(総文字数 約40,500文字,第一部 約20,900文字)

まえがき

 この旅行は1990年,すなわちあの“天安門事件”の翌年に実施したものです.現在の中国事情はその後急激に変化していると思われますので,その点を充分考慮の上,ご一読下さい.また本文中に出てくる‘外国人料金’及び‘外貨兌換券’は既に廃止されている模様です.


悠久の大地/中国横断ひとり旅
 
旅行日程
 1990年 4月16日(月)〜5月18日(金)
 
交通機関
@汽車
 中国では汽車(列車)のことを火車と言う.主要都市間の移動は主にこの火車を利用することになるが,日本のように駅の窓口へ行っても,いつでも自由に切符を買えるわけではない.それに要する時間とか労力を考えると,切符の手配はホテルか旅行社に依頼するのがベター.ただし,手数料は払わなければならないし,切符引き渡しの時間もほとんど当てにはならないことがおおい.しかし,自分で買う苦労のことを考えると,まだましと思ってあきらめ,空いた時間は観光に振り分けた方が利口である.無論,外国人は中国人民の約2倍の外人料金を支払わなければならない.
A長距離又は近郊バス
 バスのことは汽車という.地方都市へ出掛けるにはこの汽車が便利だ.切符は,たいてい旅行社とかホテルでは扱っていないので,自分で手配するしかない.しかし,列車と違いバスターミナルの窓口に行けば,その場で簡単に買える.当日でも買えるが,どのバスもすべて満員となるので,出来れば出発の前日迄に買っておいた方が安心できる.料金も安く,さらに列車のような外人料金を設定していないので,中国人と同じ値段で買えるのがメリットだ.デメリットとして次の点が挙げられる.
 1)使用車両は耐用年数をとっくに過ぎたと思えるオンボロバス.窓ガラスは欠け,壁・床には穴が空き,席も壊れている場合がある.
 2)道が悪い上に,黄砂等で埃っぽく,また地方へ行けば未舗装路もあるので,全身土ぼこりにまみれる覚悟が必要.
 3)どの車もめったやたらとクラクションを鳴らすし,さらにエンジン音も凄まじいので,騒がしいことこの上なし.
 4)席が狭く(やや小ぶりの車両に5列の席)かつ固く,また各自,所帯道具一式を持ち込んでいるので,一度座るともう身動きとれず,一日乗れば尻の皮はヒリヒリするは腰は痛いはで,もうグッタリ.かなりの体力と根性が必要.
B市内バス
 公共汽車という.主要な都市では,バス路線図の載った‘市内交通旅游図’を,バスターミナル等で売っているので,何はさておき先ず入手する.バス料金は格安で,あまりの少額につり銭をもらうのが気の毒なほど.ただし,いつも超満員なので,人を押しのけてでも乗ろうとする強い意志・体力が必要.最前列で待っていても,ヘタをすると群衆に弾かれて乗れないことがある.中国では並んで待つという習慣は,全く無いみたいだ.特に大きな荷物を持っているときは,タクシーにした方が無難.
Cタクシー
 駅とか空港からホテルへ行く場合,また市内観光するにはタクシーが便利である.軽四のバンを利用したタクシーもあるし,行先別に乗り合いタクシー(又はミニバス)もある.しかし乗り合いタクシーを除き,料金は不特定.と言うのはメーター付タクシーはほとんどないからだ.そこで交渉次第となるが,日本人とみるとふっかけてくるので要注意.私も何度かボラれたことがある.
D飛行機
 飛行機はという.切符購入は航空会社(中国民航)のオフィスか,ホテル又は旅行社に依頼する.当然,外国人は中国人民の約2〜3倍以上の“外人料金"を支払わなければならない.
Eその他
 地方都市にはオート三輪,輪タク(リキシャ),さらにシルクロード方面へ行くと軽トラタクシー,ロバタクシー(ロバ車)がある.いずれも料金は交渉次第.
他に蘇州〜杭州間の客船(曳き船)があり,夕刻出発,次の日の早朝着くので便利だ.なお,北京には地下鉄がある.バスより割高のせいか,いつも空いている.
 
市内観光
 先ず街に着いたら“市内交通旅游図”を手に入れる.この地図には観光案内とかバス路線が詳しく記されている.そこでバスを利用して見て回ってもよいが,あまり効率的でない.それよりも1日観光バスツアーを利用した方が得策かも知れない.大きなホテルでは外人専用のツアーがあり,フロントで申し込みが出来るし,ホテル発着で便利であるが,やや割高.その他のホテルではフロントで場所を聞き,現地でツアー切符を購入する.この場合,休憩とか出発の時間をしっかり聞いておく必要がある.運転手かガイドに,あるいは隣の人に,紙に書いてもらう.またレンタサイクル店を見掛けたらこれを利用するのもいい.しかし,方向音痴の人は道に迷うので要注意.中国の市内地図は大ざっぱで当てにならないし,街並みが大きすぎてやたら分かりにくい.距離感覚が日本とでは,全く異なるのも一因だろう.中国大陸はあまりにも大きいのだ.
 
