは雑木が生えているので,展望はあまり良くない.西の方,高城山方面はまあまあ開けているので,背伸びをして見る.その山腹にスーパー林道が続いている.
 
 ビールを飲んだあと,いつものようにコーヒーを飲む.いつの間にか,あたりにハエなどのうるさい虫共がたかって来た.それでも我々は1時間近く山頂でくつろいでいだ.休憩中,私はまだ時間が早いので,「神通の滝へ入ってみないか」と提案した.神通の滝はいままで一度も行ったことはなかったし,地図でみるとスーパー林道のすぐ下に位置しているので,これは簡単に行けると思ったからだ.この際だから,ついでに見ておこうという訳だ.みんなは異議なく賛成した.下山に要した時間は30分ほどであった.滝へ下る道は土須峠の少し手前にある.土捨て場のある,林道が大きく湾曲した所だ.ここがどうやら旧土須峠らしい.
 
 この登山道は中津というところから雲早山へと延びている旧道だ.少し荒れているが幅も広く,所々石垣も築いてある.ちょっとした遊歩道のようだ.しかし,足元は一歩足を滑らせば,なかなかこらえてくれそうもない峡谷だ.ドードーという水の流れる音が聞こえてくるので,滝は近いなと思いながら歩くが,道は一向に下る気配がない.逆にだんだんと谷から遠ざかっていくようだ.それでもどんどん進むと,高圧線の鉄塔に出てしまった.鉄塔からはつづら折れの登山道に変わり,一気に下に向かっている.どうもこれは四国電力の保守点検用の道みたいだ.構わず先に行くと下に神通谷川が見え,谷に沿ってついている林道も見えてきた.ずいぶん下まで下ったものだ.このまま行くと本当に下まで降りてしまいそうなので,残念だがあきらめて引き返すことにした.どうやら滝へ行くには,一旦,下の林道まで下りなけれならないようだ.神通の滝は次回にまわすことにしよう.
 
 私とH君はもうすでにグロッキーになっていたが,K君はまだまだ余力があるみたいなので,鉄塔から先に行ってもらう.バーベキューの準備をしてもらうためだ.重い足を引きずりながら戻ったときは,体力の限界ギリギリだった,と思うほどの疲労感を覚えた.
 
 K君は林道の脇で道具を開け,準備していた.聞くと,予定していた土捨て場の広場より,ここのほうが日陰もあるので涼しい.どうせ車は通らないだろうという内容の意見を述べた.なるほど,そうかも知れない.テーブルと椅子をセットし,30分後にはバーベキュー宴会が始まったのは言うまでもない.
 
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 あれから9ケ月後,我々三人はやっと神通の滝目指して出発することが出来た.ここへは川又から林道神山−木沢線を通り,中津から左折して林道神通線に乗り入れる.しばらく行くと神通谷川が左手に見え,川に沿って道は続く.旧神通発電所のダム跡が見えればもう近い.滝の入口には,丸太小屋風の酒落たトイレがある.ここから遊歩道を15〜20分ほど歩くと滝に着く.きわめて簡単に行けるのだ.水量は豊富で,滝壷のそば迄行くと水煙がものすごく,見る間に服がびしょ濡れになる.
 
 ガイドブックによると滝は二段になっており,上の段と下の段があるらしい.今,我々が見ているのは下の段の滝ということになる.それでは上の段の滝も行こうということになった.しかし,付近にはそれらしき道は見あたらない.少し引き返した地点で,急ではあるが,何とか登れそうな斜面を見つける.私が先陣を切って,枝や草につかまってよじ登っていく.ここを登るだけで,すでに汗だくになってしまった.今日はものすごく蒸し暑い.さて,次に石がゴロゴロしたザレ場の斜面を登らなければならない.この区間は気を付けて足を運ばないといけない.少しでも注意を怠ると,石を蹴り落とすことになり,後続の者が危険な目に会う.そこを何とか過ぎて,上を見上げる.次の岩場を越えれば上に出られそうだ.比較的容易に登れそうな岩の下まで行き,後の二人を待っていると,最後尾を登っていたH君が手を振って叫んでいる.
「もう,やめよう!こんなことして怪我したら損だぜ!」
それもそうだ.我々は何もこんな危険なことをする必要はないのだ.彼の意見を尊重して,潔くキッパリ諦めることにした.
 
 帰りはK君が一番に行き,次にH君,最後は私だ.石を蹴り落とさないよう慎重に降りる.中程まで下りてきたときだ.下の遊歩道までもう少しというところまで下りていたK君めがけて,突然,子供の頭大の石が転がっていったのだ.声をかけたが,もう遅い.一瞬私は目をつむった.どうなったか?幸いなことに,K君の1mぐらい先を石は落ちていったのだ.ヤレヤレ,全く油断は禁物.少しの気の緩みが,事故を引き起こすことになることを,身を持って体験したひとコマだ.ここだけの話だが,落ちた石は,上で待っていた私が,ほんの少し足を動かしたばかりに転げてしまったのだ.すんでのところで過失致死・傷害罪に問われるところだった.いや,まったく寿命が縮んだ思いがした.後でK君にこのことを話すと,彼は石が落ちたことなど全く気付かなかったそうだ.
 
 まだ10時になったばかりで,時間が充分にあるので林道の上にある展望台に行くことになった.林道を歩いていると,ついに雨が降り出してきた.朝は陽も照っていたのに,やはり梅雨時の天気は当てにならない.今日は梅雨に入って3日目だ.ダム跡近くにかかっている橋のそばから,カッパを着て登っていく.展望台は林道を真下に見おろす断崖の上にあり,渓谷美を楽しめる.去年,我々が下ってきた鉄塔も見える.あそこからつづら折れの道をかなり下ったので,もう少し辛抱強く歩いておれば,神通の滝までは少しの距離だったのだ.
 
 そうこうしているうちに,11時が過ぎたのでそろそろバーベキューの段取りをしなければならない.雨が降っているのでまず場所の選定が重要課題だ.最初,私を除く二人は滝の登り口にある小屋の中でしようと言い出した.しかし,私はせっかくアウトドアを楽しみに来たので外がいいと主張する.そこでもう少し林道を車で登ってみることにした.林道は神通谷を越え,大きく曲がった先で途切れていたので,その終点ですることになった.雨は降ったり止んだりであったが,霧が出てきた.車の後部のはね上げドアとビーチパラソルで雨をしのぎ,なんとか野外宴会を始めることが出来た.ビールを飲むにつれ,いつしか雨のことは気にならなくなっていた.突然,私は後ろに倒れてしまった.この場所はやや傾斜があるので,私が後ろにもたれた瞬間,イスごとあおむけに転けたのだ.もう少しで林道から転げ落ちるところであった.危ない,危ない.危機一髪でセーフであった.今日は,なにかと事件の起こる一日だ.
 
 なお,天気について一言.6月の天気にしては珍しく,その明くる日から2週間ほど快晴の日々が続いたことを,一応報告しておこう.
 
 
 
VOL.4
【 二度目の正直/三嶺はまだか? 】
1回目…1977年 7月24日 金曜日 天候 雨
2回目…1977年10月23日 金曜日 天候 晴
三嶺(みうね) 標高 1,893.4 m
徳島県三好郡東祖谷山村〜高知県香美郡物部村
 
 三嶺への登山道は,平尾谷林道の終点からが最も近く,よく整備されている.ここへは国道439号線,東祖谷山村の名頃ダムのすこし下に三嶺への標識があるので,これに従う.祖谷川にかかる橋を渡ってすぐに右手に猪豚牧場がある.しばらく猪豚を見物した後,さらに平尾谷に沿って車を走らせる.途中にも三嶺への登山口はあるがそのまま通過する.国道から20分ぐらいで終点に着く.ここからだと1時間半もあれば十分頂上に着くことが出来る.また白髪分岐への登山口でもある.環境庁と徳島県が立てた剣山国定公園の案内板があり,ベンチも二つ設置されている.近くには谷川もありキャンプするにはちょうどよい所だ.
 
 実を言うと,この三嶺登山は今年2回目である.1回目は7月24日にアタックした.この日,徳島市を6時30分頃出発し,神山から川井峠を経て木屋平村に入り,コリトリからつづら折れの道を登って行くまでは夏の太陽がさんさんとふり注いでいた.だから『今日は暑くなるだろう』とか『日焼けに注意しなければ』とか『汗をかいた後のビールはまた格別!』などとしきりに心配たり楽しんだりしていたのだった.ところが見の越も近づき剣山方面に目をやると,どんよりと雲っている.しかも山頂には厚い雲がかかっているのが,大いに気にかかり始めた.今日はガスがかかるかも知れないから,遠くの景色はあまり見られないなとK君と話したりしながら車を走らせていた.
 
 突然,晴れているのにポツリポツリと雨が降り出したのだ.見の越トンネルの手前で雨雲がかかり,とうとう本格的に降ってきた.トンネルを抜け東祖谷山村に入る.このあたりから眺める三嶺・塔の丸方面は雨にけむっていた.まあ,そのうちにやむだろう,心配することはないと呑気に構えていた.しかし,三嶺が近くなるにつれ雨足はひどくなるばかりで,一向にやむ気配はない.ついに林道終点の登山口に着いた.ここで登るか,はたまた中止するか,K君とふたりで30分ほど考えた.そのうちすこしばかり小降りになったので,意を決して登頂することにした.雨が降るなか準備を整え,カッパも着込み出発する.最初から急坂が続き,カッパの下はたちどころに汗びっしょりになってしまった.それでも脱ぐと雨に濡れるので我慢していたが,20分も過ぎた頃,暑くてたまらず二人ともとうとうカッパの上着だけ脱ぐことにした.幸いこのころになると,雨は降ったりやんだりの状態になったので,まずは一安心だ.
 
 三嶺山頂近くになるとガスがたちこめ風も強くなる.時折,横なぐりの雨が降る.まるで台風のような天候になってきた.昭和36年第5回全日本登山大会のときに建てられたという,赤い屋根の県営ヒュッテが池のたもとにある.名頃側から登れば丁度この小さな池の正面に着く.当然無人と思っていたヒュッテに,人がいたのには少し驚いた.相手も突然の来訪者に同様に驚いていたようだ.何でも京都から来たという高校生風の男3人,女2人のパーティーで,昨日から泊まりこんでいたらしい.昨夜は風が強く小屋がグラグラと搖れ,ほとんど眠れなかったらしい.今日剣山まで縦走するつもりだったが,悪天候のため明日に延期したと語った.
 
 我々もいつ雨が降り出すかわからないので,すぐに山頂目指して出発する.しかし,視界は10メートル程しかなく,どっちが山頂の方向か,皆目見当がつかない.ときたま突風がふきすさび,吹き飛ばされそうになったりして,思わずヒヤッとする.それでも足元の道をたどりながら進むと,無事山頂についた.早速小雨降る中ビールを飲み,続けて岩陰でコーヒーをたてる.この間約30分,急いで下山する.頂上直下にここで遭難した人たちを悼む慰霊碑がある.我々もこのようにならないようにと祈りながら,反対側は絶壁の尾根筋の道を下って行くのであった.
 
 下山に際してはいつもK君に先に行ってもらっている.少しでも早く降りてバーベキューの炭火をおこしてもらうためだ.今日も池のところまでは二人一緒に来たが,ここから以降はK君がスパートしだした.『いや,元気なものだ.たいして若くもないのに』などと感心しながら,私はマイペースでゆっくり降りる.下りは上りの時ほどせこいことはないが,最近すぐに膝がガクガクになって痛くなる.そういう訳でいつも元気なK君には先に行ってもらっている.ゆっくり歩いても1時間ほどで下りることが出来た.
 
 車を見おろせるところまで来たが,まだ煙が立ち昇っている様子がない.変だなと思いながら車のそばまで,急ぎ足で近づいた.なんとK君の姿が見えない!はて,どこか散歩にでも行っているのかなと思いながら,とりあえず登山靴を脱ぎ汗を拭く.しかし,10分待っても20分待っても帰ってこない.どうやら彼は道に迷ったらしい.『これはえらいことになった.さあ,どうしたらいいのだろうか?途中,霧は出ていたが道に迷うような所はなかったはずだし,どこかで一服しているうち,うさぎと亀の話のようにいつの間にか追い抜いてしまったのだろうか?それとも足を滑らして滑落してしまったのか?彼の所持している装備からすると1日や2日の間は大丈夫持ちこたえるだろう.しかし一応,名頃まで行って捜査を依頼しなくてはならない.まったく困ったことになったものだ』などと思いをめぐらし,イライラソワソワしながら1時間ぐらい待っていた.
 
 ともあれ捜査を依頼する前に,まず自分で捜査をしてみようと思い立ち,登山靴をふたたび履くためにかがみこんだ.突然,後ろの方で声が聞こえた.
「お待まちどう!」
なんとK君が立っていた.全身汗びっしょりでえらく息せき切っている.
「アレッ!いったいどしたんぞい?心配しとったんぞ,ほんまに!」
私は思わず大声でどなってしまった.彼は,ずれたサングラスを持ち上げ持ち上げ
「いやあ,どえらい目にあった.林道登って来るのに40分もかかってしもうたわ!」
そう言いながら明るい笑顔を無理につくっているように見えた.
私は一瞬,K君の言っていることの意味が理解できなかった.なんで車に乗って来たこの林道を,彼は歩いて来たのか?落ち着いて話を聞くと,やはり道に迷ったらしい.この林道終点の登山口から標高1500m地点まで登って行くと,尾根にでる.ここで名頃から通じる登山道と合流するのだが,名頃へ下る方が道がずっと広い.K君はこの合流点で右に行かなければならないところを,まっすぐ名頃へ行ってしまったのだ.まったく呆れ果てた奴,注意散漫,あわて者,とろこい奴などと罵倒する私であった.が,なにはともあれきょうの無事を祝い,バーベキューを前にビールで乾杯する私たちであった.
 
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 それから3ケ月後,再び三嶺目指して行くことになった.今回はK君の他に雲早山の時から参加し出したH君と3人である.途中にあった樹齢百年を超えるという「たぬきのかんざし」という変わった名の大木がある.7月末に登ったときは青々とした葉をつけていたが,今はたくさんの赤い実を実らせている.頂上直下の登りは相変わらずきつく,池の正面にまで来た頃は皆,ヘトヘトになっていた.池のほとりでしばし一服し,心臓の鼓動を静めたのは,前回と全く同じパターンである.
 
 一段落したのち,山小屋経由で北の端を通り頂上へ向かう.このあたりは台地状になっており,一面低い熊笹に覆われている.北側から見ると逆光のため笹の葉がキラキラ光り,風が吹くたびに表面の反射光が微妙に変化し,しばし足を止め見とれる.中央付近のくぼんだところには背丈ほどの笹が生い茂っている.無理にそこを通らなくとも山頂に行けるのに,わざわざ我々は笹藪の中に分け入って行く.
 
 山頂にはすでに二人の先客がいた.一人は三脚をすえて,しきりにシャッターを切っている.もう一人は気持ちよさそうに昼寝をしている.三嶺頂上からの展望は天下一品であると言っても過言ではない.特に今日みたいな好天に恵まれると,なおさらその感は強い.車で来るときに通ってきた国道439号線沿いにある名頃ダムの水面が,キラキラと光って見える.反対側の西に目を向けると,西熊山から天狗塚へ至る峰がなだらかでやさしい曲面を構成し,いつまで見ていても飽きない.ずっと腰を落ち着けていたい気分になる.この付近にはコメツツジが群生しており,夏には花を咲かすということだ.自慢ではないが,私は草木については全く知識がない.そこで毎回一つぐらいは何か草木の名を覚えて帰るよう,努めている.今日はこのコメツツジを覚えることにしよう.
 
 南側の白髪山方面が望める位置に座り,リュックから缶ビールとポテトチップスを取り出す.雄大な景色を見ながら飲むビールの味は,また最高である.そうこうしているうち,昼寝していた人が起き出してきた.この人は高知の西熊側から,なんと3時間30分もかけて登ってきた,と話していた.徳島側の名頃からだと1時間30分で登れることを知ると,しきりとうらやましがっていた.これから白髪分岐まで下り,車を置いてあるところまで帰るのだと言う.軽やかな足取りで三嶺南面の急坂をさっさと下りて言った.年の頃は50を越えていたようであるが,「いや,達者なものだ.年はとってもああでなければ.我々もあやかりたいものだ.」という思いを抱きながら,姿が見えなくなるまでずっと見送っていた.もう一人の写真マニアはカメラを担いで,西熊山方面へ行ってしまった.そのうち寒くなってきたので防寒着を着込む.K君がドリップ式でたててくれたコーヒーを飲んだのち,下山する.
 
 帰りは南の端を通る.前回と同様に炭を起こすため,K君には先陣を切ってもらう.よもやもう二度と道を間違うことはないだろう.我々二人が車のところまで戻ったときは,すでに煙がたなびき炭はおこっていたので,即,バーベキューを始めることが出来た.めでたし,めでたし・・・
 
 
 
VOL.5
【 アゲーンストネイチャー/決死の登山行 】
1988年4月6日 水曜日 天候 晴れ
石立山(いしたてやま) 標高 1,707.7 m
徳島県那賀郡木頭村〜高知県香美郡物部村
 
 私は今日ぐらい,どえらい目に会ったことはかつて経験したことはない.山頂まで所用時間3時間30分〜4時間,上級者向けの山ということは予備知識としては知っていた.おおかた2時間30分〜3時間ほどあれば十分山頂に着けるだろうと,まことに安易な計画をしていたのだった.しかしこれにはちゃんとした根拠がなかった訳ではない.以前,落合峠から矢筈山に登ったとき,ガイドマップには3時間と記載されていたが,2時間足らずで登頂できたからである.一体どれくらい,えらい目に会ったかは,後で述べることにしよう.
 
 さて,いつものようにK君とH君の3人で登ることにする.石立山登山コースのひとつである徳島県側の日和田コースを選ぶ.国道195号線,四ッ足峠トンネル手前に登山口の標識が立っている.かなり大きめで目だつから見落とすことはない.
 
 準備を整え9時ジャスト,いよいよ山頂目指して登り始める.十分ほどで日和田部落に着く.手入れされた段々畑があるが今は人の住んでいる気配はなく,廃村となっているようだ.ここに分岐があり左に行くと四つ足道峠,右が石立山へと向かう登山道だ.部落をすぎるとうっそうとした杉林に入る.昼なお暗きとまではいかないにしても,太陽の光はほとんど差し込んでこない.しばらくして小さな谷を渡る.水量は充分にある.この谷を渡るとまもなく私は急に下痢症状になり,便意を催してきた.二人に先に行ってもらい,急きょ,杉林の中へ用を足しに行く.
 
 杉林の道は予想外のジグザクの急坂で,俗にいう胸突き八丁というやつで腰を下ろしての休憩を途中何回も取る.14年ほど前に標高 1,123mの高越山に登ったことを思い出す.あの山も上り一点張りで非常に苦しかった.日和田が海抜700m弱ぐらいだから1,000mも登らなければならない.高低差にして高越山とほぼ同じくらいかな?おまけに腹の調子はかんばしくないし,これから先が思いやられるぞ,などといろんなことを考えながら登る.歩いては立ち止まり,また歩くといったことを繰り返す.このころになると汗びっしょりになる.リュックを下ろしてから次に担ぐとき,汗に濡れたシャツがベタッと背中にくっつくのは,まことに嫌な気分である.
 
 杉林を抜け,まわりが雑木林に変わり,しばらくすると尾根筋にでる.ここまで1時間半もかかった.このあたりでやっと展望が開け北にジローギュウー,丸石,高ノ瀬,東の那賀川沿いに木頭村の村落が望まれる.石立山はまだ見えない.ここから尾根づたいに再び急坂を登り始める.1時間ほどで赤いトタンの壁の,ほとんど錆びているが,避難小屋に着く.このあたりから笹薮に覆われた道になり,石立山の山頂が姿を見せ始める.小屋の右手をぬける.ウグイスのさわやかな鳴き声が聞こえてくる.一方,カラスの陰気な鳴き声もやたら聞こえてきだした.10〜20m歩くとしばらく立ち止まり小休止をするといった具合で,時間が経つばかりでいっこうに前に進まない.しかし,そんなことを繰り返しているうちに,山頂もいつしか近づいてきたようだ.山頂直下付近は背丈ほどの熊笹に覆われ道が分かりにくい.ところどころ,木の枝に巻いてある赤いビニールテープが唯一の道しるべだ.それに従って行くと,踏まれたような跡が微かに残っているので,その通り進路を取る.滑るので足元を見ると,なんと雪が固まって氷となっている.行く手を阻む笹を,あえぎあえぎかき分け進むとやっと頂上に到着だ.
 
 頂上には12時30分にたどり着いた.登り始めてから3時間30分もかかったことになる.昔は見晴らしがよかったのだろうが,ここも他の山同様,以外と展望は悪くなっている.周囲は背丈ぐらいの熊笹に囲まれ,さらに北側はダケカンバの潅木が一面に生えている.頂上のまわり2坪ぐらいの範囲だけ,笹が刈られている.
 