中国人
 一般的に中国人は親切である.汽車とかバスで同席するとすぐに話しかけてきて何かと教えてくれる.非常に人なつっこいといえる.また,町を歩いていると,特に上海では,日本人(外国人)と見ると日本語あるいは中国語で声をかけてくる.ガイドになりすます気でいるのだ.悪い人はいないと思うが,ずっと付いてこられては少々迷惑である.この場合,日本語が分からないふりをするか,無視するのが一番の方策であろう.
 このように親切である一方,駅とかバス・船の発着場で改札が始まると,他人を突き飛ばし蹴飛ばし乗り越えてでも,我先にとどっとなだれ込み大変な混雑を呈する.これはもうちょっとした,生き残りを賭けた,生存のための戦争といえる.他人のことなど,かまっていられないのか?このギャップがまことに不思議で理解に苦しむところ.12億もの人口を抱える中国ならではの光景が繰り広げられる.
 また,店舗・食堂等(ホテルでも)に於ける店員の応対は悪く,サービス精神はほんの微塵も感じ取れない.社会主義の国では致し方ないが,改革解放の進む今,このことは徐々に改善されていくと思われる.なお,日本人に対する戦争中の恨み辛みとかは,少なくとも私の旅行中には,全く感じられなかった.
 
両 替
 人民幣と外貨兌換券(ワイホイ又はFEC)の2種類がある.外国人はワイホイを使用することになる.両替はホテルか中国銀行で出来るが,ホテルでするのが一般的.なお,町を歩いていると,特に地方都市では,マネーチェンジをしないかとよくすり寄ってこられる.人民幣とワイホイを交換することだ.レートはワイホイ100元に対し人民幣120元ぐらい(19905月現在).シルクロードのトルファン,ウルムチ方面へ行くと米ドルを欲しがる.イスラム教を信仰する彼らはメッカ巡礼のためドルを必要とするのだ.この場合,レートはさらに良くなる.人民幣も,特に地方都市では必要なときがあるので,相手をよくみて両替しておくのもよいだろう.
 〔参考:1元(クワイともいう)=10角(毛・マオともいう),1角=10分〕
 
服 装
 中国の印象を一言で表せば“埃っぽい”.北京・上海等の大都会とか沿海部はまだましであるが,黄土高原を控える内陸部はひどい.雨が降ったりすると歩道部に積もった粉塵がドロドロのペースト状になる.非常に滑りやすくなるので要注意だ.街も観光地も日本とは比較にならないほど広大なので,一日の歩行距離は延び,当然大いに汗もかく.一日中着用すればかなり汚れてくるので,ほぼ毎日洗濯をしなければならない.そこで素材は下着から上着・ズボンに至るまですべて速乾性のものがよい.これに尽きる!と言っても過言ではない.一方,恰好(オシャレ)は全く気にすることもないし,する必要もない.一目で旅行者だと判れば,ナメられる(ボラれる)からだ.
 なお旅行鞄の素材についても触れておこう.埃を吸い込むのでキャンバス地(布製)は良くない.容易に拭き取れるビニール系統の素材がいいだろう.靴も同様でバックスキンは×
 
まとめ
 とにかく中国の個人旅行は,体力的にも精神的にも大いに疲れ,日々腹立たしく,気が滅入る.そこで虚弱体質の人にはどうかと思うが,痩せたいと願う人は,是非,中国個人旅行をお勧めする次第である.





旅日記


第一部 上海から南京へ


 4月16日(月) 晴
 大阪国際空港10時50分発日航機で上海へ出発.上海国際空港着13時(現地時間).飛行機を降りたった瞬間,何というか独特のにおいを感じた.それが何かを感じ取る間もなく,直ちに空港での入国審査を終える.パスポートを見るだけの簡単な手続きだった.それからまず最初にホテルの予約をしなければならない.空港出口で一人の青年が案内カウンターに座っている.ホテルについて日本語で聞いてみることにする.壁にホテルの一覧表があったので,そのうちの国際飯店を予約したいと言うと,早速電話をかけてくれる.が,どうやら通じないらしい.そこで彼は城市酒店のほうが新しくて良いと,しきりに勧めるので城市酒店(英語名:CITY HOTEL)を予約してもらう.それから観光ガイドは必要ないかと聞いてきたが,必要ないと断る.その後,両替所を探すが見当たらない.空港の係員らしき人に教えられた両替所は,すでにカーテンを下ろして閉まっている.上海国際空港にしてはえらくざっとしている.仕方がない,ホテルで両替することにしよう.
 空港を出てタクシーを捜すが,どこが乗り場なのかさっぱり分からない.しばらく呆然と立ちすくす.そこで一計を案じ,メモ用紙に行き先を書いてマイクロバス(乗合タクシー)の集まっている方へ行く.すぐに呼び止められ「どこに行くのか?(たぶんそう言っていると思う)」と中国語で聞いてきた.紙を見せると,この車に乗れという.日本ではポンコツ車に該当するバンに乗せられる.しばらく待つ.乗客がいっぱいになると出発するみたいだ.まもなく乗客が集まり出発する.車窓から見る初めての中国の風景は新鮮ではある.しかし,なぜか心は重く沈む.まだ中国の通貨に両替していないし,中国語はよく分からないし(※注),さらに今後の行く末を考えると,なにかしら息苦しさを感じる.
 (※注:昨年3月〜8月にかけ,通信教育にて中国語を学んだことがあるが,その程度で会話など出来るはずがない)
 上海市内に入るとやたらと人が多い.車も多いが,特に自転車,歩行者が目立つ.ついに目的のホテル到着.バスの運ちゃんは領収書を書き21元だと示す.私はしきりに“マネーチェンジ”だと言うが,彼にはさっぱり通じない.そこで中国語の重要語をメモした手帳を見せる.両替所は中国語で兌換処(duìhuànchù)と言うのだ.ホテルのボーイが出てきたので,両替したいと英語で言えばやっと理解してくれた.ボーイが運ちゃんに説明してくれる.早速,ホテルに入り両替を頼むが先にチェックインしなければ両替できないみたいだ.急いでチェックイン,隣のカウンターで両替,やっと21元を支払うことが出来た.
 このホテルはどうやら香港系の資本で建てられたらしい.建物は26階建てで,私の部屋は16階だ.部屋はツインである.どうやら中国には他のラテン諸国同様,シングルルームはないようだ.一人で二人分支払わなければならないので,極めて不経済だ.しかし,あの煩わしいチップは当然不要である.部屋代は230元,1元35円として8050円となる.日本の感覚からすればそれほど高くないが,中国ではべらぼうに高いのだろう.それにしても疲れた.初日からこんな具合だから,これから先が思いやられる.しばらくベットで横になる.空港を出てから今まで時間をまったく気にかけなかったが,ふと時計をみると,すでに4時をまわっている.市内観光は明日にして今日は計画を立てるだけにしよう.まず市内観光図を手にいれなければならない.ホテルの売店へ出かけ“通用版最新旅游図”を買う.
 
 4月17日(火) 晴
 7時起床,7時40分レストランへ.中国風朝食を注文する.たいして美味くなく,また歯が痛むのでほとんど食べ残す.このころからどうしたことか歯茎が痛み出したのである.日本から持ってきた痛み止めの薬を飲む.
 とにかく8時50分にホテルを出て,市内観光に出発.人民広場を通り上海博物館を目指すが,どこにあるのかさっぱりわからない.歩き回っていると外灘(わいたん)にでた.外灘は上海の顔ともいえる代表的な名所で,バンドとも呼ばれている.黄浦江と中山東路,それにブロードウェイマンションと呼ばれている22階建てのホテル上海大厦の写真は誰しも一度は見たことがあるだろう.しばらく黄浦江堤防をゆっくり北へ向けうろつく.それにしても人が多い.黄浦公園は工事中で入れなかった.そこで黄浦江の遊覧船に乗ろうと乗り場まで行くが,切符売り場は閉まっていた.再び博物館へ行こうと思い引き返す.歩いて行くにはかなり距離があるが歩くことにする.しかし,やはり見つからない.地図が間違っているのだろうか? 仕方なく今度は友誼商店を目指す.友誼商店とは,いわば外国人向けのみやげ品売り場だ.いちいち地図をカバンから出すのは面倒なので,片手に持って歩くことにした.すると途中,片言の日本語を喋る中国人に呼び止められる.日本から来たのですかとか,どこに泊まっているのですかとか,これからどこに行くのですか,私が案内しましょう,などと言ってしつこく付きまとう.付いて来て欲しくなかったが,むげにも断り切れず,とにかく友誼商店まで案内してもらおうことにした.

<上海外灘(バンド)>

 まだ中国の旅を始めたばかりなので,みやげを買うつもりはさらさらないが,どんなみやげがあるのか見ておこうと思ったからだ.友誼商店内を一回りし,店内の喫茶店でコーラを飲む.その間,例の中国人はずっと付きっきりだ.何度付いてこなくてもいいと言っても,意味が分からないのかどうか知らないが帰ろうとしない.どうやら今日一日中,私を案内するつもりらしい.そこで諦めその人といろいろ話をしてみる.名は「周」さんといい黄浦江の対岸の工場に務めているが,今日は休みだそうだ.毎日,自転車でフェリーに乗って通勤,片道30分かかるという.そして自分の住所を書き,日本へ帰る前に家に寄るように言う.どうやら悪い人ではなさそうだ.
住所:上海南市区保屯路50番12号302室 周 玉仏
 
 この後,友誼商店を出て外灘を通り,豫園へ行く.豫園は上海第一の庭園があり,その周辺には豫園商場と言われる市場がある.あふれるばかりの人でごった返している.歩く隙間もないほどである.上海の浅草と言われる由縁である.その後,上海博物館へ案内してもらう.博物館は地図の位置と違い,メインロードから少し路地に入った場所にあった.しかも外観は普通のオフィスビルである.これではいくら探しても分からないはずだ.
 展示品の壷や皿とか花瓶は古い時代のものに拘らず,そのまま商品として売れるぐらい完全な形であったのには驚いた.見学後,上海展示館へタクシーで行く.展示館と名がついているから何か工業製品でも展示しているのかと思ったが,そうではなかった.友誼商店と同じで外人向けのマーケットである.友誼商店で買うよりこちらの展示館の方が値が安く,商品が豊富らしい.さっと一通り見てまわる.
 展示館から私の泊まっているホテル城市酒店がみえる.歩いて10分ぐらいか?周さんはホテルまで付いてきた.ホテル前でそのまま別れようと思いガイド料として30元渡す.周さんは明日も案内すると言ったが,私は,明日はホテルに観光を頼んである,と嘘を言って断る.ホテルの部屋に帰ったのは4時50分だった.一日中歩き回って疲れた.それに足も少し痛い.風呂にはいり洗濯をする.今晩は早く寝よう.
 