 予定時間を大幅に過ぎてしまったので,あまりゆっくりしてはいられない.が,体力の限界をはるかに超えてしまったので,一歩も歩く気力はない.当り前のことだが登った以上,自分の足で下りて行かなければならない.そのことを考えると全く憂うつになる.ビールを飲んでコーヒーをたててくつろいでいると,あっという間に1時間が過ぎてしまった.結局1時30分過ぎに下山の準備を始めた.帰りは高知へ下る別府コースを選んだ.しかし,K君は別府峡まで車を回してもらう手筈なので,来たときと同じ道を採ることにした.当初の予定では3人一緒に高知側に下りることにしていたのだが,別府から日和田まで結構距離はあるみたいだし,第一,1,857mと長いトンネルを歩くのは危険であるとK君は主張した.なるほど,言われてみればその通りだ.私は一応常識的判断するぐらいの思考力は,兼ね備えているつもりであるが,なぜかこのことについては気が付かなかった.今思えば不思議なことである.いずれにしても,このK君のとった勇気ある行動は正しかった.後,下山してから大いにK君に感謝すると共に,その思慮深い人柄を見直すことになろうとは誰が予想し得たか?
 
 我々二人は,尾根づたいに再び笹をラッセルしながら北へと進む.20分ぐらいで徳島県側に位置する捨身ケ嶽(しゃしんがたけ)という名の断崖絶壁が,潅木を通して見えはじめる.石の壁がまるで屏風を立てたように立ちはだかっている.石立山という名の由来はここから来たのだろうとひとり納得したりする.灰色の石灰岩からなるこの断崖をじっと見ていると,なにか異様な不気味さに襲われる.谷底まで覗いてみようという気はなぜか起こらなかった.北のピークまで行くと石立山の山容がよく見られる.
 
 ここから大木のある林の中を西へと下る.このあたりまではまずまずの快適なコースが続く.ここを過ぎると尾根にでる.これからが予想以上に極めてきつい.高さ数十メートルはあるヤセ尾根を行く,馬の背コースの連続に変わる.切り立った石灰岩がゴロゴロころがり,まるで河原のような,そんなところをやっと越えてホッとする間もなく,次は大岩の上や側面を這って下りる.岩場に張り付くように生えている木の枝や根にしがみついてでなければ通過できない.狭いところでは幅が数十cmしかないので,細心の注意を払い,確実に足元を確保して下りて行かなければならない.一歩間違えば谷底にまっさかさまに転落ということになりかねない.二人で下りる場合,後から続く者が石を蹴落とす恐れがあるので,ある程度距離を開けて,交互に降りて行かなければならない.足は爪先が痛くなり膝も痛い.足が棒のように疲れて持ち上がらない.そんな時に爪先を石にぶつけさらに爪先が痛くなりジンジンしてくる.
 
 そんなことを何度繰り返したかわからない程,ヤセ尾根の連続が続く.いい加減うんざりしてくる.途中,何回か展望がひらけ別府峡が眼下に広がる.しかし景色を楽しんだりスナップ写真を撮ったりする余裕はまったくない.そんな気力は,とっくにどっかにふっとんでしまっている.さらにその上,喉が痛いほどカラカラに渇き出す.ビールも飲んでしまったし,持ってきたポカリスエットは,すでに登り途中で飲み干してしまった.コーヒーをたてた残りの水はK君が持ち帰っている.ダブルパンチをくらったようなものだ.
 
 この尾根伝いの難路はリュウズ谷という涸れ谷まで続く.この谷を渡ると以降,まともな登山道になる.が,体はガタガタ,ボロボロ,足も痛くてたまらなくなる.登りはまだましだが,下りになると途端に足に堪える.重い足を引きずりながらヨタヨタ歩く.渓谷に架かる赤い吊り橋が眼下に見える.K君が待ちくたびれているといけないので,H君には先ほどの谷から先に行ってもらった.しかし,その姿は吊り橋付近に見えないので,もう渡っているのだろう.やっと橋までたどり着いた時は,すでに4時20分になっていた.
 
 K君は駐車場の端でバーベキューの準備を始めており,すでに炭火もおこしていた.聞けば彼は1時間半ほどで日和田まで下山したということだ.それから別府峡まで車を回し,吊り橋の前で1時間近く待っていたが,あまり遅いのでしびれをきらし,準備に取り掛かったということだ.別府峡から日和田までの距離は,地図の上では大したことはないが,やはり実際にはかなりあったのだ.車でとばしても10分は優にかかる.とてもこれからトンネルを越えて日和田まで歩いて行けたものではない.そこで本日に限り,彼の功績と栄誉を讃え『救世主K様』と呼ぶことに決定!
 
 今までの登山では,遅くとも午後2時ぐらいまでには下山していた.今日は2時間半もオーバーしてしまったので,早く片付けて帰らなければ遅くなる.だが,私の疲れは極限にまで達していたので,ビールだけはすぐに飲み干したが,バーベキューの肉や野菜は,すぐには食べることができなかった.谷の冷たい水で足を冷やしたり,着替えをしたりして薄暗くなる6時30分まで遅い昼飯と休息をとった.
 
 私はその後3日間は頭痛と発熱,それに肩が凝ったのか歯がうくし口中に炎症ができたりで,さんざんな目に会った.1週間は熱いものと固いものは食べられず,もっぱら冷えたお粥を主食とした.口内の炎症が完治したのは1カ月後だった.以前,新聞で読んだ記事の内容だが,山で遭難したある人は疲労と恐怖の極限に陥り,何日ぶりかに救出された時には,胃に穴が開いていたという.限界を超えると体のどこかに,こういった影響が表れるのだろう.で,他の二人はどうであったかというと,K君の場合は3〜4日足が痛く歩くのに苦労したのと,胃の調子がちょっと悪くなり唇のはしに口角炎ができたと言う.H君は足が痛かったぐらいで別になんともなかったらしい.
 
 なぜか私だけえらくひどい目に会ったが,それにもかかわらず,しばらくして時が経つと,喉元過ぎれば何とやらで,『もう一度石立山に登ってもいいなあ』と思うこの頃である.やはり苦労して登った山ほど,どこか引き付けられる魅力があるものだ.
 
 
 
VOL.6
【 縦走/テンティング…烏帽子山から落合峠へ 】
1988年5月9日〜10日 月〜火曜日 天候 晴れ/雨(10日)
烏帽子山(えぼしやま) 標高 1,669.9 m
徳島県三好郡東祖谷山村〜三好郡西祖谷山村
 
 今回,初めてキャンプを挙行することとなった.今までは日帰りを常としていたが,いよいよ一泊してより深く自然に入り込もうという主旨だ.我々はあえてキャンピングと言わず,”テンティング”と言うことにしている.その訳と言うか語源は単にテントを張るからであって,通常一般的なものの言い方では面白くないからで,別に深い理由があるからではない.テンティングの場所は全員一致で,と言っても三人しかいないのだが,以前から目をつけていた落合峠に決定する.当日は烏帽子山,翌日は寒峰登山をすることに3週間も前から決めていたのだ.
 
 国道192号線,三加茂で深渕への標識に従って南へ折れる.桟敷峠の標高 1,056mまで,30分足らずで車は一気に駆け登る.この峠に風呂塔(ふろんとう)への登山口がある.この山にもいつか登らなければならない.ここから深渕テント村まで下り坂である.10分ぐらいで着く.松尾川ダムの湖面が少しだけ望める.テント村を通り過ぎたところで道路工事をしていた.ここで20分ほど通行止めに遭う.工事現場を過ぎるとまもなく路面はダートとなる.かなりの悪路だ.スピードはせいぜい20kmが限度であり,ノロノロ運転をしなければならない.営林署の造林小屋まで20分の距離だ.
 
 烏帽子山への登山コースは,この造林小屋コースを選ぶ.この辺りですでに標高 1,100mぐらいだ.9時50分,頂上へのアタックを開始する.すぐに沢に架かる橋が現れる.この橋を渡ると落合峠へ,渡らず右手に行くと烏帽子山へと通じる.突然,私の持っていたビデオカメラのバッテリーが消耗してしまった.昨日充電したばかりなのにどうも変だ.少し重くなるが,予備に持っていた容量の大きなバッテリーと交換する.道は杉林の中を抜け,思ったよりかなりの急坂が続く.途中,よじ登らなければならない心臓破りの坂が2ヶ所ほどあるが,前回の石立山の時のことを思うと,こんなのは序の口である.杉林を抜けしばらく行くと,足元は背の低い笹が生い茂る原生林へと変わり,まずまずの快適コースである.木立の間から桟敷峠方面が見渡せる.この道を登り詰めると,あとはダラダラと続く尾根づたいの道だ.矢筈山から落合峠方面の展望も開ける.
 
 頂上には11時25分に到着した.早速リュックから,持参してきたスポンジの保温ケースに入れておいた,冷え冷えのビールを取り出し,辛口風味のポテトチップスをあてにして飲む.なお,ビールは従来350mlの缶ビールであったが,前回の石立山からは500mlのやや大きめのものに替えたのだ.一息ついて周囲の景色に目をやる.本日は好天に恵まれ,ことのほか遠望できる.やはり山の天気はこうでなくてはいけない.ここからの眺めは360度開けている.北方の正面に腕山,すぐ東に石堂山・矢筈山,西に中津山,そして南には今晩野営する落合峠が手にとるように見える.落合峠へは,ここから尾根づたいに歩いて簡単に行けそうだ.そのはるか彼方に剣山から天狗塚に連なる剣山山系の峰々,また石鎚山方面も望める.いつまで見ていても飽きのこない大パノラマである.K君のたててくれた,やや薄めではあるが,コーヒーをすすりながら山の醍醐味を存分に味わう.
 
 休憩中,私とH君は尾根づたいに落合峠まで縦走することに,急きょ予定を変更することに決定した.あまりにも落合峠が近いように見えたからだ.それと再び訪れることがあるかどうか,いや,まずないだろうというこでビデオカメラに収めておこうと話がまとまったのだ.今回もK君は車を落合峠まで回送しなければならないので,もと来た道を引き返すことにした.12時50分,ふた手に分かれて出発する.私たちは登ってきた方向とちょうど反対側へ向かってのびている道をとる.50mも歩くか歩かないうち,まさに突然,断崖絶壁に出くわす.ピューとうなる風の音がよけいに気色悪い.『まさかここを降りて行かなければならないのか!』と一瞬本気でそう思ったのだ.しかし,冷静に考えてみるに,インカの砦じゃあるまいし,いくら登山道といえどこんな危険なところに道をつくるはずがない.
 
 とりあえず頂上に引き返してみる.今までまったく気付かなかったが,よく見ると頂上から北に向かって下る急峻な道が,かすかに笹の中についている.一旦下って,再び烏帽子山のすぐ向いのピークまで登る.ほとんど烏帽子山と同じくらいの高さである.これ以降,寒峰との分岐点,通称"前烏帽子山"までは楽な尾根道だ.標高 1,660mの前烏帽子山まで45分で到着することができた.この頂上からの眺めも結構素晴らしく,烏帽子山の山容がよく観察できる.山頂の西側は切り立った断崖となっており,確かに“烏帽子”の格好に見える.また,はるか彼方には何のさえぎりもなく寒峰も望まれる.なだらかな尾根道が山頂までずっと続いている.距離はかなりありそうだが,比較的楽に行けそうだ.寒峰への登頂は明日に予定しているので,このあたりの写真は明日またゆっくり撮れるだろうと思い,早々に出発する.
 
 ここから下まで急な坂道が続く.道は雨でえぐられ溝のように深く掘れ込んでおり荒れている.この鞍部から先の道が要注意だ.深い笹に行く手を遮られる.笹をかき分けかき分け進む.踏まれた跡をたどりながら足元ばかり見て歩いていると,いつの間にか道が消えるようになくなっていた.50〜60mぐらい歩いて気が付いたのだがどうも変だ.元のところまで引き返すことにする.そこで注意深くみると,上に向かって道は延びている.赤いテープの目印が枝に巻き付けてあるのを見付ける.この道で間違いないことを確信して一安心する.いつも思うことだが,誰が付けたのか,この赤テープの目印は本当に有難い.感謝しなければならない.道は尾根からはずれ,山の東斜面をいく.見事な原生林を抜けたりまた笹の中を漕いだり,周囲の景観と共に,交互に道が入れ変わる.アップダウンがあまりなく,ピクニック気分で歩ける.
 
 午後3時に落合峠に到着した.別ルートできたK君も丁度着いたところだ.彼は下山中,山菜を採ったりして道草をし,我々の到着時刻に合わせたのだと言う.峠にはお誂え向きのテントを張る場所がある.水場には少々遠いが,その心配はない.水はたっぷり25リットル持ってきているからだ.早速,そこにテントの設営をする.K君の所有している20年前のテントは健在であるが,二人寝ると寝返りもままならないほど狭い.とても三人は無理なので,私だけ車の中で寝ることにする.シートをフラットにして急ごしらえのベッドを作る.寝床を確保すればなぜか安心するのは,やはり人間の本能か?食事の準備をしているところへ香川ナンバーの車が来る.近寄ってきて「キャンプをするとはうらやましい」とか「香川県には高い山がないので,香川の人がこういった景色を見ると驚く」とか「今日は天気がよいので昼から休んで来た.これから矢筈山へ登るところだ」とか言って,足取りも軽く去って行った.しかし,3時も過ぎた今ごろから矢筈山へ,しかもひとりで登るとは尋常の者ではない.世の中には予想し得ない凄い猛者が居るものだ,いや,上には上があるなどと我々三人一様に感心したり呆れたりする.
 
 さて,いよいよお待かねの酒宴の始まりだ.まず,本日の好天とこの素晴らしいところでビールが飲める幸せに乾杯!今日のメニューの順序は牛肉のたたき,かつをのたたき,それからさしみへとすすむ予定だ.日がまだ高いので派手なビーチパラソルを日除けに立てる.端からみれば,まるでアイスクリーム屋かとうもろこし売りみたいな様相を呈していることだろう.メニューの予定を消化し,最後にめしとあめごの塩焼を残すのみとなった.が,すでにみんな満腹になっていたので,K君が少し運動しようと提案する.そこで峠の東手の頂上に登ってみる.寒くてたまらない.セーターと防寒着を着込んでから登る.夕暮れの落合峠も素晴らしい.向いのサガリハゲ山という変わった名の山腹に日が当たり,赤い夕日と,向いの山が落とす影の部分のコントラストに目を奪われる.落合側に赤いトタン屋根の小屋がある.登記申請風に言えば"コンクリートブロック造亜鉛メッキ鋼板葺平家建"となるが,この避難小屋へも足を伸ばしてみる.比較的最近に建てられたようで新しい.小屋の前には水場もある.なお,便所もあるが荒れている上汚なくて,水洗便所に馴れている者にとっては,とても使えたものではない.
 
 そんなことをして時間を過ごしているうちに薄暗くなってきた.いつの間に帰ったのか,香川から来た人の車がなくなっていた.予定通り,めしとあめごの塩焼を食べる.そこで問題が発生した.なんと,本日予定のビールもウイスキーもすべて飲み干してしまったのだ.いろいろ論議した結果,明日の分5リットルのうち2リットルを飲むことに決定する.なんだかんだとたわいない話をしている内に10時近くなったのでお開きとする.私は車の中へ入る.家のベッドみたいですこぶる具合いがよい.シュラフにもぐりこむが寒いので,持ってきた薄いふとんを念の為シュラフの中へ入れ込む.明日も天気がよいことを祈りながら眠りにつく.
 
 夜中,突然パラパラと屋根をたたく雨の音に目が覚める.テントと違って雨は心配ないのだが,悪いことに風が強くなりだし車がゆれる.1ボックスタイプの車のうえ,夕べテントに風が当たらないようと横向きに車を置き直したので,なおさらまともに風を受ける.まさか倒れることはないだろうが,心配で搖れるたびに目が覚める.しかし,夜のうちに降っておけば朝にはやんでいるだろうと考えたりしていると,いつの間にか寝入ってしまった.明るくなりだす5時頃寒さのため,目を覚ます.雨も風も相変わらず強い.うとうとしたりしているうち,いつの間にか7時になった.窓の外を見るとガスがかかり,ほんの周りしか見えない.最悪の天気だ.とりあえずシートを元に戻してから,カッパを着込み外に出てみる.雨は小降りになっていたが,濃いガスがかかり風も強い.しばらくするとK君とH君も起き出してきた.二人とも寝ぼけまなこをして浮かない表情だ.昨晩飲んだ酒で,やや二日酔いの様子である.その上天気も悪いので皆意気消沈だ.
 
 気を取り直し,なにはともあれ,狭いテントの中で,まず朝めしの準備にかかる.外に放り出してあったポリタンクの水で米をとげば,手が凍るほど冷たい.飯とインスタント味噌汁が今朝の質素な朝食である.食後,コーヒーを飲みながら,今日のこれからの予定について議論する.寒峰への登頂は残念だが断念せざるを得ない.問題はバーベキューである.K君は「小屋へ行ってすればよい」と主張するのに対し,H君は「あそこまで雨の中,道具を運ぶはめんどうくさいし,そんなしんどいことは出来ない」と言う.「それでは昼まで待って様子を見てみよう」とK君.一方,私は「昼まで待ってもやむかどうかわからん.いっそのこと下まで降りて行って吉野川の河原でやるんがええんではないか…」と提案した.さらに最後に「そしたら途中の酒屋でビールも買えるし」と付け加えた.結局,このビールの一件が決め手となって,下へ降りることになった.
 
 10時に落合峠を去る.三加茂まで降りて来ると雨はほとんどやんでいた.貞光あたりから時々日が射してきた.美馬町への橋を渡り吉野川北岸の土手を走るが,これというよい場所が見つからない.うろうろ探しているうちにトイレがしたくなってきた.そういえば今日はまだ朝の儀式を済ましていなかったのだ.まずは脇町ショッピングセンターへトイレを借りに行くことにする.用を済まし,その屋上駐車場から吉野川を眺めていると,対岸にバーベキューするのにお誂えむきの河原が見える.早速,近くの潜水橋を渡りその場所まで行く.4輪駆動に切り換え,河原に車を乗り入れる.100mぐらい上手に行ったところに周囲が竹林と木に囲まれ,おまけに風も受けない絶好の場所を見つける.ここなら人に見られることもなく静かに昼食ができる.我々も一応良識ある大人であるから,衆人の面前で恥ずかしい思いはしたくないものだ,と常々気を配っているのである.
 
 バラバラに詰め込んだ荷物を再び下ろし,準備を始める.ホッと一息ついてビールを飲み干しながらバーベキューを食べ始めたころは,すでに2時をまわっていた.今日も今朝からいろいろあったがやっと落ち着くことができた.徳島県発行の観光地図をひろげて,次回の登山行の日時とか行く場所の計画を,早々とぬかりなく進めている私達であった.
 
 
 
VOL.7
【 雨天決行/いざ丸笹山へ! 】
1988年 7月29日 金曜日 天候 雨/曇り
丸笹山(まるささやま) 標高 1,712m 
徳島県美馬郡一宇村〜美馬郡木屋平村〜三好郡東祖谷山村
 
 今朝,目が覚めると案の定,雨が降っている.今年の夏はいわゆる異常気象で,6月の梅雨時にほとんど降らず,梅雨が明けると,とたんに長雨となったのだ.もう10日以上雨にたたられていた.この日は1週間前に予定していたのだが,まさかまだ雨が降り続くとは誰が予想し得ただろうか?今日の登山は中止か…と一瞬頭をよぎるが,もう休暇も取ってるし,今更止める訳にはいかない.6時頃,K君から電話がかかってくる.予想していたとおり彼は最初にこう言った.
「今日は雨だからやめとこう」
しかし,雲が東に向かって移動していることと,そして昨日,すでに準備万端整え,車に用具一式を積み込んているという2つの理由で,私は次のように答えた.
「心配ない.この雨は止む.決行あるのみ!」
かくして仕方なくK君は,いつものようにH君をピックアップして,予定時刻より30分ほど遅れはしたが,雨の中やってきたのだ.私としてはこの雨が本当にやむのかどうか,実のところ自信がある訳ではなかった.
 
 出発してから川井峠まで,依然雨が降っていた.このままの天気であれば,登山は無理なので,その場合どうするか,車中でいろいろと議論したが,うまい案は誰にも浮かばない.そうこうしているうち,川井随道まで来てしまった.このトンネルを抜けると,なんと陽が射しており,すでに道も乾いていた.ここで丸笹山登頂が決定された.しかし安心も束の間,木屋平村の川上あたりから,再び小雨模様となる.コリトリから見の越までの道中ずっと雨に降られる.見の越トンネルを越え,東祖谷山村側に入ると,幸い雨はやんでいたが,周辺の山は濃いガスにすっぽりと覆い隠されていた.
 