 4月18日(水) 晴
 8時10分朝食を食べに行くが,歯が痛いし食欲もない.ほとんど食べ残す.9時40分ホテルからタクシーで黄浦公園へ行く.上海観光のメインとも言われている遊覧船に今日こそ乗るためだ.しかし,本日の切符はすでに完売との立て札があり,切符売り場には人影がない.残念だがもう遊覧船はあきらめよう.致し方ない.
 黄浦公園からすぐの外白渡橋(旧称ガーデンブリッジ)を渡れば,戦前からの建物で有名な上海大厦(ブロードウェイ・マンションという)がある.早速見に行くことにした.その帰り,地図によるとこの近くにCITS(中国国際旅行社)があるので,そこに寄って蘇州への列車の切符を手配しておこうと考える.しかし,見つからない.どうしてだろう?昨日の博物館と同じだ.どうも中国の地図は変だ.ここは早めに諦める.そこで上海駅に行くことにした.地図から判断してそう遠くではない.しかし,歩けど歩けど一向に着かない.やはりタクシーに乗るべきだった.日本円でせいぜい300円ぐらいなのに!さて,地図に示された場所に来たのに駅が見当たらない.これは一体どうなってんの?しばらくうろついて地図とガイドブックを何度もよく見る.すると通りの名が違っていたのだ.駅はまだまだ先のようだ.そこから歩くことさらに40分!やっと上海駅(上海站sháng hai zhánという)に着いた.
 駅前は広いが,車とバスと大きな荷物を抱えた人達でごった返している.硬座(2等)切符売り場を覗くと,黒山の人だかりでとても買えそうもない.駅の右手に軟座(1等)待合室(候車室という)があるので,とにかく入る.待合室は広くゆったりしており,人がまばらなので落ち着く.見渡せば中国国際旅行社(CITS)があったので聞きに入る.3人ほど雑談をしていた.蘇州への切符を買いたいと英語で言うと日本語で一(イチ)と答えた.どうやら1番の窓口へ行けと言っているらしい.いや待てよ,それとも1時の意味かも知れない.今,12時20分なので上の喫茶店で,コーヒーでも飲んで待つことにした.代金は品物(コーヒー)と引き換えだ.
 1時を過ぎてから1番の切符売り場へと行く.「TICKET OFFICE FOR FOREINER 」と書かれている.どうやら1番窓口は外人専用の切符売り場のようである.が,係員は誰もいない.壁の時刻表をジロジロ見ていると係員が出てきた.蘇州行きの切符を買いたいと言うと「今天下午3:00以后来」と紙に書いてくれた.今日午後3時以降に来れば買えるということだ.日本人は漢字が読めるので,書いてもらえばおおよその意味は分かるので,この点便利ではある.しかしそれにしても切符一枚買うだけでこの苦労だ.これだったら手数料を払ってでもホテルに頼んだ方が良かった.
 3時まで時間があるので虹口公園へ行くことにした.タクシー乗場で虹口公園へ行きたいと紙に書く.早速客引きが飛んで来てこれに乗れと言う.見れば相当のポンコツ車である.言われるままに乗るが,ふっかけられて30元もとられた.やはりメーター付きのタクシーにすべきだ.この公園には魯迅の墓がある.入場料は5分.さっと一回りするが何分広いので時間がかかる.日曜日でもないのにやたらと人が多い.大きな池があり,その廻りを歩く.家族連れや若者がボートで遊んでいる.
 2時30分公園を出てその前でタクシーを拾う.今度はちゃんとしたメーター付タクシーだ.駅まで10.3元だった.3時前に駅に着き,1番の窓口目指す.すでに10人ぐらい待っている.ためらわず並ぶ.3時少し過ぎてドアが開く.行先と午前の便が希望の旨を紙に書いて渡すと簡単に買えた.13元.安いものだ.これでやっとひと安心.
 その後,玉仏寺まで近そうなので歩いていく.40〜50分歩いただろうか?道を間違えたことに気付き,再び駅まで引き返す.2時間のロスタイムだ.歩き疲れてもうクタクタ,足が棒のようだ.タクシー乗場へ行くと,またメーターなしのボロ車に乗せられる.疲れていたのですぐに乗り込む.ホテルまで20元.風呂に入った後,家に送る絵はがきを書く.
 
 4月19日(木) 雨後曇
 6時にアラームをセットしていた.6時15分に起きる.7時過ぎに朝食.8時にチェックアウト.ROOM CHG 229.61元/日だ.占めて 957.07元(33495円).蘇州までの一等運賃は,たったの13元なのに!以下内訳 電話41.04元(4/16),54.72元(4/18),朝食26.40元.
 列車は9時40分丁度に出発.同じコンパートメントに台湾の3人連れが乗り込んできた.彼らは無錫まで行くのだそうだ.年配の人はもう30年以上も日本語を話していないので,ほとんど忘れてしまったと言う.若者二人は兄弟の子供という.お茶の葉を少しばかり分けてもらう.中国での茶の飲み方は,日本と少々異なる.茶こしを使わず,茶の葉をコップに入れ,蓋をしてしばらく待つ.頃合いを見はからって葉を飲み込まないよう,又は蓋で葉をせき止めて飲むのだ.茶を飲むには少々要領が要るのだ.一等客室には蓋付コップと魔法瓶が備え付けられている.ただし茶葉は持参しなければならない.
 10時50分蘇州着.かなり雨が降っている.駅前の3輪車(輪タク)の客引きが寄ってくる.とりあえず輪タクに乗り,ホテル南林飯店へ向かう(20元).11時30分チェックイン.ルームチャージ210元.これからはもっと安い部屋に泊まろう.12時ごろフロントで200ドル両替後,歩いて船の切符を買いに行く.船着き場まで早足で約30分かかる.切符売り場でウロキョロしていると,カタコトの日本語で青年が話しかけてきた.どちらかというと日本語より英語の方が得意なようだ.彼が杭州行きの切符を買ってくれる(13.1元).しばらくその青年と話し込む.彼はクリスチャンであり,家は上海,今旅行中で,なんと杭州から2日かけて歩いて来たのだと話す.そして「あなたが上海にもどった時は是非家に寄れ」という.日本でよく言われる「近くにお寄りの際は・・・・・」という,あの社交辞令的な意味あいとは全く違う.本心からそう願って言っていると感じた.
 住所:上海市天平路288−9号 隼山(Hua Shan)先生 TEL4390535
 1時30分頃その青年と別れる.彼は2時10分のバスで昆山へ行くのだ.私はその帰り道に滄浪亭,網師園を見学する.4時頃ホテルに戻りすぐに風呂にいる.ホテルの夕食34元,ビール4元(上海の約半値)
 
 4月20日(金) 曇時々雨
 10時前にチェックアウト,荷物をクロークに預け,ホテル前でたむろしている輪タクの者から,レンタサイクルの店を教えてもらう.店はすぐ近くにあった.1日7元だ.自転車を借りるにはパスポートを保証として,預けなければならない.さて,まず最初に日本でも有名な寒山寺へ行こうと自転車を漕ぐが,どこでどう間違ったのか,西へ向かわなけてばならないのに北方向に走っている.このまま行けば駅に着いてしまう.しかし,すぐ近くに北寺塔があるので,そこに寄ってみることにした.自転車預かりのおばさんがいる(3分).さっさとみて廻るつもりでいたが,一応塔の上まで登ってみる(1元).地図を見ると近くに拙政園があるので先に行くことにする.2度ほど道に迷いながらもなんとかたどり着く.拙政園は大きな庭園だ.一回りしてから次は獅子林へ行く.やはりなかなか道が分からない.ウロキョロしながらもなんとか着く.ここも早めに廻る.
 再び寒山寺へ行くことにする.途中,橋を越えてから道が分からなくなる.広い道を見つけ西へ向かうが途切れてしまう.諦めて引き返すことにする.人民路の駅に通じる大通りに出る.向かい側に歩行者天国の観前街がある.そこには寄らず北へ向かって先に友誼商店に寄ってみる.店内を一回りして再び自転車で東へ向かう.ホテル方向の南へ折れると先ほどの観前街の西端にでる.ここで自転車を預け,観前街を見て廻る.この後双塔に寄ってから自転車を返す.
 ホテルに戻りロビーでコーヒーを飲んで休憩,4時頃タクシーを呼ぶ(17元).船着き場に4時30分着.待合所は人であふれている.5時前,改札が始まる.と同時にみんな我先にと一気に改札口に走り,身動きがとれず大混乱.これだから中国の旅は嫌になる.自分の指定席16室4号ベットにやっとたどり着く.同室の者は新婚らしき夫婦だ.旦那は少しばかり英語が喋れるので,英語と中国語で筆談を交えながら話し込む.二人とも江西省九江市の電信電話会社に勤務している.現在,会社にはNECから二人の日本人技術者が来ていると話す.
 出航は5時30分過ぎであった.すぐに夕食の注文を取りに来たので,魚の煮つけと豚肉の炒めものを注文.待つ間もなく,直ちに出前してきた.ごはんは昔懐かしい大きなアルミの弁当箱にたっぷり入っている.しかし砂のようにパサパサで色は茶色がかっている.新婚の彼から麻姿豆腐をいっぱいもらう.中国人の食欲にはまったく驚くばかりであるが,しかし気がつけば,いつしか自分も彼らと同様に山盛り食べていたのだ.それほど毎日歩け歩けの連続で,体力を消耗,常に空腹状態であった.つまり過酷な労働をすればするほど,飯は本当に美味いと云うことだ.食べ物に対して文句を言うのは,腹が減っていない証拠でもある.
 紀元1〜2世紀頃造られた,遥か北京まで続く京杭大運河(随朝)を,今,航行しているのだと彼から教えてもらう.彼は風邪気味の嫁さんを放たらかしで,すっかり喋り込む.とうとう政治の話しになってきた.日本の歴代総理大臣のことを私よりもずっとよく知っている.話しが昨年の天安門事件に移ってきた.そして今,日本はこの事件以降,中国に対し制裁措置を講じ,経済援助を打ち切っており,これは全くよくないことだと声高に喋り出した.どうやら話題が妙な方向にきてしまった.9時も過ぎたのでここらで話しを打ち切り,寝る準備を始めた.
 エンジン音は運河に入ってから途切れた.この船は,はしけを何隻か連ねて,曳き船が引っ張っているのだ.ところが他の船のエンジン音とか,お互い警笛をめったやたらと鳴らすので,うるさくてどうにもしょうがない.うつらうつらと寝り込む.
 