 夫婦池のほとりの国民宿舎剣山荘横にある,県民の森資料館前が,丸笹山への登山口である.資料館には剣山近辺の植物,岩石,及びその周辺に棲んでいる動物や鳥の標本が展示されている.入場無料なので帰りに立ち寄ってみることにする.
 
 登山口に剣山・丸笹山一帯の大きな観光案内板がある.一応,この案内板を見てから,今日のルートを決める.登りは右手のコースをとり,下りは別のコースをとることに決める.まわり一面,ガスが立ちこめているので,日焼けの心配はないだろうと思い,みんな上はTシャツ一枚で登る.異常に湿気が高く蒸し暑い.丸笹山の登山道はよく整備されているので,本日は迷う心配はないだろう.なお,この付近は明治百年記念事業の一つとして,昭和42年5月に「県民の森」として指定され,徳島県と高知営林局が整備を進めたということだ.登山道のあちこちに展望台や休憩所が設けられているが,造られてから,かなりの年月が経過しているため,荒れている.山頂に近づくにつれ木立が低くなり,視界が開けてくる.時折,少しばかり青空が見え出すが,依然,周囲の山にはガスがかかっている.本来ならば南の正面に見えるはずの剣山が,まったく姿をみせない.頂上にはガイドマップの案内のとおり,1時間ほどで到着することができた.
 
 頂上付近は比較的広くなだらかで,その名のとおり一面低い熊笹に覆われている.そのなかの一段小高い丘が山頂だ.360度視界は開けているので,晴れていれば展望はきわめて良いはずなのに,まことに残念.だが,ものは考えようで,雨が降らないだけでもまだましだ.我々は結局ついているのだとまずは納得.
 
 ここで今年の石立山から,おきまりになった500ml缶ビールを飲んでくつろぐ.しかし,頂上に着いてしばらくたっても汗がひかない.薄雲りの日差しが思ったより強く,おまけに風がないので平地でいるのと少しも変わりはない.悪いことに今日は長袖のシャツを持って来ていないので,首から腕にかけてかなり日焼けをしてしまった.雲は活発に東へ移動しているが,一向にガスが晴れる気配はない.仕方なく諦め下山することにした.
 
 帰りは頂上から北に下るルートを辿ることにする.結構,急な道を「展望園地」まで下る.しかし残念なことに,ここも手入れがされておらず,かなり荒れてきている.トイレもあったが使用不可である.ここより赤帽子山へは1時間30分のコースである.今日の登山計画に組み込まれていたのだが,天候不順及びK君とH君の反対により,やむなく中止する.
 
 この地点から丸笹山の北斜面を西に向かって,夫婦池方面へと向かう.山腹は自然休養林として原生林がそのまま保存されブナ,ミズナラ,ダケカンバ,ウラジロモミなどの大木が数多くある.それぞれの木には名札がかけられている.我々は木の名前などほとんど知らないので,よい勉強になった.鳥の巣箱も設けられているが,もう壊れかけている.途中,あたり一面見事なまでに,苔に被い尽くされたところを通る.時折,濃い霧がかかるとなんともいえない幻想的な光景が広がる.おとぎ話にでてくる魔法の国の森を思い起こさせる.木立の間から小びとたちが,今にも顔を出しそうな気さえする.かえってこの様な気象状態のおかげで,大自然の森を存分に楽しむことができたのは,ラッキーだった.ゆっくり「県民の森」を観察,そして学習?しながら歩いたので下山にも1時間費やした.
 
 このすぐ近くの第三駐車場でバーベキューパーティを執り行う.この場所は2回目である.昨年の塔ノ丸登山のときもここでバーベキューをしたのだ.三方,木立に囲まれ,おまけに人が来ないので落ち着ける.5時半頃,来たときと同じルートの見の越・川井峠経由で帰りの途につく.
 
 
 
VOL.8
【 4度目の正直/剣山スーパー林道 】
1988年9月12日 月曜日 天候 晴
高城山(たかしろやま) 標高 1,627.9m 徳島県木沢村
天神丸(てんじんまる) 標高 1,631.5m 徳島県木沢村〜徳島県木屋平村
 
 昨日まで降っていた雨も止み,本日はカラリとした秋晴れの快晴である.過去の山行きの日の天気は,常日頃の行いが良いにも拘わらず,ほとんど曇の多い天気か,あるいは雨の時もあった.こんなさわやかな天気に巡り会うのは滅多にあることではない.ところが約束の時間の6時を過ぎてもK君とH君が来ない.こんなときこそ早く行かなければならないというのに!結局6時20分に彼らはやってきた.どうして遅くなったのか聞くと,K君はなんと6時に起きて今日の準備をしていたのだったのだ.彼は今日はたぶん雨が降り,中止になるだろうと考えていたようだ.
 
 早速,近所の24時間営業のスーパーへ行き食料を買い込む.買物をするのに25分かかる.朝食はこの店で買った手巻寿司1個とウーロン茶で軽く済ませる.以前の朝食はもっぱらカロリーメイトのブロックとドリンクであったが,あまりにも腹が一杯になりすぎるし,過去に一度…これが原因かどうか判らないが…下痢になったことがあるので取りやめにしたのだ.
 
 神山町川又の土須峠入口近くにある,農協のガソリンスタンドで満タンにする.8時にガソリンスタンドを出て土須峠の雲早随道に到着したのは30分後であった.ここから木沢村側に少し下った分岐点でコースを右に取り,剣山スーパー林道に入る.途中の六角峠にある洒落たデザインのレストハウス前で小休止する.適度に風がそよぎ,とても気持ちがよい.空気の匂いがとても心地よく,これほどに空気がうまいと感じたことはかってない.まさに空気の存在というものを強く意識した瞬間であった.
 
 高城山峠には9時20分に着く.峠の標識のある所からちょっと下った,道がカーブした所に高城山への登山口の標識がある.この標識は小さいので見落とす恐れがる.その標識には高城山山頂まで15〜20分と書いてある.本日の予定になかったのだが,えらく簡単に登頂できそうなので,登ることにした.高圧線の鉄塔まで登るが,ここから先はちょっと道が判りにくい.肝心な場所に案内板がないと3人ともグチをこぼす.
 
 実のところ私にとって,高城山登山は今回で2度目になる.前回は,もう3年前になるのだが,この鉄塔から山頂方向に向かって延びている,刈り込まれよく整備された道をかなりまっすぐ行って,引き返した経験がある.当時より草木が繁り様相はかなり変わっており,さらに分かりにくくなっている.しかし,他に道は見あたらないのでやはりこの道を行くことにする.20mぐらい進んだ所でH君が上に行こうと提案したのでそれに従う.しばらくすぐ下に見える林道を右手に見ながら,雑木をかき分け進むと,やっと高城山への登山道に出ることができた.この場所からすぐ右に下ると,鉄塔に通じる道と合流していることが下山時に判った.その分岐点には,注意深く観察していないと見落とすほど小さな,木の杭の標識が立ててあった.
 
 さて,ここから急坂を登ると背丈ほどある笹原に出る.笹をかき分け進まなければならない.昨日降った雨か,あるいは朝露が残っているのか,たちまちズボンがビショ濡れになる.ここで前回登ったことを思いだした.あの日はどんよりと曇った日でガスが絶えずかかったり途切れたりしていた.笹はたっぷりと水分を含み,おまけに樹木の葉っぱが濃い霧の水分を捕らえ,頭上の木からは,水滴が雨のようにポタポタ落ちてきたりで全身ビショ濡れになったのだ.あの日と比べると今日のコンディションは最高と言える.
 
 笹原を過ぎると岩の多い尾根の上をいく.まもなくピークに着く.ここが高城山の頂上かと思いきや,頂上はさらに北手に見える,やや低いと思われるが,平らなところらしい.ここに三角点があり,こちらが本当の頂上ということだ.登山口の案内標識には15〜20分と表示してあったが,結局,40分ほどかかってしまった.まず,いつものように缶ビールを飲みながら,それからおもむろに周囲の景色に見とれる.山頂からは西に向かって延びているスーパー林道が遥か彼方まで見られる.今日登る天神丸も見られるずだが,どの峰がそうなのか,さっぱり判らない.なんと,本日は誰もコンパスも地図も持ってきていないのだ.
 
 車まで戻って来た時は10時50分になっていた.1時間30分費やしたことになる.すぐに天神丸目指して車を走らせる.天神丸の登山口は,日奈田峠の手前に位置する東北側の土捨て場の広い沢にあることを,『四国百山』で調べておいた.地図をみると日奈田峠からも登頂できそうだが,こちらの方が容易に登れそうだ.
 
 登山口には立派な標識が立てられているのですぐに分かった.車を土捨て場の広場に置き,再び登山準備を整え出発する.ところが立派な標識がある割には,以降の登山道がきわめて分かりにくい.かすかな踏跡がある,獣道みたいなところを行く.突然,ザザーと笹の中を何かが走る.びっくりしてその音の方向を見ると,笹に隠れてよく判らないが,なにやら猪らしき動物があわてて逃げて行く.こちらも驚いたが,向こうはそれ以上に驚いたようだ.こちらは三人,相手は一人,いや,一匹である.多勢に無勢で明かに戦えば不利であることを知っていたのか?などと,たわいないことを話しながら我々は歩くのだった.小さな沢があるので水でも飲みに来ていたのだろう.そういえばさっき車を止めたところにも,丸いふんがあっちこっちに落ちていた.ここらはツキノワグマが生息していると聞いていたが,その他にも動物が多く棲んでいるのかもしれない.
 
 沢伝いに登って行く.沢はさらにまっすぐ上に向かって笹の中へ続いている.我々はここから左に進路を取り,雑木林の急斜面を登ることにする.帰りに判ったことだが,沢に沿って登るのが正規の道らしい.下草は生えていないので自由にコースどりができる.とにかく上へ行けば間違いないだろうと枝にすがりながら,ほとんど腕の力で体を持ち上げ黙々と登って行く.玉の汗が流れ落ち始めた.しばらくして登山道に出くわす.一安心して小休止をする.急坂はさらに続いている.心臓の鼓動がおさまってから,そこを這うように登って越えると,やっと尾根道に出た.と,まもなく山頂だ.山頂といっても下草はぼうぼうに生え,廻りは雑木に囲まれ視界は完全に遮られている.ここがその昔,戦国時代に見晴らし台が置かれ,のろしを上げていたとはとても想像できない.『高松軽登山』の山頂を示す看板がなければ,気が付かずに通り過ぎてしまいそうだ.
 
 何はともあれ缶ビールを飲む.ビールを飲む間に虫に2ヶ所刺された.特にビールの蓋を開けると,ハチとかアブとかの虫がよけいに集まって来る.ビールの匂いがいいのと,炭酸ガスにつられて来るのか,ともかく,虫もビールが好きであることに間違いないようだ.以前,ビールの中にまで入り込んで飲んでいる?蜂を見たことがる.記念写真を撮って早々に下山する.登りは50分かかったが,帰りは30分で下ることができた.
 
 1時過ぎにバーベキューの準備を始める.日陰がまったくないので,まずタープ(天幕)を張ることにする.風が少し吹くので車を移動し風よけにする.ロープを固定する石を大きめにし,倒れないように注意する.ところで最近,バーベキューの内容がかなり変わってきている.従来は肉中心であったが,このところ魚介類中心に変わってきたのだ.早朝に買物をするため良質な肉が手に入らないのと,ぼちぼち肉も飽き始めたことも理由の一つである.
 
 この場所はいままでバーベキューをした中でも最も条件のよい場所だ.東側が開けており眺望は抜群である.4時40分頃までその場所でいたが,この間,車は一台も通らなかった.今日もまずまず自然を満喫し,仕事のことも忘れて満足感にひたれたことは大きな収穫だ.
 
 
 
VOL.9
【 これが森だ!森林浴だ!ビバ!高丸山 】
1988年 9月27日 火曜日 天候 曇り
高丸山(たかまるやま) 標高 1,438.6m 徳島県上勝町〜木沢村
 
 いつものように6時に集合,24時間スーパーで食料を買い込み,高丸山へと目指す.なお,前回からビールは酒屋で購入することにしたのだ.それまで自動販売機で買っていたが,これが結構面倒くさく,そのうえ時間がかかる.これまで酒屋というものは朝9時か10時頃開店するものと思っていたが,7時頃にはすでに店を開けていることを,つい最近発見したからである.本日は勝浦町横瀬の,とある酒屋でビールを合計7リットル買う.
 
 今日はいつもと趣向を変え,潅頂が滝(かんちょうがたき)と慈眼寺(じがんじ),それに正木ダムに寄っていく.潅頂が滝は,久米弘のニュースステーションで紹介されたので,一度見ておこなけらばならぬと思っていた.いままで「観光」をしたことはなかったので,今回初めての試みというわけだ.
 
 滝には7:55につく.この潅頂が滝は高さは50〜60mある.高さでは,おそらく県下で一番ではないかと,思われる.だが,水量はそれほど多くない.しかし,それがかえって他にはない,独特の雰囲気を持つ滝となっている.風が吹くと左右に煙のようにたなびき,下から見上げるとシャワーが落ちてくるように見える.
 
 慈眼寺にはさらに車で上へいく.寺の境内から正木ダムが展望できる.寺からさらに左手に15分ぐらい登ったところに本堂がある.そのきわに禅定窟(ぜんじょうくつ)という鍾乳洞がある.この洞窟に入るには寺に申し込みをして,白衣とわらじを借らなければならない.奥行きは 120mほどで中はきわめて狭いらしい.
 
 正木ダムに行くには県道から外れて,町道湖南線へと進み,少し寄り道をしなければならない.そのため昭和52年にダムが完成して以来,この付近は何回か通ったことはあったが,いままでダムを見たことはなかったのだ.ダムの上にある道路を渡ったところに小公園があり,ここで写真を撮る.ついでにそばにある公衆便所で用を足す.ここのトイレは水洗式で手入れも行き届き,清潔である.しかし,やぶ蚊がやたらと多いのには,閉口した.
 
 以上の三か所を巡るのに2時間近く費やしたので,先を急がなければならない.雲行きも怪しくなりだした.しかし上勝の県道は狭く,曲がりくねり,対向もままならない.道路がこんなにもお粗末な状態では,地域振興もあったものではない.政治が悪いのか予算が乏しいのか,ともかく本県の道路行政に対して,いたく考え込んでしまった我々であった.
 
 高丸山登山口は県道16号線,上勝町と木沢村の境にある八重地トンネルの手前 1.5kmあたりにある,脇道の林道からはいる.林道入口付近はきわめて路面状態が悪く,ホイールベースの長い車は,底を打ちそうだ.ゆっくり進まなければならない.しばらくすると道路幅の3分の2だけ,コンクリートで舗装されている.林道入口より2kmほど進むと,林道から分岐して左手に登っていく.車の幅いっぱいの広さしかないので,どちらかと言えばこれは遊歩道だろう.すぐに終点でなんとか車が回転できる程度の広場がある.舗装はここまで続いている.この場所で車を回転し,駐車する.
 
 このあたりは「高丸山自然環境保全地域」として徳島県から指定されているので,登山道は整備されている.丸笹山の「県民の森」と同様に樹齢百年を超える原生林が保存されている.登り始めて15分ぐらいで水場につく.苔におおわれた祠が立ち,ブナの大木に囲まれているので,このあたりですでに深山のおもむき十分である.この水場横からも登山できる.我々はここからは登らず,さらにまっすぐ道を進む.まもなく広場につく.この広場から上に通じる道がある.登りきると神社がある.ここで道は二又に分かれている.私がビデオを撮っている間に,せっかちなK君は右の道へ入ってしまったが,すぐに引き返してきた.どうやら高丸山荘に連絡する道らしい.左手の道を登る.
 
 原生林を抜けると,杉林に入る.ここからジグザグの急坂を登らなければならない.登りきると,高丸山の南の稜線に到着だ.ここからは尾根づたいにだらだらとした道を登る.このあたりは比較的楽である.木立の間から西三子山を右手に見ながら進む.しかし,ガスがかかり始めるとアッという間に見えなくなってしまう.非常に蒸し暑く,汗が噴きでるのはいいとしても眼鏡が曇ってくるのは困る.なだらかだった道も登るにつれ,再びジグザグの急坂に変わる.途中の展望台で一休みする.東南方面が開けているが,ガスのため何にも見えない.
 
 さらに続く急坂を登りきったところで山頂に到着だ.10時45分に上り始めたから,55分かかったことになる.先ほどまで曇っていたのに,山頂につくと同時に,ジリジリと太陽が照りつけてきた.しかし依然,視界はガスに遮られている.時たま,ガスの合間から見えかくれするのは,すぐ下の八重地と尖った西三子山方面だけだ.雲早山から剣山方面へかけてはまったく見えない.ガスが白い煙のように立ち上がってくる様は,温泉地の湯気か,はたまた火事のようでもある.缶ビールを飲んだ後,K君がガスバーナーで湯を沸かし,コーヒーをたててくれる.晴れたり曇ったりで天候はどうも安定しない.
 
帰りは頂上より北東へ進み,北から回り込むルートをとる.この登山道は余り利用されていないようだ.踏跡も余りなく,道は分かりにくい.所々杭が打ってあるので,見落とさないよう注意しながら下る.熊笹が背丈より高く生い茂っているところがある.何度か“やぶこぎ”をしなければならない.進路が南に変わると杉の植林地にでる.ここを横断し,向いの原生林の中へ再び入る.無人の高丸山荘が見えれば,ここから以降の道は広く緩やかで,遊歩道として整備されているので,もう着いたも同然だ.
 
 この付近は土地の傾斜も緩く,本当に「森」の中にいるという雰囲気がする.後は来たときと同じ道に合流する.水場で手と顔を洗う.冷たい水で洗うと心身共さっぱりし,気持ちが引き締まる.下山にも55分かかった.
 
 バーベキューは下の林道脇の広場で行う.いままでずっとアミ焼きだったが,これだとどうも野菜類がひからびてしまって美味くない.本日は鉄板焼に変えてみたのだ.本当は炭火で肉・魚を焼き,鉄板で野菜を焼きたいのだが,そんな贅沢は言ってられない.2時頃から始めて,薄暗くなる6時前までいた.
 
 
 
VOL.10
【霧にも負けず,寒さにも負けず高鉾山】
1988年10月18日 火曜日 天候 雨後曇り
旭ケ丸/高鉾山 標高 1,019.5m 徳島県佐那河内村〜神山町〜上勝町
 
 昨日夕方から低気圧が近づき,今朝もまだ前線が通過しているようだ.天気予報では,昼ごろには回復するとのことであるが,なるべく早く回復することを期待するしかない.出発時には,時折小雨がパラついていた.今日の登山計画の候補地に挙げていた三カ所のうち,最も近い高鉾山を選ぶことにした.もし,天気が良ければ東宮山(神山町〜木屋平村)か,鰻轟山(海南町〜上那賀町)にしていたであろう.
 
 まずは大川原高原を目指し,佐那河内村の国道439号線を走る.役場前に大川原高原への標識と案内板が立ててある.我々はここを左折せず,まっすぐ進むことにした.少し先の井開というところで園瀬川を渡る.ところが,早く左折し過ぎて間違った道をいく羽目になる.しばらく車がやっと通れるほどの細いあぜ道みたいなみかん園の道を,行ったり来たりと徘徊さされる.しかし,出発してから1時間30分後には,大川原高原の駐車場に到着することが出来た.このころには雨は止んでいたが濃い霧がかかり,視界は10〜20mしかきかず,その上冷たい風が吹く.極めて悪いコンディションであるが,意を決して登頂する.寒いのといつ雨が降るかわからないので,カッパを着込んで行くことにする.本日はK君が家庭の都合で欠席であるので,H君と二人の登山行である.
 
 駐車場から1200mの地点に展望台がある.ここからの眺望は徳島市内が一望でき,素晴らしいものと聞いていたが,霧のためさっぱり見えない.見えるのは足元に転がっているゴミばかりだ.やはり人がよく訪れるところは概して汚い.そこへ至る道は良く整備はされているのだが.とりあえず案内板の前でスナップ写真を撮る.ここの案内によると,この付近は「四国のみち」として指定されており,遊歩道が設けられているようだ.そこで高鉾山経由で天ケ滝休憩所までの6.1kmを歩くことにする.高鉾山とは最も高い北峰の旭ケ丸から南の二つの峰を総称して,これを高鉾山というのだそうな.
 
 さて展望台から背丈2〜3mの,春には見事な花を咲かすであろうツツジの密生地を300mほど抜けて行くと,標高1,019.5mの三角点に着く.ツツジの林に取り囲まれているため,ここからの展望はまったくきかない.定点測量に使用したやぐらが朽ち果てて残っているのみである.さらに先へ進むと分岐点がある.標識に従い,南へ進路をとる.ここから標高943mの鞍部まで続く階段を一気に下ると,ちょっとした広場にでる.ここに地蔵さんみたいな石像が東を向いて,二つ立っている.
 
 この地点で四国のみちに別れ告げ,高鉾山の二つ目のピークを目指して右手の道を行く.これより以降の登山道は一般的なヤブのなかに消え入るような細い登山道となる.しばらく平坦な道が続くが途中の分岐から急坂を這い上がらなければならない.この急坂はかなり続く.晴れていれば周囲の景色を楽しみながらゆっくり登るところだが,今はただ登ることのみに専念しなければならない.依然,霧がかかっているので周囲の景色はまったく見えない.いったいどこをどのくらい登っているのか,皆目見当がつかない.息せききって,やっと山頂にたどり着く.一汗かいたので,ここで持ってきた缶ビールの内,一本を飲むことにする.最近,ここまではほとんど訪れる人はいないようである.
 
 このピークからさらに南へ下ると南峰にでられる,とガイドブックに書いてあったが,どこで道を間違ったのか,植林地に出てしまった.地図とコンパスを取り出し現在地を推測する.南よりのルートをとれば,先ほど地蔵のところで分かれた四国のみちに合流するはずである.植林地の南端に沿って霧の中を歩く.ほとんど尾根づたいに進んでいるようである.あまりアップダウンがないので,どんどん歩いて行くと,生育した杉林に突き当たった.そこをくぐり抜けると,また植林地に出る.再び地図を取り出す.霧さえかかっていなければ,すぐに現在地は分かるであろうが,この状態ではさっぱり分からない.やはり南よりのコースをとる.出発してからすでに2時間経過しているので,少々心細くなってきた.不安な気持ちを抱きながら,さらに道なき次の植林地を下って行くと,ヤレヤレ,やっと林道に出くわすことができた.
 
 まずは一安心である.どうやらこの林道は四国のみちの一部のようである.先へ進むことにする.とほどなく林道の終点である.四国のみちはここから余り整備されていない登山道に変わる.ヤブが行く手を阻み,かき分けながら進まなければならない.梅木谷峠という標識のあるところまで下ると,以降は登り坂が続く.目的地の天ケ滝休憩所までは何としても頑張らなければならないが,いささか疲れてきたので,ここまで来ればもう十分であると二人とも思い始めた.そこで「あのピークまで登ったら引き返そう」といいながら歩き続ける.ところが急峻な道ならばそこで諦めるのだが,ダラダラとした登り道が続いたら,またゆるい下り道が続くといったあんばいで,引き返すチャンスをついつい失ってしまう.その都度,このせりふを繰り返しながら,ひたすら歩くことと相成った.カッパを着込んでいるので暑いことこのうえない.しかし,脱げばたちどころに全身びしょねれとなるのは明白だ.雨こそ降っていないが,草木が水分を含み濡れており,あたかも雑巾で水を吸い取るように,衣服が水を吸い取ることになる.そんなことをいろいろ考えたりしながら歩いていたら,11時頃,やっと天ケ滝休憩所にたどりつくことができた.出発してから3時間経過していた.
 
 ここは広場になっていて,あずまやが疑木で造られており,テーブルと椅子も設けられている.しかし残念ながら周囲は雑木が生い茂り,展望はよくない.なんとここには車道が通じている.地図を見ると野間殿川内林道から分岐した林道が連絡しているみたいである.30分休憩したのち,もと来た道を引き返す.林道終点の場所にでるまでは,比較的足取りも軽かったのだが,林道を歩きだすと,途端に足が重くなった.この区間の5km余りは足をひきずりながら,ヨタヨタ歩いた.やはり自然道を歩くのが,ずっと良いということが分かった.帰りは2時間かかったが,それ以上に長く感じられた.
 
 着替えを済まして,早速駐車場の片隅で鉄板焼の準備に取り掛かる.チャコールブリケットがないので新聞紙で炭を起こす.非常に寒く,風よけのため車を2回ほど移動する.霧のほうは3時頃から晴れだし,夕方には西の空が夕焼け色に染まった.明日はきっと快晴になるだろう.宴会のほうはというと,寒い寒いと言いながらも薄暗くなる5時30分まで続いたのだ.
 
 
 
VOL.11
【 幻の邪馬台国はいずこに?寒さとの戦い旭ノ丸 】
1988年11月19日 土曜日 天候 晴れ/曇り 時々 雪
旭ノ丸(あさひのまる) 標高 1312 m
徳島県名西郡神山町〜勝浦郡上勝町
 
 いつものように朝6時に悪友がやってきた.今回もK君は欠席であるので,同行者はH君のみである.今時の6時はまだ暗い.いつものように24時間スーパーへ寄り買物を済ませる頃には,明るくなっていた.
 
 今日の目的地は神山にある高根山悲願寺を経て,旭の丸までである.まず,その前に立岩神社に寄って行くことにした.この神社は,標高 650m にあり中央に縦の割れ目のある高さ20mの巨岩があるという.神社は鬼篭野から8.5km 奥に入った位置にある.道は鬼篭野川に沿って続く.途中分岐があり,案内標に従って山に向かっていく.しばらく進むと舗装が途切れ,ダートとなる.
 
 神社には7時40分に着いた.この林道はさらに先へと続いており,大川原高原まで7kmとあった.この道は果して大川原まで連絡しているのであろうか?と,考えながら車を下りるとさすがに寒く,すぐに防寒着を着込む.入口近くに石を築いて造られた,いかにも古そうな燈篭が立っていた.林道から歩くこと5分ほどで神社に着く.神社のまわりには巨岩があちこちに見られる.巨岩を背に,こじんまりとした神社が大木の中の落葉に埋もれそうに見える様は,いかにも神話の頃からずっとあったと思えてくる.
 
 雨乞の滝のパーキングには8時30分に到着した.遊歩道を登るにつれ,あたりの渓谷はますます険しさを増していく.左手の屏風岩の上部には,風穴がポッカリと2つ開いている.この穴は高知県の甲の浦まで通じているという伝説があるのだ.今まで誰ひとりとして登った者はいないのだろうか?一度登って確かめたいものだ,いう情念にかられる.しかし,それには充分なる装備とロッククライミングの経験者を要するだろう.
 
 雨乞の滝とは,雄滝と雌滝と呼ばれる二つの滝から構成されている,ということを私は全く知らなかった.水量は雌滝の方が豊富で見応えがある.この滝は3段になって水が落ちており,その傍らに登坂用の鎖が打ち込められている.上部の1段目にある,お不動さんまで登れるようになっている.我々は下の棚まで登ってみた.
 
 ここからさらに 1100 m 迄登ると悲願寺がある.登山道は胸突き八丁の急坂が続き,一気に高度を稼ぎ,滝の上に登るようになっている.この区間は絶壁の腹部に登山道は造っており,すごいところに道を造ったものだと感心する.滝の上部の,ちょうど道がまわり込んだすぐ先に,「見張り台」と書かれた標識が立ててある.見張り台の岩の上に立つと神山町が一望できる.足元は断崖絶壁で体が思わずすくむ.ここから先ほど述べた風穴がよく観察できる.双眼鏡を持ち出し,覗いてみたが暗くてよく分からない.このあたりはカルスト地帯でもないので,おそらく穴は行き止まりであろうと考えるのが一般的な見方であるのだが,しかしそれでは世の中ロマンが無いというものだ.やはりそのまま伝説を信じたい,という気にさせられる穴である.なお,この見張り台の直下に石垣が築かれており,その上はたいらに整地されている.その昔,見張要員用の建物があったと推測される.
 
 登山道は登り坂の連続で,なかなか苦しい.背中が次第に汗ばんでくる.このルートは夏だと全身汗びっしょりとなることだろう.林道までたどり着くと,すぐその上が高根山悲願寺の山門だ.悲願寺の本堂は予想外にこじんまりした寺であった.しかし,横に鎮座する燈篭が結構大きいのに目を引く.寺から少し奥に入ったところに卑弥呼ゆかりの台石と天萬岩があると,神山町の観光パンフレットにあったので,さらに林道を上へ行ってみる.林道は突き当りとなり左の深山村方面へ歩いていく.まもなくテニスコートと白い建物が見えてきた.いつまで行っても一向に台石は見あたらないので,この庭のベンチでビールを飲むことにする.と,何か白いものがチラチラしてきた.雪が降ってきたのだ.寒いはずである.震えながらビールを飲んだのだ.
 
 とにかく台石は諦めて,すぐに引き返すことにした.悲願寺にある案内標識には,旭の丸まで2時間とあった.これではあまり時間がかかりすぎるので,一旦下へ降りることにした.車でスーパー林道まで行き,そこから登れば簡単に登れるからだ.なお,我々が深山村と思っていた白い建物は,実はそうではなかったことが,この後わかった.深山村はさらに上にあったのだ.
 
 再び駐車場まで下りて来るのに,1時間20分かかった.すでに12時を過ぎていたので,急ぎ出発する.寄井まで戻り,野間殿川内林道へ入る.車で走ること40分余り,かなり登った道路ぎわに天萬岩と台石の案内板があったのだ.こんな所にあったのかと,一瞬以外に思った.天萬岩は林道からも眺めることが出来る.深山村はこの岩の下のすぐ北側にある.天萬岩の上に登ることが出来る.上は思ったより広く,そこに玉石がのっかかっている.ここから谷を一つ隔てて台石が望める.この台石は卑弥呼の祭壇に使われたと伝えられている.
 
 スーパー林道の入口,上勝からの林道との合流点に旭の丸への登山道がある.ここで注意しなければならないことは,登山道をまっすぐ行ってしまうと旭の丸の峰をぐるりと廻り,いつまでたっても頂上には着けない.まわり込む手前に,上に向かって細い道があるからこの道を辿る.標識はなく,赤いテープが枝に巻かれているのみであるので,我々も見落としてしまったのだ.後はこの赤いテープに従って登って行くと15分で簡単に山頂に着いた.私は,今まで大川原高原にある旭ケ丸と,この旭ノ丸との区別がよく分からなかったが,これでやっとはっきりした.山頂付近は桧が植林されており,展望は全くきかない.「高松軽登山」の頂上を示す標識と,わずかばかりの石が積まれているのみである.頂上より南へ行くとわずかに視界は開ける.ここから望む雲早山は,うっすらと雪に覆われていた.さらにその向こうの高城山方面は,すでに真っ白になっていた.
 
 バーベキューをする場所は,来るときにすでに決めておいた.分岐点近くの林道脇の広場で,記念碑が道の両側にあるところだ.炭火をおこすのに手間取り,食べ始めたのは1時間後であった.この時,我々ふたりは,大いに反省をした.なぜかというと,今まで炭火と調理のことについては,すべてK君に任せていたのだ.というよりも,我々はズルをかませて何もしなかったのだ.だから要領が今ひとつよく分からない.ついに天罰が下ったのだ,と思ったほどだ.
 
 寒さについては前回の大川原高原の経験を生かし,最初から持ってきた服全部を着込む.頭には毛糸の帽子,首にはマフラーの代わりにタオルを巻き,上は防寒着の下にセーター,下はタイツをはき,その上にジャージ,さらにその上にオーバーズボン,足は厚手の靴下を2枚履く.装備は万全であると思われた.事実,最初は暑いほどであった.そのうち雪がちらつき,次第に寒くなってきた.すでに上空は雲に覆われ,冷たい北風が吹き出した.暖をとるためホッカイロを2個ふところに押し込む.
 
 一通りのメニューをこなし,後片付けを始めた頃,あたりは完全に暗くなっていた.雪はさらに強く降り始め,急いで帰ることにした.旭ノ丸峠から見おろす徳島の夜景がやけにはっきりと近くに見られ,美しかった.が,その光景を楽しむ間もなく,慌ただしく駆け抜けて行かなければならなかった.
 
 
 
VOL.12
【 ハップニング イン うなぎお(と)どろき!山 】
1989年4月13日 木曜日 天候 晴れ
1. 鰻轟山(うなぎとどろきやま) 標高 1046 m
  徳島県海部郡海南町〜那賀郡上那賀町
2. 請ケ峰(うけがみね) 標高 1009.1 m
  徳島県海部郡海南町
 
 −鰻轟山−これは「うなぎとどろき山」と読みます.一風変わった名を持つこの山への登山道は,郡境に位置する霧越峠という,ちょっとシャレた名を持つ峠にある.そこに建つ開通記念碑の裏手から西に向かって延びている.登山道はほぼ全行程にわたって,雑木が覆い被さるように繁っているので周囲の視界は開けない.峠から20分ほど登ると木のまばらな,このコース唯一の,ちょとした広場に到着する.すでに心臓の鼓動は激しく打ち,汗もかなり出てきた.ここで一息入れることになる.ここまでの登山道は比較的整備されているが,以降は雑木が密生して明瞭な道はない.ヤブコギをしなければならないようだ.幸い導標となる石杭,あるいは黄色いプラスチックの境界標が尾根沿いに,10数メートルの一定間隔で打たれている.これを目印にして進路を取ればよい訳である.所々,木に赤いテープも巻いてある.ブッシュはしばらくの間続く.この区間はまあまあ平坦なので苦しいことはないが,ちょうど顔のあたりにササが当たるので嫌な感じだ.そう言えば今まで急坂の場所でのヤブコギをした記憶はない.大抵,今日ぐらいのゆるさの勾配だ.なぜだろう?やはり急斜面には植物も生育しにくいのか?まあそんなことはどうでもよいか.
 
 ここを過ぎるといきなり下りのコースとなる.コル(鞍部)まで降りきると再びきつい登りとなり,山頂まではずっと続く.特に山頂直下は急勾配で,四つん這いになってよじ登らなければならない.何度も休憩を取りながらも,出発してから55分で頂上にたどり着くことができた.ガイドブックに書かれていたけれども,頂上からの眺望はまったくきかない.だいたい山の頂きというものは,それなりの一種独特な趣というものがあるものだ.しかし,ここにはその雰囲気は全く感じとれない.山岳クラブの標識があるのみで,やっとここが山頂であることが判別出来るのみである.とりあえず,記念写真を撮ることにする.
 
 さて,ガイドブックに依ると,ここから南に位置する請ケ峰までは40分とある.20分ほど休憩の後,請ケ峰目指して出発することにする.請ケ峰登頂決行に際して一部反対意見を唱える者もいたが,「ここまで来たらついでに登っておかないことには一生行けないことになる」と言って私はみんなを説得した.今回が今年初めての登山会でもあるので,皆いつも以上に疲れが出ているようだ.
 
 小休止の後,請ケ峰目指して出発した.悪いことにこのルートは,予想していた以上にハードである.道は尾根に沿って延びているが,この尾根がノコギリの歯を連想させるかのようにアップダウンの連続なのだ.20分ほど行ったところでとうとう落伍者がでた.誰であろう,他ならぬK君である.彼はそれほど虚弱体質でもないのに.「あんたらで行って来,ワシはここで昼寝しとる」とおっしゃる.ここは本人の意志を尊重し,無理に引き連れて行くのはやめた.そこで仕方なくH君と二人で先に進む.下りにさしかかって来ると,うんざりする.帰り道,この坂を登らなければならないからだ.しかし,ルートは稜線に沿って行けばよいので迷う心配はない.こちらにもずっと杭が打ってあるので安心だ.1ケ所,極端に落ち込んだコルへと降りなければならない箇所がある.鎖があってもよいぐらいの急斜面である.K君と別れて40分後に請ケ峰に着いた.結局,ここまで1時間もかかってしまったことになる.
 
 山頂の周囲は完全に木立に囲まれ,眺望は望むべくもない.本日はとりわけ天気がよいので,よけい残念でもある.この頂上も鰻轟山と五分五分のよい勝負をしそうなほど,まったく面白味のかけらもない.小さな祠があるのでややこちらが歩がよいかもしれない.ここで缶ビールを飲み,K君と無線連絡する.言い遅れたが,今回,トランシーバーなる便利な文明の利器を持参したのである.この春に430MHzの小型軽量のトランシーバーを購入した.その代わり,ビデオカメラは持ってくるのをやめた.荷物はなるべく減らしたいからだ.K君はどうやら無事な様子である.「クンニャン,熊に襲われないよう気を付けろ」と助言して交信を終えた.ところで,我々はいつもK君を"クンニャン"という愛称?で呼んでいる.ついでながら申しますと,H君については"カッツァン"である.
 
 再び,元来たこの道を戻らなければならないのかと思うとうんざりするが,早く帰途につかなければならない.ここでも一応,記念写真を撮った.20分間休憩をとった後,引き返すことにする.クンニャンことK君の待っているところまでは,往きと同じく40分かかった.どうやらK君は無事であった.山中でひとり居るのは孤独なものだ.勇気あるものでなければ居られない.ここでコーヒーを飲んで一服する.
 
 鰻轟山に着いたときはすでに1時25分になっていた.私は途中,写真を撮りながら歩いたのでK君とH君とから,かなり遅れてしまった.すでに彼らの姿は見えない.鰻轟山頂上の殺風景な風景もカメラに収め,急いで下山する.来るとき通ったコルを通過,坂を登りきるといやなブッシュが立ちはだかる.この手前でK君たちと無線連絡する.どうやら彼らもまだ峠に着いていないようだ.ササの繁った,所々イバラのある,極めて歩きにくい区間だ.微かな踏み跡を頼りに,突き進む.なぜか登った時より距離は長く感じられた.突然,H君の声がどこからか聞こえてきた.「オーイ,今どこにいる?」「オー,カッツァンか?いまそっちへ行ってるぞ!」大声で叫び返した.すると,聞こえなかったのかH君はやはり同じ言葉を繰り返している.やっと私はバッグの中のトランシーバーから聞こえてくる声だと気付いた.早速取り出し応答する.彼らはすでに到着してバーベキューの宴会場設営に取り掛かっているらしい.私は予想以上に遅れていたので,疲れてはいたが歩みを早めた.
 
 しかし,ササの林はなかなか私を前に進めてくれない.確か,登るときはこれほど長いことはなかったはずなんだが,変だな?という思いが,頭の中をほんの一瞬よぎった.と,すぐにササヤブは途切れ,尾根上の道に出た.『ヤレヤレ,ここまで来ればこっちのもの.あと20分もかからないだろう』かなり疲れが出てきたが,早くビールとバーベキューにありつきたい一心で,さらに歩を早めた.時折,国道193号線が見え隠れしているのだが,一向に道に近づく気配がない.それに,登る時休憩した広場にもまだ来ていない.ちょっと妙だなと思ったりしたが,かまわずどんどん進んで行った.道は比較的きれいだったし下り勾配だったからだ.あのササヤブの途切れた場所からどのくらい歩いただろうか?30分ぐらいか,いやそれ以上かも知れない.かなり下ったところでついに道が消えてしまったのである!その時初めて道を間違えてしまったことに気付いた.
 
 一体,今どこにいるのだろう?あわててコンパスと地図を取り出す.しかし,周囲は雑木に囲まれ見通しはきかない.地図を見ても現在位置はさっぱり分からない.これはえらいことになってしまった.何たる不覚であろうか,この私としたことが!とにかく来た道を引き返さなければならない.引き返すにしても今度は登り坂なので,かなり時間をくいそうだ.トランシーバーを取り出しK君たちと交信をする.どうやら奴らはビールをジャンジャンやっているみたいだ.「こちら本部.なに!道を間違えた! 心配するな! おまえの分は残しておいてやるから.まあとにかく,赤いテープのあるところまで引き返せ.まだ陽は高いからゆっくり落ち着いて行動しろ.それではまたの連絡を待っている」というふうな内容のことをややウカレ気味に伝えてきた.人の事だと思って呑気なものだ.
 
 そういえば道しるべに赤いビニールテープが木に巻き付けてあったことを,やっと思いだした.『どうして今まで気付かなかったのだろう.今日はどうかしている.それに足元には一定間隔に杭も打ってあったのだ.ところがこの道にはまったくそれがない.どうして?どうして?なぜもっと早く気付かなかったのか!アーア,なんてバカなんだろう』と思ってみても後の祭り.大いに落胆し,重い足を引きずりながら引き返した.歩きながら考えた.『どこで間違ったのだろう?どう考えてもあのササヤブ付近が怪しい.待てよ,なんか思い当たるふしがある.そうだ!ちょうどあの地点で交信したとき,奴らが〔すでにビールとバーベキューをジャンジャンやっている,早く来なければなくなってしまうぞ〕という内容のことを話していた.それに刺激され,俺も一刻も早くビールを飲みたいとあせったのが命取りになってしまったのだ.トランシーバーを持っていなければ,いっそよかったかも知れない』などと,いろんなことを考えていると,やたら喉が渇き,腹も減ってきた.だが,いつものことながら水筒は持っていない.山に登るときには,必ず水と非常食は携帯していなければならないものだ.次回からは持参することにしよう.
 