4月21日(土) 雨
 5時頃「チララ〜!チララ〜!」と船員が大声で起こしにきた.杭州に着いたのは7時30分になっていた.かなり雨が降っている.下船して船着き場をみんなが進む方向へ歩いて行くと,バスの前面に立て掛けた看板が目についた.杭州一日旅游と書かれたその看板を,立ち止まってしばし眺めていた.雨がしきりに降ってくるので,急遽,この観光ツアーに参加する事にする.費用10.3元を外貨で払おうとしたが,何やら不審そうに札をながめているので,人民弊を差し出すとやっと受け取ってくれた.しばらくバスの中で待っていると席はみるみる間に満席となった.廻りはみんな中国人だ.私の隣の席の若者は,英語も日本語も話せないがとても親切だ.雨の中,杭州の西湖を中心に名所旧跡を巡る.4時過ぎにツアーが終わった.
 船着き場まで戻ってもしょうがないので途中で下ろしてもらう.ガイドブック片手に杭州飯店目指す.歩くこと40分,やっとホテルに着くが部屋はメイヨー(没有).途中にあった新新飯店もメイヨー.なお,この“没有”という言葉は,以降旅の行く先々で,嫌と言うほど聞かされる羽目になる.耳にタコができるとは,まさにこのことだ.とにかく中国人は何でもかんでもあっさりと,いとも簡単に「没有」と言ってのけるのだ.もう少しサービス精神を出して,ちょっとは努力をしてもらいたいものだが・・・・・
 ここで仕方なく意を決して超満員のバスに乗り込み,市内のホテルへと向かうことにした.少年宮のバス亭で下車.近くの華僑飯店にアタックするがここもメイヨー.途方にくれ再びガイドブックを見る.近くに友好飯店があるので華僑飯店前にいた輪タクに乗る(5元).輪タクの話しによると日本の建設会社が建てたホテルで設備はなかなかいいという.どうやら中日合弁ホテル第一号らしい.フロントで泊まりたいと言うと,260元の部屋しか空いていないと言う.ツイン260元は少々高いがそんなことは言ってられない.しかし,日本語が通じて服務員は皆感じがよい.結局ここにきてよかったのだと一人納得.
 夕食後,ホテルの売店で頭痛(痛み止め)に効く薬を買っておく.日本から持ってきた頭痛薬は,歯痛のため今までにすっかり飲んでしまって無くなっていたからだ.購入したのは「保済丸」という名で,頭痛から腹痛まで効くという,何とも不思議な薬だ.それからフロントで黄山へのバスの便について聞く.係員はあまりよく知らないらしく,外国人はバスで行けないかも知れない,タクシーで行くしかないだろうと言う.ちなみにタクシーのチャーター料を聞くと800元!とにかく朝早く長距離バスターミナルへ行って,聞いてみるのがよかろうということになった.
 杭州友好飯店 杭州市平海路53号 TEL 777888
 
 4月22日(日) 曇時々晴
 6時15分に起きる.7時15分に黄山行きのバス切符を買いに行く.ホテル前にいた輪タクに乗り込む(7元).長距離バスターミナル(長途汽車站)の切符売り場に着いたが,買い方が分からない.しばらく隅っこでじっとたたずみ,様子を探ってみることにした.どうやら行き先別に窓口が別れているようで,それぞれに行列ができている.時刻表を見ても何故か黄山行きの発車時刻が書かれていない.そこで傍らにある案内所で紙に書いてもらい,明朝6時50分発の切符を買うことにした.運賃13.15元に公路建設基金1.85元がプラスされ,占めて15元.黄山行きのタクシーをチャーターしなくて良かった.やれやれ,まずはこれで一安心.
 ホテルへはバスに乗って帰ることにした.満員のバスは嫌だが毎回タクシーに乗ってもいられない.ホテルに戻り,もう一泊したいと言うと,今日は日本の団体客が泊まるので空き部屋はないという.そこで別のホテル,武林広場前の国際大厦(HANGZHOU INTERNATIONAL MANSION)を紹介してもらう.荷物があるので,ホテルまでタクシーで行くことにする(10元).さて,国際大厦のフロントにきてビックリ.十数人がカウンターにベタッ〜と横にへばりつき,宿泊の申込をしている.彼らは,列になって並ぶことをしないのか?こんなのを待ってたらいつになってもチェックイン出来ないので,強引に割り込み,パスポートを振りかざして宿泊用紙をもらう.なんとかチェックイン(126元).部屋はまあまあ.しかし今日も朝から疲れた疲れた.
 12時まで1時間半ほどベッドで休憩後,ホテル前のタクシーで西湖の堤防まで行く(15元).ゆっくりと堤防(蘇堤という)を歩きベンチで一服.昨日の天気とはうってかわってよい天気だ.少々風がきついのでじっとしていると寒くなる.蘇堤の中間点ぐらいまで歩き,しばしの休憩の後引き返す.それから西湖を一望できる小山に登る.そこからホテルへはゆっくりと歩いて帰る.4時ごろ部屋に戻り風呂に入る.明日の出発準備で忙しい.
 
 4月23日(月) 晴
 5時起床.5時50分に部屋を出てチェックアウト.急ぎバスターミナルへと向かう.が,途中一回道を間違え,大いにあせる.全く中国の地図はあてにならない.それとも私の方向感覚が狂っているのか?何はともあれ無事に6時50分発の黄山行に乗り込む.しかし2〜3分ほどすると,係員がやってきてなにやら言っている.みんな一斉にバスを降り始めた.何故か訳は分からないが,どうやら違うバスに乗り換えるようだ.席は一応指定席になっている.座席は異常に狭い.小さめのバスに五列も席を設けているからだ.本当に荷物の置き場に困る.さらにこのバスも中国の例に洩れず,かなりのポンコツ車だ.今日一日このバスに乗っていなければならないと思うと憂鬱になる.それでも何とかバスは騒音を発しながら走り出した.(杭州→黄山間約287km)
 道路状態が悪い上に窓ガラスのガタガタやきしみ音などで,騒がしいことこの上なし.窓ガラスは欠けているし,足元を見ると床に小穴が空いて地面が見える.どうやら走行に関係ない箇所は,修理しないみたいだ.9時30分ごろ一回目の休憩.この後しばらく経って,隣の窓際の人が席をかわってくれた.いろいろ話をする.“房徳文”という名で,長春吉林省民族楽団創作室で活動しているのだ.そして私に,
「もし用があればなんでも言ってくれ.あなたは客人だからなんの遠慮もいらない.私達はなんでもする」
といった内容のことをメモ用紙に書いてくれる.そして私のために黄山を題材にした漢詩を即興で創り,贈ってくれた.大いに感謝したが,その思いをうまく伝えることが出来なかったのが,今も悔やまれる.なお,この漢詩は達筆すぎるのと揺れる車内で書いたため,一部判読することが出来ないのが残念だ.(下記参照)