 悠長なことを考えている場合ではない.急がなければ,と思っても足が棒のように疲れてしまって思うように動いてくれない.こんなかたつむりみたいな速度では,いつになったら帰れるか分かったものではない.見覚えのある場所まで戻って来た.『アレレ,まだこんな所か.まだこの何倍もあるはずだ』喉の渇き,空腹,疲労,不安が襲って来る.ひょっとしていよいよここで命を落とすことになるのではないか,という恐怖感も加わり,頭がボッーとしてきた.『これではいけない.頑張るのだ.頑張ればビールが待っている.ひとまず一服しよう』腰を下ろし木にもたれる.まず"本部"に連絡しておかなければ心配していることだろう.交信をするがなかなか出てこない.しばらくしてH君が出てきた.「まだ分岐点まで戻っていないのか.今,K君が缶ビールを持って行った.途中の木にぶら下げておくから,そうだな,峠から100メートルぐらいの場所だ」どうやら宴会もピークになっているようだ.それに引き換え,私の場合はひどいものだ.いくら悔やんでも悔やみきれるものではない.
 
 今日は朝から何かと問題があった.まずスーパーに食料買い出しに行ったとき,K君が財布をなくしたと言い出した.車の中をしきりと捜していたが見つからない.「どうせ家に忘れてきたんだろう」「いや,そんなはずはない.確かこの胸ポケットに入れた.落としたのかも知れない」とりあえず,本日の会費は私が立て替えることにしたのだ.次に那賀郡の鷲敷町へ抜ける近道を通ったのだが,これが到るところ工事中で通行止めとなっており,何度も迂回させられたのだ.近道をしたつもりが,かえって遠まわりになってしまった.この時から今日は何か悪いことが起こるのではないかという,嫌な思いがつきまとった.たとえば,K君がいつかの三嶺の時みたいに道に迷ってしまうのではないかなど…しかし,まさか自分が迷ってしまうとは思いもよらなかった.それにしても去年のちょうど今ごろだったか,石立山に登ったことが思い出される.(VOL.5 石立山参照)『いや,まったくあの時もひどい目にあったものだ.どうも,年度始めの登山はついてない.これ以上悪いことが起こらなければよいが』
 
 いろいろ思いめぐらしている間に眠くなってきた.このままひと眠りしたら楽になるだろうと思った.とんでもない,眠ってしまったら二度と目覚めることはないだろう.早く出発だ.木にすがりながら立ち上がり,ヨタヨタと歩き始めた.先ほどよりさらにスピードは落ちてきた.再び忘れていた渇きと空腹が襲ってきた.これほどの渇きはかって経験したことがあるだろうか.ピンチ到来,絶体絶命のSOS!だが,よく考えてみればここは山中である.谷に下れば水はあるだろう.さらに木立に囲まれているから直射日光にはさらされていない.これがギラギラ太陽の灼熱地獄,つまり砂漠だと,ケタ外れに条件が悪くなるところだ.などとひとり慰めながら登り続けた.それも束の間,もう考える気力も失せてきた.
 
 どれほど歩いただろうか.ブッシュをかき分けかき分け,5〜10メートル進めば立ち止まって休むということを何度繰り返したことか?時計を見ると4時近くになっている.ふと,何気なく左手を見ると木のまばらな平らな空地が,雑木を通して見えた.即,90度進路を曲げフラフラとその場所に向かって行った.『おや,どこか見覚えのある広場だな,これは』辺りをよく観察すると木の枝に巻き付けられた赤いテープも見られる.『やった!あの広場だ.やっと戻って来れたのだ』後は赤テープと杭をたどって行けばよい.これで恐怖と不安から解放されたわけだが,渇きと空腹は極限に達してきた.ともかく,無事にたどり着いたことを"本部"に連絡しておこう.
 
 ほどなく木の枝にブラ下げてある缶ビールを発見.バッグとバックパックを放り出し,缶ビールを縛ってあるひもをほどくのももどかしく,一気に飲み干した.口いっぱいに含み,一気にグビッと喉を通過したとき,ゴクッと喉が鳴る音がはっきり聞こえた.一気に呑み込んだので少々,胸のあたりが痛くなった.ここから峠まではもう目の前だ.かろうじてたどり着いた時には,すでに4時30分をまわっていた.なんと,2時間半も山中をさまよっていたことになる.
 
 果たして私が最も恐れていたとおり,やはりビールはあと1リットル余りを残すのみとなっていた.しかし,これについては文句も言えない.道に迷った方が悪いのだから.それより無事に帰って来れたことに感謝し,乾杯しなければならない.
 
 暗くならないうちに帰ろうと,6時頃,帰り支度を始める.今日はK君の車で来たので彼が運転手である.ところが出発して100メートルも行かないうちに,ガッターンと大きな音がして突然車が傾き,ガタガタと止まってしまった.一瞬,これはパンクかと思ったがどうも様子が違う.煙やらほこりが立ちのぼっている.降りてみてびっくり,道路側溝に右側両輪共落し込んでいる.これは大変なことになった.一難去ってまた一難とは,正にこのことだ.対向して来た車の人も降りてきて手伝ってくれた.ジャッキで持ち上げてみたりタイヤの下に石を敷いたりしたが,どうにも上がらない.あれやこれやしているうちに,あたりは暗闇となってきた.気持ちは焦る一方で,よい案が浮かばない.助っ人がホイール(鉄製)のリムの内側にジャッキを当てて持ち上げ始めた.少し持ち上がったので,すかさずタイヤの下に石を詰め込む.前輪も同様にすると,少しづつ持ち上がり始めた.石をどんどん集めて,側溝いっぱいになるまで投げ込んだ.K君がやおら運転席に座り発進した.と,後ろを押すまでもなく簡単に上がってしまった.助っ人に一同深く礼!
 
 これでK君も酔いが醒めたことだろう.すでに9時をまわっている.帰途を急がねばならない.轟の滝への分岐点を過ぎたあたりから,私は疲労がどっとでて,眠りこけてしまった.突然,急ブレーキで停止したので目が覚めた.赤い信号灯を持った人が運転席の窓に近づいて来る.おまわりだ!何という不幸か!ねずみとりにかかってしまたのだ.今日はよくよくついてない日だ.調書をとられて帰ってきたK君の話によると,33kmオーバーで1ケ月の免停だということだ.もう終える寸前だったので,せめてあと10分ほど遅くここを通過しておればよかったのにとしきりに残念がっていた.ということは10分程遅く車を側溝から出していれば,助かった計算になる・・・一方その作業でみんなアルコールを発散していたので,酔っ払い運転のお咎めは免れた.これはラッキーであったと言えるであろう.
 
 家に到着したのは10時30分になっていた.長い長い一日であった.寝る前にもう一度地図を広げ,本日の反省をする.なるほど,ルートの中間よりやや峠寄りに,北に延びる稜線がある.ここで間違えてそのまま北の尾根へ足を踏み入れたのだ.落ちついて行動すればミスコースをするようなことはなかったはずだ.この経験を肝に命じてこれからは気をつけよおっと.いやはや,思い起こせば今日ほど悪いことがいろいろと,バーゲンセールのごとく襲ってきた日は,かって私の人生で経験したことはない.
 
 
 
VOL.13
【 可もなく不可もなく/まずまずの風呂塔 】
1989年 5月15日 月曜日 天候 曇り/晴れ
風呂塔(ふろんとう) 標高 1,401.5m 徳島県東祖谷山村
 
 風呂塔へは標高1000mの浅敷峠から登るのが,最もポピュラーである.桟敷か,それとも浅敷か,どちらの字が正しいのか私は知らないが,国土地理院発行五万分の1の地図には浅敷と書かれているので,こちらを採用する.この峠の登山口には,もうおなじみとなった『高松軽登山会』の標識が立ててある.8時50分登頂開始.考えてみれば9時前から登り始めたのは過去に一度もない.いつも10時前後ぐらいである.今日はゆっくり出来そうである.しかし,雲行きがかなりあやしくなってきたのが,少しばかり気がかりではある.徳島市を出るときは快晴だったのに.低気圧でも近づいているのかもしれない.このところずっと天候不順で雨の日が多かった.いずれにせよ,雨さえ降らなければよいのだが.それにしても5月中旬なのに,今日はやけに肌寒い.後日新聞で知ったが,この日剣山で積雪2cmを記録したのだ.
 
 峠のすぐ上の草むらの中にポツンと展望台があった.その脇を通り抜け,しばらく歩くと杉林の中へと登山道は延びていく.杉林を抜けると視界がやや開ける.背の低い雑木やカヤなので左右後方の景色が楽しめる.尾根にたどり着けば突然,東斜面が開ける.まるで牧場のようだ.植林はされているがまだ50cm程の苗木だ.よく観察すると,あちらこちらにワラビが生えている.もう時期的に遅いが,標高が高いせいか,まだまだ食べられそうだ.斜面の稜線に沿って登って行くと,道がふた手に別れている分岐点に到着.どちらからでも行けそうだが,赤いテープの道しるべのある右手の道が間違いなさそうだ.ここから少し荒れてくるが,前回の鰻轟山の登山道と比べれば,ずっとずっと歩きやすい.
 
 分岐点から10分ぐらい歩いただろうか,まるで道路のような,軽四が通れそうな幅2mはある遊歩道に出た.一瞬唖然とする.この道は風呂塔キャンプ場から通じているのか?ここから三加茂町方面が一望に見渡せる.H君がなかなか来ないので,ここでビデオを撮ったり,双眼鏡を覗いたりして待つ.15分ぐらいしてやっと来た.片手にスーパーのビニール袋を下げている.何か買物をしてきたのかと思って尋ねると,「まだ待っていたのか.もう,とっくに先に行っているのかと思っていた.なに,今までウドの木を掘っていたんだ.こいつは酒のアテに堪えられない」と言う.高山植物を持ち帰るとは何たる非常識な奴,けしからん!と思ったが,意に反して口から出た言葉は「ヘー,そんなにうまいものなら苗が殖えたらワシにも分けてくれ〜」
 
 この道の坂を登りきると右に大きくカーブし,すぐにジグザグの坂が現れる.2回折り返し,ちょうど息が苦しくなって汗が出てきそうだなと思った時,頂上に着いた.なんだか少々あっけないと言うか物足りない気もする.まったく汗をかく間もない.冷たい風が吹き体はすぐに冷えてきた.マウンテンパーカを着込んでビールを飲むが,いつものようにグビリと一気飲みをせず,チビリチビリやる.
 
 依然,西から厚い雲がどんどん向かって来る.烏帽子山,落合峠方面は,時折雲に隠され見えない.眼下には松尾川ダムの湖面が一望できる.天気が良ければ周囲の雄大な景色をなお一層堪能出来るのに残念だ.それでもしばらく,山頂からのパノラマを楽しんだ後,おきまりのコーヒーを飲む.そんな時,一人の登山者が登ってきた.その人は日ノ丸山はどっちの方にあるのかと問うてきた.恥ずかしながら,私はその山の名を初めて聞いたので,地図と山を見比べる.どうやら松尾川ダムの右手にそびえている山がそうらしい.標高は1240mとある.私がビデオを撮っている間に,その人はもう降りて行ってしまった.日ノ丸山に登るつもりだろうか?しかし,日ノ丸山とは何とも日本的な名ではないか,と思うのは私だけか?
 
 山頂に『環境庁・徳島県』の名の入った,四国のみちにあるのと同じ様な,ひょっとして四国のみちかもしれないが,標識が立てられている.それには野営場及び深渕2kmと,2方向の案内がある.野営場への距離は示されていないが,たぶん風呂塔キャンプ場のことだろう.山頂直下に丸太で作られた休憩所も見える.幸いなことに深渕方面は立派な登山道が続いている様子である.当初から,帰路は深渕方面へ足を踏み入れようと決めていたのだが,どうせブッシュの中をヤブコギするような怪しげな,けもの道かと思っていたのだ.しかし,これはまことに嬉しい誤算である.このルートは最近整備されたらしく,掘り返した土跡が新しい.恐らく,風呂塔キャンプ場への道も同様に整備されているのだろう.
 
 11時ジャストに山頂を後にする.K君は車を深渕まで回送しなければならないので,ここでふた手に分かれる.私とH君が深渕コースをとる.かなり急な下り坂が続くが,道は丸太でもって階段状につくられているので一気に降りて行ける.30分ぐらい下ったところでK君とトランシーバーによる交信を試みるが,応答がない.受信状態にして腰にぶら下げ,先に進む.それから5分ほどするとK君から連絡があった.どうやら向こうもまだ下山途中のようだ.我々はこのころ深渕まで0.75kmと表示のある所まで来ていた.登山道が整備されている分,順調にとばして行ける.深渕の神社前まで45分で来ることが出来た.かなりの急勾配の坂の連続なので,逆に深渕から登るとすれば,倍近くの時間を要するに違いない.K君も同じ頃,峠に着いたと連絡があった.それから15分ほどすると,前回道路側溝に車を落し込んだせいか,やけにゆっくりと安全運転に徹しながら,せっかちのK君がやってきた.
 
 さて,お待かねのバーベキューの設営場所をしばらく検討.キャンプ場でするのもよいが,前日までの雨で地面が少しぬかるんでいる.結局,道具を運び下ろさなければならないが,深渕川の河原でやることに全員一致で決定した.せせらぎを聞きながら,4時までゆったりバーベキューを楽しみ,くつろぎまくる.天気も2時過ぎから晴れてきた.まずまず山の一日を謳歌することができたのは,なにものにもかえがたい.
 
 
 
VOL.14
【 いざ見参(剣山)!そして一の森 】
1989年 6月10日 土曜日 天候 曇り/雨
剣山(つるぎさん) 標高 1,955m 徳島県東祖谷山村〜木屋平村〜木沢村
一の森(いちのもり) 標高 1879.2m 徳島県木沢村
 
 一昨日梅雨入り宣言があり,きのうまでは典型的な梅雨空のうっとうしい天気であった.梅雨前線がやや南方に下がり,本日は時々晴れ間もあり,小康状態を保つでしょう,との天気予報であった.K君とH君には前日に,明日は決行する!との連絡を入れ,念を押しておいた.
 
 登山当日はいつもそうしているが,きょうも5時起床,雲行きは少し怪しいがたいして気にせず,早速テーブル,イス,ポリタン,クーラーボックス等の山用品の準備を急いでいた.おおかた準備の終わった6時前ごろ,電話がかかってきた.思った通りK君からで「こんな天気に行くってか?中止になると思ってまだ準備をしとらん.それに子供がケガして足が痛いから学校に送って行かなならん.7時半頃になるなあ〜」相変わらず段取りの悪い奴である.2週間も前から決めているのに.これから“トラブルメーカー”とでも呼んでやろうか.とにかくH君にもK君が遅れる旨,連絡しておかねばなるまい.思い起こせば昨年の丸笹山の時もそうであった.今日とまったく同じパターンである.
 
 神山町にさしかかった頃,とうとう雨が降り始めた.川井峠のトンネルを越え木屋平村に入ると,やや小雨となった.コリトリから登りにさしかかるとガスがかかり,視界10m以下となってしまった.ヘッドライトを点灯,徐行しながら進む.見の越に着いた時は10時30分になっていた.K君が来るのが遅かったため,そして天気が悪いので意に反しながらも仕方なく,登山リフトを利用することにした.他の二人はそんなことに関係なく,最初からリフトで登つもりであったと言うから,まったく世の中恐いですなぁ・・
 
 リフト降り場西島駅はすでに標高1750mにある.傍らに立つ案内板をチラッと見,大剣神社経由お塔石ルートを選ぶ.登り始めて5分ぐらいで早,汗が出てきた.早速カッパを脱ぐ.すでに雨はやんでいたが,依然,霧は晴れて来る気配はない.お塔石で暫し休憩,スナップ写真を撮る.剣山山頂には40分後の11時30分に到着.私は剣山登頂は今回で5回目となる.と言っても前回登ってから,かれこれ14年にもなる.山頂付近は遊歩道としてロープで明確に区画され,歩くところが限定されている.以前はこのゆるいスロープの大草原からなる山頂を,自由気ままに歩けたのに.こうまでしなければ自然を守れないとは,悲しく残念なことだ.観光開発もやはりほどほどにしなければと痛感する.
 
 視界はやはり10mぐらいで,20mも離れると人の姿は全く見えなくなる.10分ほどして早々に一の森目指して出発することにする.ここから一の森へはシコクザサが茂る尾根づたいの快適なコースである.まるでよく手入れされた公園の中を歩いているような感さえする.南斜面はかなり霧が晴れてきた.ここらの斜面はスキーにうってつけだなと思いつつ歩く.二の森を越えると新田次郎の詩が刻まれた殉難碑に到着する.ここから続く坂を登りきると一の森ヒュッテがあり,その裏手の小高い丘が一の森山頂である.
 
 山頂から南に続く尾根は,芝生みたいなグリーンに覆われ美しい.三角点のある尾根が最も見晴らしがよさそうなので,ここでリュックを下ろす.ビールを飲んで一服していると晴れ間が覗き,陽が照ってきた.西方の槍戸峡方面が一望に見渡せる.奥槍戸へ延びる剣山スーパー林道も見える.あんなところによくもまあ道をつけたものだと,「ヘー!」とか「ホー!」とか「ウーム!」とか発して,盛んに感心する.ジローギューも望めるが山頂はすっぽりと雲に隠れている.東側からは霧がどんどん沸き上がっている.私とH君が景色を楽しんでいる間に,K君は湯を沸かしてコーヒーをたてる準備をしている.コーヒーを飲んでいると再び天候が悪化してきた.急いで帰り支度を始める.K君はコーヒー用の器具をしまうのに手間取っているので,私とH君は一の森山頂経由で先に出発することにした.K君は足が早いので,すぐに追いつくからだ.
 
 殉難碑のある分岐点でしばしK君を待つが,いっこうにやって来ない.トランシーバーを取り出し交信を試みる.すぐに応答があった.な!なんと,すでに彼は我々を追越し,先へ行っていたのだ.一の森山頂で記念写真を撮ったり,道を探している間に,彼は近道をして,さっさと先に行ってしまったのだ.我々二人は一の森ヒュッテのところまで戻ってきたのだが,その間,たいして時間は経っていなかったのに.
 
 右手に進路をとり急いで追いかける.このコースを辿ると鎖の行場・不動の窟に行ける.ずっとゆるい下り坂なので楽である.原生林がうっそうと茂る森の道である.濃い霧がかかり辺りが霞んでいるので,大木がお化けや悪魔が手を広げ,今にも襲いかかってくるように思われるのは,臆病な私だけであろうか?昨年の丸笹山と風景・状況が極致している.深山ならではの幽玄の美をみせくれる.
 
 三十五社という神社まで下りて来ると,行場への導標がある.この案内に従い左の道へ進む.しかし,この道がなんとも急な登り坂なのである.とたんに苦しくなり,どっと汗が吹き出してきた.当初,スリルを味わうため行場の鎖を降りてみるつもりであったが,疲れと暑さにより全員戦意喪失,急きょ予定を変更,あっさり中止と相成った.不動の窟も見るだけにして中へ入るのはやめにした.ところで本当にスリルのあるのは,やはり高越山の行場であろう.あそこは断崖絶壁に古びた鉄ばしごが宙づりになって架かっているからだ.一方,こちらは鎖の下部が地についているので,その分たいして恐怖感は少ない筈.
 
 いったんリフト駅までもどり,その脇の道を降りて行く.後は剣神社までひたすら降りて行くだけだ.見の越は霧雨に煙っていた.すでに2時45分である.予想外に時間がかかってしまった.バーベキューは例年のごとく夫婦池近くの第三駐車場で行う.最初に雨よけのタープ(天幕)を急いで張る.次の段取りとして炭をおこすのだが,今回からちょっと方法を変えたのでこれを少しばかり紹介しよう.まず,木切れにトーチバーナーで火をつけその上に炭をのせる.勢いがついたころをみはかり,ディスカウントショップで手にいれたカー用の扇風機をHI(ハイ)にセットする.と,まもなく炭は真っ赤におこる.トーチバーナー980円,扇風機1980円,なお,バッテリーもディスカウントショップで買ったものだ.バッテリーケースは自作品なのでたいして金はかかっていない.いずれも「安物買い王」「DIY荒し」を自認する私が足で探し,試行錯誤の末,やっと完成した一品である.今まで多少なりとも苦労した炭火おこしであったが,ずいぶん楽に,しかも早くなったものだ.過去にチャコールブリケット,新聞紙,オガクズに灯油を湿らしたものなど,いろいろ使ってみたがどうもうまく行かなかった.やはり長年に渡る実務経験及び年季が実を結んだ結果と言える.しかし,ここまでの道のりはなんと長く険しかったことか!
 
 宴会は6時まで続いた.言うまでもないが(注:VOL.12鰻轟山参照),帰途はH君が運転を担当する.K君に運転をまかせられないからだ.川井峠コースは道が狭く曲がりくねっていやだ,とH君が言うので,貞光経由で帰途に就く.葛篭お堂を過ぎたあたりから,私はすっかり眠り転けてしまった.
 
 
 
VOL.15
【 スネーク・ゾーンを突破せよ!ビクビク登山のジロウギュー 】
1989年 7月18日 火曜日 天候 曇り/晴れ
次郎笈(じろうぎゅう) 標高 1,929m 徳島県那賀郡木頭村〜木沢村
 
 次郎笈登頂は今回で4度目になる.剣山トンネルの木沢村奥槍戸レストハウスから登るのはこれで2度目だ.登山口はレストハウス横にある.本日は火曜日なのでレストハウスは定休日であった.前回,ここから登ったのは剣山スーパー林道が開通した4年前の9月であった.かなり蒸し暑い日であり,頭から汗びっしょりになった記憶がある.あの時はカメラと缶ビール持参だけの軽装備だったので山頂まで50分で登ったのだ.なお今日はK君が欠席なので,H君と二人だけで登る.車はH君のハイゼットジャンボという軽トラックである.荷台にビールと食料の入ったクーラーボックス及びその他の装備品を積んでいるので,しっかりカバーをかけ直す.とりわけビールを盗られるようなことでもあれば一大事である.
 
 登山道はよく手入れされ刈り込まれている.木立のなかを10分ほど歩くと,道は駐車場を見おろせるササの茂る斜面を横切り,つづら折れとなっている.この付近にかかるやいなや,私の3大弱点のひとつでもあるヘビといきなり対面したのだ.のんびりと日なたぼっこをしているのか,それとも人に滅多に会わないので恐れを知らないのか,いっこうに逃げようとしない.靴で地面をたたくと,やっとゆっくり行動を開始,茂みに入った.ひと安心して歩き出す.ところが2〜3mも行かない内にまたまた別のヘビがとぐろを巻いて鎮座しているのだ.先ほどよりも大きいので気持ち悪いことこの上ない.それからというもの,10〜20m進むたびに,小さいのから2mはあろうかと思われるもの,さらに色は茶色,黒っぽいの,白に近いの,それから斑点のあるもの,縞模様のあるものまで,いろんな種類のヘビに出会ったのだ.ガサガサッと音がするたびに心臓がドッキリ,背筋がゾクッとして汗が,もちろんヒヤ汗であるが,ドッと出てきた.ひょっとしてマムシがいたらどうしようか,などと思いH君も同様,いきなり不安のどん底に陥れられビクビクしながら歩いたのだ.幸い,この付近の道はきれいに刈り込まれているので,割合早く発見することができる.もし,これがササをかき分けて進まなければならないような獣道であれば,危険で行けたものではない.
 
 ササ原を過ぎ再び木立のなかへ入ると,途端にヘビの姿は見られなくなった.ヤレヤレ,どうやらやっとヘビの生息地帯を通過したらしい.しかしこれほど多くのヘビに出会ったのは生まれて初めてである.いったい何匹ぐらいいるのだろうか?この広さからして数百いや数千はいるかもしれない.それらが一斉に出てきたらどういうことになるか?いや,そんなことは考えたくない.これまで蛇というものは,北面の斜面の谷に近いじめじめした場所にいるものとばかり思っていた.ところが,ここは南面の日当り抜群の場所である.しかし,考えてみると砂漠にも蛇はいるのだから,この程度の所で生息しているのは当然といえば当然である.ともあれ,やっと安心したその時,ガサッと大きな音が傍らでした.再び背筋がゾクッとして冷や水を浴びせられたように体がこわばった.見ると大きなイボガエルがノッシノッシと這っていた.
 
 それからしばらくダラダラした坂を登り切ると,ジロウギューの南斜面を横切る水平道が一望に見渡せる尾根に到着.ここで小休止する.ここからの区間は最も快適かつ楽である.剣山が姿を現す地点から,と言っても本日は雲に隠れて見えないが,道は分岐し,いきなり直登になる.これを登らずまっすぐ進むと剣山への近道となるが,現在この道は通行禁止になっている.しかし,立入禁止の標識はなかったので,知らない者は足を踏み入れるのではないかと心配になってきた.
 
 分岐点から20分ほどで山頂に着いた.奥槍戸の登山口からは1時間10分かかったことになる.早速,ビールとおつまみのエスニカンをリュックから取り出す.エスニカンの袋は気圧が下がっているため,パンパンに膨れ上がっている.東側の剣山方面に向かって座り,しばらく休んでいると,雲の切れ間から北方に位置する丸笹山が姿を現した.祖谷に至る国道439号線も見えだしたが,そのほかは雲に隠れて見えない.反対の南方面の高の瀬峡に至るスーパー林道が一部雲間から見渡せる程度である.先ほどまで霧に覆われて気が付かなかったが,三角点は山頂から少し北に下った頂にある.そのうち剣山もかすかに姿を現す.測候所の建物がかろうじて見える.結局,西方の丸石,高ノ瀬の各峰は見えずじまいだった.
 
 それにしても終始私達を悩ましたものは,群がる虫,特にハエだった.私のリュックにはベッタリとハエがたかっている.ところがK君のリュックにはそれほどハエはくっついていない.なぜだろう?これは色に関係があるようだ.K君のは緑系,私のは茶系統である.虫にも好きな色嫌いな色があるようだ.これについて研究すれば一つの論文が書けそうだ.
 
 1時間後の11時50分,下山を開始する.剣山への近道のある分岐点あたりで一の森が見えた.ビデオとカメラに収め帰りを急ぐ.しかし,帰りには再び例のスネーク・ゾーンを通過しなければならない.果して無事に通れるだろうか.なんとも気が重い.登山口に『自由にお使い下さい』と書かれ置かれていた竹の杖を持ってくればよかった.今思えばあれはひょっとしてヘビよけ用の為の杖だったのかも知れない.ヘビに出会わないことを祈るしかない.いずれにせよ道はこれしかないので覚悟を決め,下りていく.水平道を過ぎ,下り坂にかかるとまもなくスネークタウンだ.手ごろな枯れ木を拾い,これをヘビよけ用の杖とする.足元の地面とか草を叩きながら進む.先頭はK君で二番手が私である.この場合,どちらが安全なのか?ササ原のゾーンに入ると早くも一匹めがニョロニョロしている.相変わらずなかなか退いてくれない.なんとか追い払い,やり過ごす.次に現れたのは20cmほどの子供のヘビである.かまわずどんどん下りて行った.その後何匹か見かけたが,登るときほど多く出没せず,無事にレストハウスまでたどり着くことができたのは幸いであった.ヘビの恐怖から逃げたい一心で格別早足で歩いたので,山頂から30分ぐらいで降りてこれた.
 
 さて,野外宴会の場所は剣山トンネルを高の瀬へ抜けた所にある土捨て場の駐車場で行う.今日はバーベキューは取り止め,缶詰め,さしみ,ラーメン等の簡便なもので済ます.バーベキューは近頃少しばかり飽きてきた,と言えば贅沢であろうか?ビールを飲み,お腹もふくれて落ち着いてあたりを見渡すと,周囲の草むらの中からヘビ共がこちらをうかがっているように思えてならない.もし,一斉にヘビが襲ってきたら正にSOSの大パニック,絶体絶命万事休すの一巻の終わりだ.やや神経質になりすぎたようなので,その後は人生論とか経済・政治問題など日本の行く末を憂いながら,とりとめもない談義をしてくつろいだ.3時間がアッという間に過ぎてしまった.
 
 帰りは高の瀬方面へ引き返す予定であったが,来る途中にガケ崩れの危険箇所があった.頭大の石が道路上にゴロゴロ落ちていたので,車を通すため二人で汗をかきかき石を取り除いてきたのだ.あの状態ではいつ崩れるか分からないのでこのルートは通らず,再びトンネルを抜け木沢村経由で帰ることにした.
 
 
 
VOL.16
【 人跡未踏!?未知のベールをぬいだ申太郎山 】
1989年 8月25日 金曜日 天候 晴れ
1. 柴小屋山(しばごややま) 標高 1,249m
  徳島県名西郡神山町〜勝浦郡上勝町
2. 申太郎山(しんたろうやま)標高 1,565.7m
  徳島県那賀郡木沢村〜美馬郡木屋平村
 
 神山町寄井から延びる林道野間殿川内線のほぼ上部,ちょうど悲願寺への分岐点にさしかった時であった.突然,ガッシャーンと大きな物音がした.はて?石が当たったにしてはえらく騒がしいな,と思っていると,後席のH君が「自転車が落ちたぞ!」と叫んだ.急停車し,みんな車から下りる.あぁ,あわれ,自転車は道路脇の草むらに転がっている.路面状況の悪い林道なので,激しい振動によってキャリアからはずれ,落っこちたのだ.自転車を固定するキャリアは,手で触れるとグラグラするやけに貧弱な代物である.自転車はマウンテンバイク(以下,MTBと呼ぶ)といわれる不整地走行用のもので,K君が持参してきたものだ.幸い,自転車はどこも壊れていない.車のほうもルーフに当たって落ちたのか少し塗装が剥げている程度だ.それにしてもよく後方に落ちなかったものだ.もし,後ろに落ちていればハッチバックの窓ガラスが割れていたかもしれない.K君は登山道をこのMTBで走るのだ!と張り切っていた矢先のことだ.私とH君は山中を自転車なんぞで走れるものかと冷やかな目で見ていたのだが,早くもアクシデント発生だ.この先,嫌なことが起こらなければよいのだが.まだまだ先は長いというのに.とりあえず,MTBを固定するネジを点検,ガッチリ止め,さらにロープで補強したうえ出発する.
 
 思い起こせば,今年,K君の車で来るようになってから,毎回,何かハプニングが起きている.鰻轟山では道路排水溝に脱輪,風呂塔ではエンジン不調など,しかし不思議と剣山の時は何も起こらなかった.いずれにせよ先が案ぜられる.
 
 さて,最初の目的地,芝小屋山への登山口は,旭の丸展望台先のカーブを曲がったすぐのところにある.このルートは『四国のみち』の一部に組み込まれているので登山道は整備が行き届いている.K君は早速MTBを下ろし,はずしていた前輪を取付け,調子をみている.全員準備が整い,さあ,いざ出発!登山口付近は丸太で階段状に造ってあるので,K君はMTBを押して登っている.登り詰めると平坦な道となり,それっとばかりMTBに跨り,風を切って走り去った.MTBで走行可能な場所は,このような『四国のみち』みたいな遊歩道しかないだろう.大抵の山はけもの道みたいな登山道ばかりなので,走れる山はおのずと限られてくる.今まで登った山の中では塔の丸,丸笹山ぐらいである.剣山も無理をすれば登れないこともないだろうが,かなりえらい目に遭うのは明白だ.
 
 ほどなくして立て札のあるところでMTBを止めているK君に追い付く.この立て札の案内には,少々消えかかっているが,芝小屋山10mとある.みんな呆気にとられ,一瞬顔を見合わせる.ともかく,その方向に雑木林の中を10m行くと南面がひらけた展望のよい岩場にでた.な,なんと!ここが芝小屋山の山頂なのである.傍らの松に高松軽登山同好会の標識がある.登り始めてたった5分で着いてしまった.これでは汗をかく間もない.ビールを飲むにしても早すぎるし,さてどうしたものか一同思案する.一応,記念写真を撮っておく.
 
 せっかく来たのだから隣に見えるピークまで足をのばすことに決定.一見した感じでは芝小屋山より高そうだが,地図によると10m低いことになる.うっそうとした樹林のなかを四国のみちは続く.太陽が陰ると急に薄暗くなる.長そうな登りにさしかかったところで,ついにK君はMTBを諦め,置いて行く.しばらく歩くと『四国のみち』からそれ,上へと続く防火帯がある.この草むらの中を登ればどうやら頂上らしい.ヒーヒーハーハーゼーゼーとあえぎながら登ってみたが,山頂の廻りは杉林に囲まれ,展望はまったくきかない.どうやら,この杉の高さの分だけ標高が高く見えたのかも知れない.休憩するような場所ではないので,すぐ下山する.蒸し暑いおかげでかなり汗をかいたが,途中にも休憩する適当な場所がないので,再び芝小屋山の山頂に寄る.ヤレヤレ,やっとビールにありつける.ここから旭の丸全景が望める.
 
 MTBをキャリアに積み,次の目的地,川成峠を目指す.スーパー林道入口まで15分,そこから土須峠まで25分,土須峠から川成峠まで40分.MTBを落とさないよう,ノロノロ運転に徹してやって来たのだ.
 
 申太郎山への登り口はわかりにくく,付近をウロキョロ探す.道の脇の小枝に目印の赤テープがあるのを発見,早速登頂開始.きつそうな山なので,むろん,MTBは即刻無理と判断,置いていく.道らしきものはなく,かろうじて判別できる,かすかな踏み跡を辿って行く.それもすぐに途絶えがちとなり,ヤブこぎを余儀なくされる.笹や草の葉っぱが露を含んでおり,たちまちズボンはビショ濡れとなる.15分ぐらい登っただろうか,ほぼ,雑木の密集地帯を抜けたようだが,相変わらず道は不明瞭だ.所々にある赤テープのマーキングを探しつつ,とにかく稜線づたいに上へ上へと登るしかない.まるで人跡未踏の熱帯ジャングルを歩いているみたいだ.草は生い茂り行く手を阻まれるし,足元はズルズル滑るし,蒸し暑い.おまけに急斜面ときているから枝や草につかまり,よじ登らなければならない.すでに全員バテ気味だ.H君など「もう,7月と8月は登山はやめだ!」などと言い出す始末である.なんとまあ根性のない奴よ,と人のことを笑っている場合ではない.確かに夏場は草木の繁茂がいちじるしく,このような道なき山は避けたほうが賢明だ.それにヘビでもでてきたら大変なことになる.
 
 一方,K君だけはすこぶる調子が良いようで,ただひとりどんどんとばしている.何度もコースを見失いながらも確実に上へ登って行く.時々,左手に申太郎山が姿をみせるが,いっこうに近づく気配がない.途中,1カ所だけ周囲の開けた斜面にでる.ここから木屋平村方面が一望に見おろせる.西に目を移すと,天神丸,その遥か向こうに一の森,剣山が見える.目を凝らすと剣山測侯所も見られる.しかしここから以降,再びヤブこぎの連続である.結局,この状態は山頂までずっと続いていた.
 
 登頂には1時間かかってしまった.山頂は原生林に覆われ展望はよくない.かろうじて高城山方面だけ木の間から望める.頭から水をかぶったように汗をかいたので,いつもならすぐにビールを飲み干すところだが,あまりにも疲れたので,逆にたいして欲しいとは思わない.リュックを放り出し登山シャツを脱いで座り込む.しばし汗が引くのを待って,一息ついてから飲むことにしよう.南斜面から吹き上げてくる風が心地よい.私がまだビールを飲み終えないうちに,K君はさあ帰ろうと言い出す.何でそんなに急いでいるのか分からないが,ひとりさっさと帰り支度を始め,先頭をきって出発しようとしている.そんなK君を引き留め,皆で記念写真を撮る.私は山頂の風景と高城山をカメラとビデオに収めていたので最後になってしまった.急いで彼らを追いかけなけれなならない.
 
 登りと下りでは目にはいる風景がかなり違う.このような道なき道を下るのは慎重に進まなければならない.そうしないとすぐに道を誤り,とんでもない方向に行ってしまうのだ.反面,登りではゆっくりとしか歩けないので,道を間違うことはまずないだろう.しかし,K君とH君からかなり離れてしまったみたいなので,今はそんなことを言ってられない.かまわずスピードアップして下りて行くと,H君が立ち往生していた.どうやらK君の姿は見あたらないので先に行ってしまったのだろう.H君はどっちへ行っていいかわからず,ウロウロしている.ふたりであたりを探すと道らしきものがあった.果たしてK君は迷わずにいるのか,少々心配になってきた.
 
 時折,木の間からスーパー林道が視界に飛び込んでくるので,それを目当てに進めばよいわけである.道を探りながらH君といっしょに下りる.道が分からなくなれば横に広がりそれぞれ各自の廻りを探す.このように,ふたりだと比較的容易にルートファインディング出来るが,ひとりではかなり手間取ることだろう.ほどなくK君に追いついた.彼はかなりルートから南にそれた場所で右往左往している.こっちに呼び戻し,しばらく三人で行動していたが,有り余るパワーを持つK君が再びダッシュ開始,彼方に消え去ってしまった.二番手が私でドンジリがH君という順番になる.時々,立ち止まりH君を待ちながら降りる.
 
 今から思えばちょっと妙だなと思い当たるふしがないではなかった.あの時は歩きよい道だったので少しも気に止めなかった.その思い当たるふしとは,登るときあれほど苦心さんたんしながら通過したブッシュに,まだ出くわしていないのだ.しかし,間違いに気付いたときはすでに遅し.なんと,スーパー林道の10mは超える崖っぷちに出てしまった.とてもこのガケを下りられそうもない.ひとつ稜線を間違えたのだ.登ってきた尾根は西に向かって延びているが,この尾根は北に延びている.またしても鰻轟山の時と同様のミスを犯してしまった.しかし,林道が目の前にあるのでそれほど深刻ではないのが,せめてもの慰めだ.とにかく引き返さなければならぬ.引き返すのはたいそうしんどいものだ.どっと疲れがあふれでる.30〜40mぐらい戻った地点でふと左手を見るとガケ崩れの跡が見える.立ち止まってよく観察すると,なんとか降りられそうだ.先に行ってしまったH君を大声で呼ぶ.傍らの倒木の枝や草につかまったり,四つんばいになったりしながらも無事林道まで降りてこられた.衣服はドロドロに汚れ,ひどいかっこうになってしまった.道を間違いながらも下りに要した時間は30分しかかかっていなかった.
 
 K君はすでに車のところまで帰っていた.しかも,のんびりと上半身裸でレジャーシートの上で寝そべっているではないか!駐車した地点より200mぐらい離れており,あそこまで戻るのは極めて面倒だ.それでK君にこっちへ来るよう,大声で呼ぶ.車に乗り込み開口一番,「よくもまあ道に迷わずに降りてこれたな」と声をかける.それから落ちついてK君の話をよく聞けば,なんのことはない,彼も我々と同じガケのルートを降りてきたのだ.このルートは現在,林道で寸断されているが,ひょっとしたら昔はこのコースが正規のものだったのかも知れない.こちらの方が,ガケの部分を除けば,ずっと歩きやすいかったからだ.
 
 バーベキュー大宴会は,少し引き返した地点にある土捨て場の広場で行なう.この場所は来るとき目を付けておいたのだ.1時過ぎからのんびり始める.いつも言うことだが,ビールというもの,体を使って汗をたっぷり流した者のみが,その真の味を初めて楽しめるのではないだろうか.評論家か哲学者みたいな,きどったせりふがやけに胸に心地よいのは,大自然の中でいるせいか.5時頃,一段と風が強くなってきたので急いで帰り支度を始める.明くる日,台風17号が徳島上空を通過,大雨を降らせたのであった.
 
 
 
VOL.17
【 草原のさまよえる三人…行ったり来たりの腕山 】
1989年10月3日 火曜日 天候 曇り
腕山(かいなやま) 標高 1,332.9 m
徳島県三好郡西祖谷山村
 
 腕山スキー場を9時出発,付近をウロウロして登山口を探す.登山口はスキー場真下の道路を少し下ったところの木立に,ひっそりと隠れるようにあった.比較的きれいな登山道を20分も歩くと分岐点がある.上へ向かう道をとるが,20数m登ったところであっさり消滅.直ちに引き返し元の道をまっすぐ進む.5分ほどでやや開けた場所に出た.枝に巻き付けられた目印の赤テープを,目ざとく見付ける.ここからの道は谷川みたいにV形にえぐられている.足元はスベリ台のように滑らかで,凹凸はなく,さほど歩きにくいことはない.ひとたび雨が降れば,斜面の水を集めて,水路と化すのだろう.下にある沢のせせらぎを聞きながらしばらく登る.やがて道は折れ曲がり沢から離れていく.薄暗いスギ木立の中を,水ノ口峠へと延びる稜線伝いに登って行く.
 
 杉林を抜けると開けた東面の造林帯に出る.久しく手入れされている様子がなく,下草は生え放題で背丈くらいのカヤが繁茂している.幸い,踏み跡が比較的はっきりしているので,両手でカヤをかき分け,足元の道を確認しながら進む.カヤ原を突っ切るのに5分ほどかかる.ここから杉林とカヤ原の際を尾根伝いに登るが,再びすぐにカヤ原に出くわす.先ほどのカヤ原より今度のはもっと密生している.踏み跡がまったく認められない.とにかく上へ上へ行けば間違いないので,ヤブこぎを覚悟し,ソレッ!とばかり突入開始!イバラとかトゲのある木がやたら多いのに閉口する.それらを避けつつ進むが,ブッシュに行く手を阻まれ,なかなか前進できない.バラを避けるため,そして少しでも歩きやすそうなルートを探るため,右へ寄ったり左に寄ったりしながら進路を探す.
 
 苦闘30分,散々苦労の末,突然,木も草も生えていない,広さは20帖ぐらいあろうか,ハゲた斜面にフイッと飛び出した.ここでK君の顔を見れば,ほっぺたに斜めに引っかき傷がある.私も腕と太股に痛みを感ずる.イバラにやられたらしい.この広場の上方の小枝に赤テープがあるのを発見,それに従う.すぐにV形に落ち込んだ窪みに出る.一見したところ,人の手が加えられているみたいだ.横切るとその先に道らしきものがある.ここからはブッシュは姿を消し,うって変わって歩きやすくなる.5分ほどで腕山山頂に至る.登頂に要した時間は1時間30分だった.
 