 11時,川の流れる山中で二回目の休憩.房さんと一緒に川の水で顔を洗う.付近にはいつの間にか,物売りが集まっている.房さんがゆで卵を買って,私に二個くれた.時間があるので廻りの写真を撮ったりしていると,二人の若い中国女性が日本人かと話しかけてきた.そして宿はどこにするのかと聞く.かねて用意しておいたメモ書きを見せると,その桃源賓館は高いのでこちらにしろと言う.天都山荘が安くてよいと勧める.私は今まで少々高いホテルに泊まって贅沢したので,ここらでレベルを下げてもいいと思っていた矢先ではあったが,ここは一応断ることにした.
 オンボロバスはやたらクラクションを鳴らし騒々しいことこの上なし.相変わらず車体はガタガタミシミシ,エンジン音は暴走族なみの騒音だ.まったく耳が変になる.中国人は慣れているのだろうか?しかし,車窓から眺める景色はとても心和む.幼い頃,日本のどこにでもあった,あののどかな田園風景を思い起こさせてくれる.これが唯一の慰めと思えば,騒音もまた耳に心地よい?−−−訳はないか・・・・・
 2時50分黄山に着く.バスターミナル出口は黒山の人だかりだ.どうやら宿の客引き達が鈴なりに群がっているようだ.その客引きを振り切って,くぐり抜けるのが先ず第一の関門とみた.私は当初から予定していた通り,高くても設備の良い桃源賓館に泊まりたかった.だが,これでは少々無理と思い,あっさり予定変更.先ほどの女性が勧めていた天都山荘へ泊まることにする.バスで知り合った親切な家族4人連れと一緒に行く.この人たちも天都山荘に泊まるのだそうだ.1泊75元.
 チェックインし一息つく間もなく,すぐに翡翠峡へ行かないかと例の女性が誘いに来た.一台のオート三輪に房さん一家と共に相乗りで行く.翡翠峡は名前ほどでもなく大したことなかった.5時過ぎにホテルに戻る.その後,山門前の土産物屋までブラブラと黄山案内地図‘黄山立体昇游図’を買いに行く(8角).
 このホテルはシャワーの時間制限(18:30〜19:30)がある.湯はあまり出ない.シャワーを浴びてから例の女性が紹介してくれた山門近くの食堂へ行く.食堂と言っても裸電球一つの飯場みたいなところだ.どうやら母親が経営しているようだ.ビール2本飲み3品注文(45元).ホテルに帰り明日の支度をする.
 
 4月24日(火) 晴
 荷物をホテルに預け,必要な身の回り品だけをサブザックに押し込み身軽になる.8時にホテルを出る.黄山大門から温泉区まで連絡用のマイクロバスに乗り,温泉区のやや下のバス停で下車,目の前の大橋を徒歩で渡る.そこで雲谷寺登山口行きのバスに乗る.登山口からはロープウェイでも登れる.見るとすでに長蛇の列が出来ている.やはり徒歩で登ることにする.
 入山切符を買い8時50分登山開始.登山道は石段と石畳で造られている.大勢の人が登っている.さらに荷物を運び上げる強力も多い.こんなに人が多いとは思わなかった.9時45分ロープウェイ鉄塔下(1225m)で休む.登るときは汗をかくが,立ち止まると寒いくらいになる.2時間後の10時50分,ロープウェイ山頂駅(1640m)につく.この調子だと朝早く出発してロープウェイを利用すれば,一日で廻ることも可能なようだ.15分ほど休憩して北海賓館へ向かう.
 途中,見晴らしの良さそう所があるので寄ってみる.料金所がありここから先は別料金.また入山料を払って覗音峰方面への登山路を進む.こちらはうって変わって人ひとりいない.覗音峰と始信峰があり,向こう側は断崖絶壁.その断崖上部に沿ってつけられた道を恐る恐る辿る.遙か彼方,霞んで黄山市が望める.
 北海賓館(1555m)に12時ジャストに着き,チェックイン.部屋は思ったよりもずっと設備が整っている.都市のホテルと同じだ.これで120元は安いと思う.ホテルはこの他に黄山西海賓館もあるが,ランクはやや落ちるようだ.
 1時にホテルを出て付近を歩く.この頃になると,上海からずっと私を苦しめてきた歯痛も,大分治まってきた.杭州で買った例の妙薬‘保済丸’が効いたのだろうか?何はともあれ,いい気分で清涼台,飛来石など名所を見て廻る.黄山気象台まで来ると,黄山全体が展望出来る.何と素晴らしい風景であろうか!
 ホテルに戻ると既に5時になっていた.一日中山道を歩き回ったので大いに疲れた.今夜は早く寝ようと思い,早めに食堂に行く.何故か人民用の食堂へ行かされる.当然の如く満席だ.時間をずらさなければならない.2回目(7時30分)も相変わらずいっぱいだったが,強引に席を取る.中国では遠慮していたら何も始まらないし出来ない.
 中国人の食べっぷりはものすごい.テーブルの上も下も,まるで赤ん坊が食べた後のように散らかしている.後片付けにほうきとちり取りは必須である.2品注文して15元.これは安い!ビールは別の窓口にて購入(2元).隣の人の炒飯は洗面器みたいな器に山盛りだ.やはりほとんど食べ残している.一人でご飯を注文しても同じく山盛り.もったいないことだ.
 9時20分に就寝.かなり冷え込でくる.
 