 山頂の廻りは雑木に囲まれ展望はない.以前は見晴らしがよかったはずだが残念である.よしんば展望できてもこの天気では無理だ.雲が低く垂れ込め今にも雨が降りそうだ.いや,霧雨がポツポツ降っている.あまりゆっくり出来そうもない.ビールを飲み終え,「さぁ,行こうか」と準備を始めると,K君が「コーヒーいるか?」と低い声でボソリと言う.せっかくなのでコーヒーをつくってもらう.その時の話し合いで「またあのブッシュを帰るのはもうコリゴリ,ゼッ〜タイ,イヤ!腕山牧場へ下りて行くべきだ!」とばかり,全員一致で話がまとまった.地図を見れば牧場を経由してスキー場まで道がある.こちらのルートがずっと道がよいと判断したのだ.
 
 40分休憩の後,11時10分山頂を出発.頂上南面にあった道を辿ると,すぐに開けた植林帯に出た.苗木が植えられてからさほど経っていないので,下草はほとんどなく,歩きよい.しかし,肝心の牧場はどこにも見当らない.それより意外なことに,舗装道路が一本この真下を横切っているではないか!牧場へ通じる道であろうが,こんな立派な道があるとは思いもよらなかった.ということは我々は道を間違え,あらぬ方向に下りてきたことになる.ともかくいったん,道路を目指して下りることにする.山頂を出発して,ほぼ30分で道路上に立つ.
 
 牧場へ向かうべく,アスファルト舗装路を歩く.過去,登山中に林道を歩いたことはあるが,このようなりっぱな舗装道路を歩いた経験はない.20分で牧場とおぼしき分岐点に着く.上へ向かう道を選ぶ.折返しを数回過ぎると,牧場に出た.もう,牛の姿は見えない.すでに飼い主に引き取られ,里に帰ってしまったようだ.再び地図を取り出し,現在位置をチェック.国土地理院発行五万分の一の地図に依ると,牧場北側の下あたりからスキー場へ通じる道が点線で示されている.この点線は凡例に依ると幅員1.5m未満の道路とある.当初,私は牧場からスキー場まで,林道があるものと思っていたのだが,どうやらそれはないようである.
 
 牧場を斜め下に横断,北側の柵に沿って歩く.蛇に由来する池があるとガイドブックに書かれていたが,このあたりにはない.もっと上の方にあるのだろう.事実,牧場はかなり上まで,腕山南西斜面にたて長に広がって延びているようである.もし晴れていれば,ここからの眺望は素晴らしいことであろうに.本日は残念ながらガスがかかっているのでさっぱりだ.さらにもうひとつ,雪が積もれば見事なスキー場になることは間違いない.
 
 ゆるい斜面をしばらく下って行くと傾斜が急になり,下の方まで見渡せる.左手に赤い屋根の管理小屋が見え,視点をそのまま水平に横に移すと,囲いの一部に出入口が設けられているのを発見.これに間違いない.勇躍,その出入口に向かって一目散に下りて行く.
 
 出入口付近はきれいに刈られている.道はすぐその先で二手に分かれていた.当然,東に位置するスキー場方面に向いている右の道へ進入.整備された道は杉林の中へと続いている.ここを抜けると背丈よりやや高い,杉の植林地がある.この付近で道は下草に覆われ,細い道になる.何か妙だなと感じつつも先を急ぐ.再び杉林に入り,そこを通過するとついに道は消えてしまった.
 
 「これは間違いなく,間違ってるぞ!すぐ引き返さんか!」と叫んだが,K,Hの両君はそんな私の言葉を聞かず,なおもブッシュの中へと突き進んで行ったのだ.そんな時,K君が突然,白い屋根を見たという.しかし,いくら目を凝らして付近を見渡しても,そんなものはない.それでも30mぐらい進んだろうか.もう一歩たりとも前進不可能になった.それほど雑木とか雑草がビッシリと繁茂しているのだ.さらに進もうとすれば,大きなナタが必要だ.ところがナタを振り回せないほど,すさまじいブッシュなのである.彼らもやっと諦めたのだろう,引き返し始めた.その時,チラッと木立を通して見え隠れしたのだが,なにやらビニールのような白いものが枝に引っかかっていた.たぶん,K君はこれを白い屋根と見間違えたのだろう.
 
 はて?いったいここはどこだろう?それにつけても自分達のいるところが皆目,見当がつかない.確かなことは腕山の北斜面ということだ.頂上より稜線がいくつも派生しているので,地図上で見るのと実際に見るのとでは大きな差がある.既に1時を過ぎている.急がねばバーベキューをする時間がなくなる.不安と焦りが交錯する.とにかく一度牧場まで戻らなければならない.全員,肩をガックリ落しながら歩く.牧場まで25分.そこからひとまず等高線沿いに管理舎まで5分.
 
 舗装道路はこの建物の前まで続いている.先を急がなければならない.本日の我々は急ぎの旅人なので一服する間もない.しばらく道路を辿り歩いていると,最初に牧場へ着いた時の道路の分岐点にやって来た.その時,向こうからコンクリートミキサー車が走ってきた.アレ,確か今まで工事現場はなかったはずだ.やはり,この道は腕山をグルッと廻り,スキー場に通じているのではないかと思い立つ.そこで今来たこの道を引き返す.
 
 予想に反し,ミキサー車は道路の際に止まっていた.運転手がトランシバー片手にウィンチを操作している.工事現場はずっ〜と下の方にあったのだ.コンクリートを運搬用バスケットに移し替え,ウィンチで吊り上げ,仮設ロープウェイで運んでいたのだ.傍らのベニヤ板に砂防ダムが描かれた図面が張ってある.ここであっさり引き返せばいいものを,もう一度管理宿舎まで行って,その先,道がどうなっているか,確かめようということになった.運転手がけげんそうにこちらを見ている.ひとまず足早に通り過ぎる.
 
 再び管理宿舎まで戻ってきた.ここから見る限り,どう見ても道は終わっているようだ.それでも先へ行ってみる.果して道はその通り,牧場手前で途切れていた.再び地図を広げる.何度見ても同じだが,地図には,ちゃんとスキー場まで点線で結ばれている.よせばいいのに,しぶとくも再度その道を発見すべく牧場に足を踏み入れたのだ.牧場はさらに下のほうまで延びている.そこには中央部にはっきりした細い道が,白く見られる.ひょっとしたらあれが正しい道なのだろうと思い,急斜面を下って行く.先ほどの砂防ダムの工事現場があるのか,下の方からエンジン音が聞こえて来る.ウィンチ用の鉄塔も見えてきた.
 
 残念ながら白い道のように見えたのは,実はコンクリート製のU型側溝だったのだ.これはおかしいなことになってきた.またしても空振りか?下にウィンチ操作の作業員がいるので聞いてみよう.その人に近づきスキー場への道を尋ねる.
「この道は腕山スキー場へ続いとりますか?」
最初,この作業員は何を言っているのかさっぱり判らなかった.多少のなまりはあるようだが,意外なことばが返ってきた.なぜなら「イヤ」と聞こえたのだ.まさか教えるのがイヤということはあるまい.さらに問うてみる.ついに作業員氏はエンジンを切る.そしてもう一度よくよく聞くと「オイヤ」か「コイヤ」と言っているようだ.小祖谷という地名は松尾川ダム方面にある.そこで聞き方を変えてみる.
「スキー場へはどう行ったら行けますか?」
「腕山へ登って行くか,道路をずうっと行けばよい」
まさか再び腕山に登ることなど出来るはずがない.ここは道路を戻るしかあるまい.礼を言って,重い足どりで急斜面を再びヒーヒーハーハーゼーゼーと息を切らし,引き返す.この瞬間,今日の宴会は出来ないと思った.順調に帰っても5時を過ぎるのではないかと思われた.いっきに失望のどん底にたたき落とされた.
 
 なんとか管理宿舎前の広場まで戻る.そこでK君が「またあの運転手に見られるのはカッコ悪いな.道を通らず牧場を突切って行かんか」と言う.私が「かえってしんどいからやめよう」と口に出そうとしたとき,すでにK君は柵をくぐり抜け,セッセと登り始めていた.仕方なくH君と後を追う.本日は愛用の重い一眼レフカメラを持ってきていないので,荷は少しばかり軽い.カメラは黒部峡谷に持って行った時に壊れてしまったので,いま修理に出している.だからあの時の写真は半分ぐらいしか,まともに写っていなかった.肝心な時に壊れたのはまことに腹立たしい限りだが,今日の場合,荷物は軽いに越したことはない.しみじみこれで良かったのだ,とひとり慰める私であった.
 
 やっと上部の最初に牧場に来た場所まで戻ることが出来た.なんとこれで三度目である.まさしくこれが『三度目の正直』だ.一方『仏の顔も三度』とか,『二度あることは三度ある』という諺があるが,まったくもう,我々はいったい何をやっているんだろうか?バカバカしくて開いた口もふさがらない.しばし草原にたたずむ,さまよえる三人.たぶん,はたから眺める雰囲気は,さびしさ,わびしさが背中いっぱいにかもし出され,情緒たっぷり黄昏を思わせる図に仕上がっていたのではないだろうか?
 
 後は何も考えず,この道をただ歩くのみである.松尾川ダムへの分岐点まで行き,そこを左へ曲がり,水ノ口峠へ登ればよいわけだ.最初からそうしていればよかったのに.そうすれば今ごろは悠々自適,さぞかしゆったりとビール&バーベキュータイムを楽しんでいることだろうと悔やまれる.が,今そんなことを思ってもどうにもならないが,急にノドから唾が出てきて,空腹と喉の渇きを覚える.現在,すでに2時40分,腕山から道路に下りた時刻は確か11時40分だったから,3時間以上,無駄に歩いていたことになる.しかし,これも考えようだ.おかげで牧場がよく見学出来た.ちょっとばかし寄り道をして,ハイキングを楽しんだと思えば,そう悪いことでもあるまい.
 
 とは言え,やはり元来た道を引き返すのがベターだった.そこで
<本日の教訓>
鉄則その1:はっきりした登山道がある場合を除き,必ず登って来た地点に戻ること
鉄則その2:自分の思い込みを,いつまでも信ずるな!
鉄則その3:低い山でもバカにしてはいけない
鉄則その4:間違ったと思ったら,すぐ引き返すこと
 その1については言うまでもないが,もし作業員がおらず,道を聞かないで,何も知らず小祖谷に下りて行ったとしたら,これは大変なことになっていた.
 その2については,今回のミスは牧場からスキー場へ通じる道があるものと思い込んだこともあり,命取りの大きな原因のひとつとなった.やはり思い込みは恐ろしい.
 その3については,その2とオーバーラップする部分もあるが,腕山は標高1300mちょっとの山である.なぁ〜に,こんな山たいしたことない,いと簡単とバカにし,十分な事前調査を怠ったのだ.それに腕山の名は頻繁に聞くので,てっきり登山道はよく整備されているものと思い込んでいたのだ.やはり1000mを越える山ともなれば,慎重な行動が望まれる.
 その4については,今更言うまでもない.ところが人間というもの,すぐに忘れる動物である.そして同じ失敗を再びやらかすことになる.この四つの戒めを教訓として,しっかり肝に銘じておこう.まぁ,今日は皆が迷っているので少しは気が楽である.いつかの鰻轟山の時ほど事態は深刻でないのが救われる.
 
 黙々と道路を行進する.牧場からかれこれ40分歩いた.この40分は非常に長く感じた.水ノ口峠と松尾川ダム及び小祖谷方面への分岐点にやっと到着した.牧場まで 3.7kmとの標示がある.ここからダラダラした坂を,ひとまず水ノ口峠目指して歩く.小雨模様となるが,気にせずひたすら歩き続ける.峠の手前で舗装が途切れる.小祖谷との分岐点より25分で,お地蔵さんのある水ノ口峠を越える.お地蔵さんには酒とビールが供えられ,それを横目でチラッと見,ゴックンしながら通り過ぎる.そこからスキー場まで,ほぼ15分で到着.
 
 やっとスキー場に辿り着くことが出来た.4時ちょうどだ.よく歩いたものだ.しかし,疲労困敗,もう一歩も歩けないというほどではない.まだまだ体力は残っている.なぜなら2週間ほど前に黒部峡谷を歩いた体験が,効を奏しているらしい.さほど体も足も疲れていないのが,自分でも不思議なくらいだ.
 
 当初,5時を過ぎるであろうと思われたが,幸い,予想していたよりも時間はかかっていない.これならバーベキュー実行は可能だ.スキー場のヒュッテの裏で何か工事をしているらしい.作業者のトラックが停めてあるので,遠慮して宴会場は下にある駐車場にて設営する.駐車場の一角から井川町が見おろせ,なかなか眺望は良ろしい.天候も回復して青空が見えてきた.4時を過ぎていたので,急ぎバーベキュー準備に取り掛かる.
 
 順調にメニューをこなし,最後の焼きそばをする段になって,寒さのせいか火力が急に衰えだした.なかなか湯気が上がらず,例のジュージューという威勢のいい音が聞こえてこない.業を煮やしてK君が鉄板をはずし,炭火を点検するが異常なし.しかし,このままではいつになったら焼き上がるか分からない.そこでスキー場ヒュッテに薪が積まれてあったのを思い出し,少し借用することになった.スキー場への近道が目の前にあるが,歩くと時間がかかりそうなので,K君とH君が車で取りに行く.持ち帰った薪をくべ,ファンを回すと勢いよく燃えだす.今度は火力が強すぎるようだ.煙が目にしみるのをこらえながら,焦げたソバをバリバリフーフー食べる.
 
 宴会を終え,後片付けを始めた頃は陽もとっぷり暮れ,あたりは暗闇に包まれだした.標高1000mのこの地では当然のことだが,さすがに肌寒さを覚える.最後にドリンクを飲み,本日の予定はすべてこなし終了となった.まずは,めでたしめでたしと・・・
 
 
 
VOL.18
【 最初に冬,次に春…天候激変/奥野々山から霊峰高越山へ 】
1989年11月18日 土曜日 天候 晴れ
1. 奥野々山(おくののやま) 標高 1,159 m
  徳島県麻植郡三郷村〜美馬郡穴吹町
2. 高越山(こおつざん) 標高 1,122 m
  徳島県麻植郡山川町
 
 今日はほぼ1週間ぶりの晴れ,しかも快晴となった.昨日までは曇り空のハッキリしないお天気が続いていたのだ.やはり天気が良いとこうも心がウキウキ軽くなるものなのか.人はこれほどまでに天候に左右され易いのだと改めて実感した次第である.今回はK君が仕事の都合で欠席したので,次郎笈の時と同様,H君の軽四トラックで出かけることになった.いつもの24時間スーパーで食料を買い込む.炭おこし担当のK君がいないので,本日はバーベキューを中止.サシミとか缶詰それに即席ラーメンなど簡易なメニューで済ますことにした.
 
 山川町に近づくにつれ雲がモクモクと立ちこめてきた.国道から奥野井へと分岐,つつじ公園に向かう途中の山川町内の,とある酒屋でビールを購入.いつも思うことだが,酒屋だけはどんな田舎にでもあるものだ.事実,今までの山行でビール購入に際して不自由をしたことがない.どこにでも酒屋があるからだ.しかも大抵朝7時頃には店を開いている.
 
 山川少年自然の家を通過,船窪つつじ公園の少し手前に奥野々山への登山口がある.その標識には3kmと表示されている.すぐそばには18の番号札がある.少年自然の家があるためか,この付近はハイキングコースが至るところ張り巡らされているので,そのコースを示す番号なのであろう.
 
 出発準備をし,8時に出発.こんなに朝早く登り始めるのはかってないことだ.5分ほど杉林の中を歩くと,道路のようにきれいに刈り込まれた防火帯にでる.この幅4mほどの防火帯を横断,東斜面につけられている登山道を進むと,まもなく二つめの尾根につけられた防火帯に至る.倒れていた道案内を見ると左奥野々山,右船窪つつじ公園とある.左の防火帯をたどれば,すぐにきつい登りとなった.しかし,本日は気温が低いので汗をかくことはない.体がやや温まる程度で丁度良い.立ち止まって一息つくと冷たい風がほほをなでる.まるでスキー場で吹かれる風のように冷たく痛いくらいだ.息をフッ吐くと1m以上は白くなって飛んでいるのが見える.
 
 登りきると枯葉が見事なまでにビッシリ敷き詰められた平坦な道になる.ガスが西の斜面から吹き上げてくる.写真を撮ろうと立ち止まれば,すぐにK君の姿がかすんでしまうほどだ.しばらく尾根伝いに歩けば,また急斜面に突き当たる.登りやすそうな場所を探し,よじ登る.登りきれば枯葉が厚く積もった神社の屋根が見える.その神社のすぐ裏手が山頂であった.登り始めて35分で到着.
 
 大木が山頂まで生い茂っているが,今は葉は散っているので,木々の間を通してなんとか展望できそうだ.このガスがなければの話だが.記念写真を撮り終え,社のまわりを巡る.この神社も昔は祭りなどで賑わったことだろう.今は参拝に訪れる人はいないのか,かなり荒れている.人に見放された建物の荒廃ぶりはまことに哀れだ.鳥居のすぐそばの古木に見事なまでに「猿のこしかけ」が群生していた.風の当たらない神社の横で休息する.寒い寒いと言いながらもビールを飲み,40分後の9時20分に山頂をあとにする.
 
 先ほどの標識の倒れていた尾根のコルまで戻ってきた.まだ時間が早いので船窪つつじ公園経由で高越山まで歩いて行こう,ということになった.導標に従い反対側の防火帯の坂を登る.坂の途中で振り返れば奥野々山への道がみられる.思った以上に高低差があるものだ.登りきると道は,直角に北に曲がって下りになっている.つつじ公園の方角は西へまっすぐ行かなければならないはずである.が,道らしきものはない.とりあえず北に向かって進路をとる.このあたりもすっかり刈り込まれているので歩きやすい.道はどんどん下っている.しばらくして元の,最初に横断したあの防火帯のところに戻ってきた.なんのことはない,ただ山をぐるっと回ってきただけだ.
 
 ここから駐車地点まで5分の距離だ.下りは遠回りしたので登りより5分ほど余分に時間がかかってしまった.高越山まで歩いて行く積もりだったが,せっかく車まで戻ったのだから,結局,車で行くことに決定.つつじ公園まで舗装されているが,以降は未舗装の林道となる.高越山駐車場まで思った以上に距離があった.やっぱり車で来てよかったと思う.
 
 駐車場から高越寺まで1km余り.ほぼ水平な手入れの行き届いた遊歩道を散歩気分で歩く.奥野々山登頂の時とはうってかわり,青空が広がり,小春日和のポカポカ陽気だ.東斜面に道はついているので,風も遮られている.高越寺山門をくぐるとすぐ左手の古びた石段を登れば,山頂に達せられるが,ここから登らず別のルートを辿ることになった.なお,この高越山に登るのは2回目である.前回,もう15年ぐらい前になろうか,山川駅からずっと歩いて表登山道を登ったのだ.ほぼ標高差が1000mあるうえ,道は最初から急な登りが続き,ひどく苦しい思いをした記憶がよみがえる.
 
 境内を通り抜け,西斜面の遊歩道を少しばかり歩く.奥ノ院への分岐があるところから北に向かって尾根伝いに登れば弘法大師像のある山頂だ.帰りは尾根を引き返し,再び奥ノ院まで戻る.さらに奥ノ院の裏手から尾根伝いに雑木林の中へと進路をとる.すぐに踏み跡は消えてしまうが,歩きにくいことはない.しかし,春から夏にかけて雑草や木の葉っぱが繁茂する頃は,極めて歩きにくいかもしれない.この点からすれば今時が山登りには最も適していると言えるだろう.そんなことを考えたりしていると,下方に駐車場が見えてきた.
 
 さて,次の予定はお待ちかね,宴会の段取りだ.会場はつつじ公園でやろうということになり,一旦公園まで戻る.しかし,公園内には適当な場所がなく,風は吹きすさぶし,なんかイマイチである.そこで,来るときにあった広い造成地を思いだした.奥野々山登山口からやや引き返した,道が大きくカーブしたところにある.この広場を抜けて三郷村方面へ通じる道がついているが,舗装工事中で全面通行止めとなっていた.時折,生コン車が往来しているが,これ以上良好な場所は望めないと判断,北側の端っこで準備を始めた.
 
 ここはなかなか見晴らしがよく,目の前に高越山,そして山川町方面から吉野川が一望に見渡せる.どんな立派な建物の部屋でいかに豪華な食事をしようが,やはりこのような大自然のなか,青空の広がる下で頂く食事に勝るものはないだろう.しかもこれすべてタダ.時たま冷たい風が吹くのが難点と言えば難点である.だが,そんな贅沢は言ってられない.
 
 バーベキューをする時は炭をおこすのに少々時間がかかるが,今日は座ると同時に,いきなり食べられる.こんなメニューもたまにはよいもの.でも,やはりサシミとか缶詰では体が温まらない.水炊きにすべきだったと,今思っても手遅れである.なんだかんだ言いながらも本日のビールは全部あっさり飲み干してしまった.フィトンチッドの作用かどうかは知らないが,自然のなかで食べるのは普段の倍以上,食がすすむものだ.
 
 帰り支度を始め,午後2時20分に出発する.今までは2時頃から宴会を始めることが多かったのに,本日は異例の早さである.なんと言っても明るいうちに帰るに越したことはない.山川町に着く前に,K君には悪いが,私は心地よい眠りの誘惑に打ち勝つことは出来なかった.
 
 
 
VOL.19
【 キツネかタヌキに化かされた?迷い焦り安心の東宮山 】
1989年11月21日 火曜日 天候 晴れ
東宮山(とうぐうさん) 標高 1,090.5 m
徳島県美馬郡木屋平村〜名西郡神山町
 
 つい3日前にH君と奥野々山・高越山へ登ったばかりである.今日はH君が欠席,代わりにK君と東宮山に登ることになった.国道439号線,川井峠の神山町側に登山口はあるのだが,峠の登りにさしかかるちょっと手前,国道193号線の分岐を過ぎた上分殿宮で道路工事のため,50分も待たされた.ところで国道439号は「ヨサク」,193号は「イッキューサン」と呼ばれている.いやはやなんともこの道路にピッタリの愛称ではないか!
 
 さて,それでも9時15分に登山開始.非常に肌寒い.登り始めて5分ぐらい,肝心要のビールとおつまみを忘れてきたことに気付く.いつもH君がビール&つまみを配布してくれていたので,すっかり忘れていたのだ.そこで本当の出発は9時25分となった.10分も歩かないうちに峠に着く.石の導標がひっそりと建ち剣山までの距離が刻まれていた.昔はこの峠を越えて往来する旅人があったことが偲ばれる.ここより北に向かってハッキリとした道が,杉林の中を縫っている.時々,木屋平村との稜線上を行くが,ほとんど神山寄りの東斜面の杉林に沿って,登山道は続く.
 
 登り始めて20分,やや開けた場所で小休止を取る.本日も前回の高越山と同様,ピーカンの快晴である.そこからさらに20分歩いた,坂を登りきったカーブした地点で再び休憩する.杉木立を過ぎれば今度は雑木林といった具合いに,このパターンの繰り返しである.雑木の中の道は日当りがよくまばゆいまでに明るいが,うっそうと茂る杉林に入ると夕暮れになったのかと思うほどいっきに暗くなる.潅木の落葉樹の葉はすべて散っているが,木の間からの展望はきかない.
 
 1時間と10分を過ぎ,もうそろそろ着いてもよい頃なのにちょっと変だな,まさか道を間違えているんじゃないだろうか,と思い始めた時,東宮御所神社のお堂などの建物が見えてきた.ヤレヤレ道は間違っていなかった.このところ,ちょくちょく道を間違えることがあるので常に不安がつきまとう.近ごろの私の精神状態は緊張しており,ちょっと神経質なのだ.神社の北斜面は一気に落ち込んでいる.大木が繁る木立の間から,眼下に樹海のような風景が楽しめる.
 
 この神社は予想していたよりずうっと大きい.人里にあるものと同じぐらいの規模だ.昔,このような山の上までわざわざお参りとか祭りのため,近傍の村人は登って来たのか?さぞかし盛大な祭りであっただろうと思われる.しかし,今はさびれる一方の過疎に悩む村より,もっと早いスピードで荒れ果て朽ちていく神社の社を見上げれば,時代の移り変わりを感じずにはいられない.
 
 5分ほど境内をうろつき,やや感傷的になったところで山頂を目指し出発.何日か前の寒波襲来の時に降った雪が,所々残っている.山頂へは神社の裏手を登り詰めればよいはずである.きつい急斜面を息を切らして一直線に登っていく.道はついていないが,雑木がまばらなので歩くのに苦労はしない.しかし,夏だとこうはいかないだろう.やはり山は秋から初冬にかけてが最も歩き易い.ヘビ恐怖症の私にとってまず第一,ヘビがいないのがうれしい.どこでも安心して入っていける.
 
 ひとつ上の尾根まで登ると,ちゃんとした登山道があった.この道は神社のどこかから延びていたのだろうか?相変わらず急な道を15分も登り詰めれば頂上だ.山頂には社が二つ,それぞれ東向きと南向きに建っている.なにか雰囲気が奥野々山とよく似ている.どちらも頂上の廻りまで広葉樹の大木が茂っているからだ.幸い,落葉しているので木々の枝を通して吉野川,はるか彼方の東方には,霞んでいるが,徳島市街が望める.
 
 まずビールを飲み,それからK君がたてたコーヒーを飲む.頂上をひとまわりしていると,南に延びる尾根の方向に道しるべの赤テープが枝に巻き付けられているのを見つける.そこで帰りはこのルートを辿ることに決定.
 
 40分休憩の後,11時30分に出発.ところでこれまでの山頂での休憩時間は,1時間の時もあるが,なぜかほとんど40分間である.40分あればゆっくりビールを飲んで一服するのに,ちょうどよい時間かも知れない.1時間だと少々くつろぎすぎるきらいがある.腰を持ち上げるのが大そうになってしまうのだ.赤テープに従いながら下っていると,すぐうっそうとした杉林に入る.こちらも雑木がまばらなのでスピードをだし,どんどん降りられる.が,いつのまにか赤テープを見失ってしまった.付近をウロウロ探すが見あたらない.K君が「頂上まで引き返して元の道を帰らんか!」と言い出す.私はそんな言葉に耳を貸さず,なおも執ように目印を探す.西の木屋平村側へ行ってみる.やっと見つけた.どうやらルートは木屋平村側の稜線に沿っているようだ.K君を呼び戻し,今度は見落とさないよう慎重に下りる.
 
 頂上から20分ほどのところで,道は急に西に曲がってた.むろん,テープもこちらの道を指している.はて?待てよ…このとおり行けば木屋平村に向かってしまう…しかし…付近には道らしきものはないようだし,さてどうしたものか…思案の挙げ句,私がこの杉林を東に向かって突っきれば,登るとき通った道に出くわすはずだと提案する.ところが今度はK君が,私の言うことにまったく耳を貸さず,再び,頂上まで戻ろうと主張するばかり.最も確実な方法ではあるが,頂上まで戻るとなると倍の40分はかかるだろう.
 
 やっぱり別のルートをとらず,すなおに登ってきた道を戻るべきであったと,しきりに反省する場面と相成る.ついこの前の腕山で同じことで失敗したばかりでないか!あの時あれほど肝に命じたはずなのに!しばらく二人とも意気消沈,すっかりめげ込んでしまった.そこで妥協案として,疑問ではあるが,さっきの西に向かう道を行ってみようではないか,ということになった.どこに下りるか分からないが,とにかく間違いなく下りられるだろう.まぁ〜なるようにしかならないが,どうにかなるだろう・・・
 
 真西に向かって道は続くが,まもなく南にゆるく,大きな弧を描いて曲がり始める.なおも先へ先へと歩き続けると,オヤ!見覚えのある赤く塗られた,プラスチック製の杭がポツンと立っている.同じ様な杭はどこにでもあるもんだ,と思いながら通り過ぎる.足早にどんどん歩き続ける.そのうち,どうもこの道は登るときに通った様な気がしないでもないなあと,かすかに思い始める.このことをK君に話すと,そんなバカなことがあるか!と一笑に付される.まあ,山道というもの,どこもかしこも同じで似たりよったりではあるが.
 
 なおも先を急ぐ.雑木林のなかをカーブする手前でK君が突然,足を止めた.これは一体どうしたことだ!な,なんと!ここは登る時,休憩した場所だ.まるでキツネに包まれたみたいな気分になる.知らずに登るとき歩いた元の道に戻っていたのだ.いつの間に一体どうして?思うに,どうもあの赤いプラスチック杭のあったあたりが怪しい.だが,合流しているような道はなかったし,もちろん登る時もそんな分岐点はなかったはずだ.いくら考えても分からない.ふたりとも顔を見合わせ,安堵の入り交じったタメ息をつくばかり.いずれにせよ,間違っていなかったのでよかった,よかった.
 
 一安心して再び帰りを急ぐ.峠の駐車場所に戻ったときは12時40分であった.途中,迷いかけたりしたので,下りに要した時間は1時間10分であった.さて,これからいよいよ宴会タイムであるが,まず先に場所を探さなければならない.神山側は山の陰になるので,日当りのよい木屋平村側に行ってみようと,珍しくも意見が一致する.
 
 予想したとおり,こちら側はすこぶる日当りがよい.しかも風がまったくないのでまるで春の陽気だ.車の窓を開けると,気持ちの良いそよ風が吹いている.ところが悪いことに,宴会を繰り広げる適当な場所が,どうしても見つからない.脇道に入ったりしてしばらく走り回るが徒労に終わる.仕方がない.やはり神山側でやろう.神山青少年野外活動センター近くに広場があった.来るとき一応目をつけておいたのだ.この際あそこで手を打つしか我々の取るべき道は残されていない,と言うほど大袈裟な問題でもないが…
 
 再びトンネルを抜け,川井峠トンネル開通記念の石碑がある広場に戻る.この碑には川井随道の長年に渡る工事記録とか,素晴らしい歌が刻まれている.一度ゆっくり見てみたいものだ.幸いまだ,太陽は山の上でサンサンと照っている.おてんと様が沈まないうちに,宴会を終えなければならない.早速,準備に取り掛かる.メニューはこの度初めて加えた水炊きだ.前回の高越山での経験から,体の温まるものがよいと思ったからだ.最初,炭火をおこして水が沸くのを待っていたが,一向に沸いてこないので,シビレをきらしガスバーナーを使用する.こんなことをするのだったら七輪かカセットコンロを持ってくればよかったと思う.3時前になると日が陰り,急激に温度が下がり冷え始める.ビールを1リットル残し,3時40分帰途につく.
 
 
VOL.20
【 くつろぎ余裕,2回登った霧の塩塚峰 】
1990年6月5日 火曜日 天候 雨後曇り
塩塚峰(しおづかみね) 標高 1,043.4 m
徳島県三好郡山城町〜愛媛県宇摩郡新宮村
 
 昨日から雨模様だ.それまで快晴の日々が続いていたのに.当初,5月末頃を予定していたがK君の仕事の都合で今日に変更なったのだ.ところが昨日の夕方,K君から「明日は雨だから中止=わったな>」と一方的な電話があった.すぐにH君と連絡をとる.しかし,すでにH君は休暇を取っているのでそれは困る,では二人だけで行こうと合意.それで本日の雨天決行となった次第である.
 
 いつものように6時集合.近くの24時間スーパーへ買い出しに.本日はバーベキューを取りやめ,メインメニューとしてさしみとインスタントラーメンにする.穴吹付近で晴れ間がしばし覗くが,池田近くになると雲が垂れ込め,再び雨模様.塩塚峰へは池田町川口から黒川林道を経由.登るにつれ濃い霧が発生,視界がほとんどきかない.道に沿ってどんどん車を走らせると愛媛県新宮村側のキャンプ場に来てしまった.屋根付きのテーブルがあり設備はまあまだ.もし雨がやまなかったらここで小宴会をやってもよいと判断.
 
 再びもと来た道を引き返す.上へ向かう枝道に入る.舗装が切れたところで車を止め,しばし雨がやむのを待つ.10分ほどすると小雨になったので登山準備を始める.9時40分カッパを着込んで出発,小雨降る霧の中を歩く.視界が効かないが,この場合,高い方へ登って行けば間違いない.10分ほど牧場内の草むらに延びる細い道に沿って歩けば,やや勾配のきつい登り坂となった.この坂を登りきるとそこが塩塚峰山頂だった.
 
 山頂に到着して一息入れる間もなく反対方向を見れば,霧の彼方から誰か登ってくる.我々を測量関係の作業員と思ったのか,その女の人から「測量をしに来たのですか?」と尋ねられたのだ.ウイークデーに男二人がのんびりとハイキングをしてるとは,よもや思わなかったのだろう.その人の話によると今日は小学校の野外活動の一環として塩塚峰に登って来たのだと言う.新宮村にある少年自然の家から登ってきたらしい.耳を澄ませば生徒達の声が下の方から微かに聞こえてくる.どうやら我々はここでビールを飲んで休憩する訳にはいかないようだ.その先生に別れを告げ,登ってきた方向とは反対側に進路を取る.尾根づいたいの遊歩道をどんどん歩く.天気が良い日にゆっくり散策すれば,廻りのすばらしい風景が楽しめるのにと思うと残念至極.しばらく雲の中を歩くと東屋があった.丁度良い,ここでビールを飲むことにしよう.冷たい風が吹きビールを飲むとよけいに寒くなってきた.
 
 20分後出発.霧で見えなかったが,このすぐ下は駐車場だった.雨も止んだのでここで本日の宴会を開くことに決定.車を置いた場所まで自動車道を歩くが,思ったより距離がある.車で走れば僅かな時間でも,いざ歩くとなる極めて時間がかかるものだ.車まで戻り再び先ほどの駐車場に回送する.それでも12時前に宴会を開くことができた.2時を過ぎる頃,時折ガスが途切れて塩塚峰が望める.そこで再び塩塚峰に登ることにした.ここから僅か15分で登頂できた.まずまず山頂からの景色を楽しむことが出来た.今日は全般的に時間に余裕があったので,のんびりとくつろぐことができた.たまにこのような楽々登山もよいものだと思う.H君も同感.4時過ぎ設営を撤去.帰途は黒川林道を経由せず尾又方向へ下りた.
 
 
 
VOL.21
【 アッ アツイ!あつい!暑い> 鉄人?K君もグッタリの丸石・高ノ瀬 】
1990年7月19日 木曜日 天候 晴れ
1. 丸石(まるいし) 標高 1,683.8 m
  徳島県那賀郡木頭村〜三好郡東祖谷山村
2. 高ノ瀬(こうのせ) 標高 1,740.8 m
  徳島県那賀郡木頭村〜三好郡東祖谷山村
 
 昨日,四国地方の梅雨明け宣言がでたばかりだ.梅雨明けと言っても今年はカラ梅雨で,さっぱり雨は降らず快晴の天気がずっと続いた.本日も我々の山行きには珍しくよく晴れている.それだけならまだしも,かなり暑くなりそうだ.まぁ〜雨よりもましではあるが・・・
 
 9時25分,丸石登山口に着く.剣山スーパー林道脇に剣山登山口の標識が立っている.剣山まで1時間30分とある.登り口付近はコンクリートで階段が造られ鉄骨の橋も架けられている.木頭村もなかなか頑張っているようだ.9時35分いよいよ登山開始.尾根までつづら折れの道が続く.結構勾配があり途中2回休憩.それでも25分で丸石æ剣山縦走路に到着.すぐ目の前に望める丸石に向け出発.さらに20分で丸石山頂に着いた.
 
 山頂には小さなトタン葺きの避難小屋がある.私は知らなかったが,H君の話によると,この冬,この小屋の入口付近で新居浜の人が死んでいたという.なぜ冬にしかも一人で登ったりしたのだろうか?そして我々が登ってきた登山口にナンバープレートがはずされた車が放置されていたというのだ.また同じ1月に石立山ではアメリカ人を含むパーティーの遭難騒ぎがあった.剣山ならともかく石立山なんかに積雪のある時期に何故登らなければならなかったのか?さらにここ木頭村では昨年8月頃から米軍ジェット機の低空飛行がひんぱんに行われている.新聞によると空母ミッドウェーの艦載攻撃機であると報じられている.山の尾根すれすれに飛んで来るらしい.この3つの出来事は関連があり,木頭村には何か重要なものが隠されているとか,未知のものがあるのではないか?いわばこの地域は「ミステリーゾーン」であるとにらむ−のはたぶんこの私だけだろう.いずれにせよ近頃この周辺は話題にこと欠かないようだ.
 
 空想話はこれくらいにして,さて,丸石山頂で一服するにはあまりに暑いので,少し先まで行った森の中で休憩することにした.ここ数日間,日本列島は猛暑が続いている.本日も非常に蒸し暑い.すでにみんな全身汗びっしょり.山頂より10分ほど下った木立の下で350?缶ビールを飲む.もう1本,500?缶も持参している.これは高ノ瀬山頂で飲むことにしている.今日は2回お楽しみビールタイムがあるというわけだ.
 
 30分休憩の後出発.ここからは平坦な尾根道なので早足に歩ける.しかも木立が適度に繁っているので強烈な真夏の直射日光を遮ってくれる.そのおかげもあって20分で東祖谷かずら橋の分岐を通過.道の両脇の笹は刈り取られたばかりで歩きよい.まもなく無人避難小屋に着く.ここで愛媛大学山岳部のユニフォームを着た男女の二人連れと会う.これから剣山へ向かうと言っていた.このクソ暑いのに彼らは日向で腰をおろして休んでいる.アベックで登山とはうらやましい限りだ.早々に別れを告げ,我々は先を急ぐ.
 
 避難小屋以降の道は整備されていないのでブッシュをこぎながら進まなければならない.伊勢の岩屋の分岐点に休憩地点より50分経過後の11時50分到着.ここから急勾配の上りだ.目印の赤テープがあるので見落とさないよう尾根に沿って上る.非常に蒸し暑い.まさに汗がしたたり落ちる.いつも元気な鉄人K君もバテ気味でかなり遅れだす.歩きにくい岩場を枝とか草につかまりながら登れば,登山道は樹林帯に入る.無論,下草が繁茂している.登りきればそこが山頂かと思ったがどうも違う.さらに先へと進まなければならないようだ.途中,遅れるK君を何度も待つ.山頂付近は再びブッシュこぎだ.しばらく胸くらいの笹をかき分けかき分けほぼ水平に西へ進む.何カ所か高松軽登山同好会が取り付けたプラスチック製の道しるべが枝に架かっている.木立を抜け,少し開けた6帖くらいの場所に白い標識が草むらからチラッと見えた.高ノ瀬山頂だ.もう少しで見落とすところだった.
 
 山頂付近は雑木が生えて見晴らしはよくないし,陰がないのでここでの休憩はあきらめる.少し引き返した針葉樹の陰で休むことにした.足元の笹を足で踏み固めスペースをつくる.暑いのでみんないつもの倍以上疲れているようだ.ビールを飲み終えるとK君はすぐに寝込んでしまった.私とH君も立ち上がって帰り支度を始める気力が出てこない.結局1時間も休んでしまった.
 
 1時30分出発.伊勢の岩場分岐点まで25分かかって下りる.そこから無人小屋まで10分,東祖谷かずら橋分岐を過ぎ,丸石に戻って来たのは2時45分になっていた.丸石は素通りし,スーパー林道分岐で5分ほど休み汗をぬぐう.心地よい風が東祖谷の谷から吹き上げてくる.やはり標高1,600mの風は冷やこい.登山口に戻ったのは3時25分になっていた.延べ6時間かかったことになる.
 
 すぐバーベキューパーティーを始めなければ日が暮れてしまう.場所は駐車していた所のすぐ下手の,やや広がった道路の際でする事にした.良い場所ではないが仕方ない.一刻も早くビールを飲みたいし,腹も減っている.道具一式を車から下ろす.驚いたことにテーブルとかクーラーなど手で触れないほど熱くなっていた.ポリタンクの水は湯のように沸いている.今まで何度も山に来たがこのようなことは一度もなかった.クーラーに入れておいた肉や魚は大丈夫だろうか?みるとやや変色している.触ると冷たいどころか調理したように暖かい.とにかく準備を整えたが,今度は肝心のK君が一向に炭をおこそうとしない.「しんどいのでアンタらが火をおこして」とおっしゃるのだ.その間,バイクツーリングの若者達数人,こちらを怪訝そうに見ながら通り過ぎて行く.たぶん変なオジサンが三人何やってんだろう?と思っているかどうか分からないが,そう考えたりする私の性格は如何なものか?なんとかK君を説得して火をおこすよう頼み込む.やっとK君も重い腰を上げた.暑さのせいかどうか分からないがガスバーナーの調子が悪く火がなかなかつかない.結局,バーベキューを始めたのは4時をまわっていた.
 
 落ちついてここから周囲を見渡せば,なかなか風光明媚なところである.ジロウギューがドーンと目の前に屏風のように立ちはだかり,その雄姿をあますことなく披露してくれる.双眼鏡で山頂付近を覗けば登山者の姿がみられる.ジロウギューから剣山トンネルの土捨て場,そこからさらに右手に目を移せば新九郎山が眺望できる.これら山腹に夕日が当たり,その色の変化を観察していると,自然の雄大さに感嘆せずにはいられない.夕暮れ時の山の姿は,2年前の落合峠キャンプの時にも見たが,まことに美しいものだ.今日も十分に大自然の移り変わりを楽しめた.しかし帰りの時刻は7時半を廻っていた.