 4月25日(水) 曇時々晴
 5時30分ごろ誰かがドアをノックする.たぶん係員が御来光に間に合うように起こしに来たのであろう.私は眠いのと疲れていたのでそのまま寝ていた.起きたのは6時40分になっていた.7時40分に朝食を食べに行く(3元).またまた洗面器みたいな入れ物に湯に浸かったご飯が一杯入っている.お茶漬けみたいで(味はないが)私にとってはあっさりしていてよかった.
 8時20分にホテルをチェックアウト.気象台(1795m)まで約30分,ここの見晴台で写真を撮っていると,一人の外国人ツーリストがやってきた.西欧人がひとりで旅行とは珍しい.早速レポーターよろしくインタビューにGO!
 彼は英国人でエンジニアだそうだ.彼も単独で旅行している日本人は大変珍しいと言っていた.すべて日本人は,ツアーを組んで旅行するものと思っていたらしい.彼はこの山水画の絶景がえらく気に入っている様子である.そこで今日も山上の玉屏楼で泊まるという.これから南京→上海→香港→台湾を見て廻るそうだ.お互いに写真を撮り合い,旅の無事を祈り別れる.
 登山道全て石段と石(岩盤をくり抜いたり削ったりして石段を造っている箇所もある)あるいは石畳で出来ており,足が変になりそうだ.先ほどの英国人は「こんなプアーな脚で踏破するのは非常に疲れる」と言っていたが,見るとその足の長さは,無論言うまでもないが,私の1.5倍はありそうだった.人が一生かかって上り下りする階段を,僅か2日でこなしているのではないか?などと思いつつ,喘ぎながらもひたすら一歩一歩,歩を進める.
   9:58 蓮花峰休憩所  10:05 同所出発
   10:23 最下位地点
   10:32 玉屏楼宿舎   10:43 玉屏楼着(1645m)
 玉屏楼で20分ほど休憩の後,天都峰登山口(1520m)にて入山料1元(外国人料金)を払う.いよいよ本日の目玉である天都峰へ向かう.ここから始まる階段はまさに正念場.まるで天に向かって延びているかのように目に写る.これから登らなければならないのだとしっかり自分に言い聞かせ,‘プアー’な脚をいたわりつつ叱咤激励.思うにこのような長く急で,しかも狭い石段はかって登ったことがない.疲労困憊,途中何度も座り込んで休む.

<天都峰へ延びる階段>

 それにしても中国人は普段の服装で,しかも元気よく大声で話しながら登っている.驚いたことに,なかには場違いなスーツを着用している者もいる.足元をみれば普通のビジネス用革靴である.しかも彼らの内で,バックパックを担いでいる姿はほとんど見掛けない.みんなボストンバックか手提げカバン,なかにはアタッシュケースを持っている強者もいるではないか!そのまま町を歩いていても何ら不思議はない.恐るべし中国人!ここに中国の底知れぬパワーを垣間見た思いがした.
 12時5分,天都峰山頂(1810m)に到着.ここも黒山の人だかりだ.早々に写真を撮り12時17分下山開始.ところが進むべき道が分からず,地図を見ながら元来た道を引き返す.両側が断崖絶壁で足がすくむ‘鮒の背中’という場所まで戻り,ふと振り返ると山頂の向こう側に人が見える.どうやら下山路は反対側にあるようだ.再び冷汗と大汗をかきながら山頂まで引き返す.今度は間違えないよう,山頂直下にいた弁当売りの爺さんに,念のため道を聞いてみる.山頂を通り越して向こう側へ行けと云う.すぐに立ち去ろうとしたがその爺さん,しつこく弁当を買えと勧めるので,やむを得ず購入(2元).どうやら聞く相手が悪かったようだ.弁当をそそくさと食べ,プラスチックの弁当箱は爺さんに返す.この弁当,不衛生そうで見てくれは悪いが,結構いける味であった.
 さて,腹ごしらえも終わったところで爺さんに別れを告げ出発(12:40).直下のお堂まで約40分,途中1回休憩して半平寺(1300m)着2時9分,登山口(切符売場)着2時50分,人字滝(690m)に3時9分と順調に歩を進める.このあたりから土産物屋が増え始める.ゆっくりと露店を覗きながら歩く.ここの土産店でスポーツシューズ(38元)を買うことにする.日本から履いてきた靴の先が,連日の過酷な使用に耐えかねたのか,遂にパックリと口が開いたからだ.
 その後,ポストオフィスへ立ち寄り,昨晩ホテルで書いておいた絵はがきを送る(1.6元/枚).橋を渡って湯口(490m)までのバス(5角)に乗る.ついでに明日の為,バス乗り場の下見をして,再び宿泊先の天都山荘に戻ったのは6時過ぎだった.
 8時頃例の食堂へ行き,たらふく飲み食いする.食費68元は,ここではべらぼうに高い.どうやらボラれたみたいだ.9時過ぎにホテルへ帰って寝るが,夜中2時前に眼が覚めてしまった.いろんなことを頭の中で考え巡らしていると,目が冴えて寝られなくなってしまった.結局4時頃起きてガイドブックを調べ,今後の旅程の計画を練る.
 
 4月26日(木) 晴
 朝6時40分発の南京行きのバスに乗り込む.やはりオンボロバス.空調バス(程度のよいバスのこと)にすればよかったと思う.10時頃一回目の休憩.11:20 二回目の休憩.じいさんが道端でパンらしきものを売っていたので購入.この時バスの前に回ってきて,それはそれは!もうびっくり仰天!?何としたことか?行き先が南京ではなく馬鞍山となっているではないか!ここで一気に不安に落ち入り,奈落の底へと蹴落とされたような衝撃を受けた.
 はて妙な?乗るバスを間違えたのだろうか?しかし,乗る時に切符を見せ,係員に2回も聞いたのだ.間違っているはずはないのだが・・・・それにこの道は主要道らしく,バスとかトラックがどんどん走っている.まあ,いいではないか.もし馬鞍山へ行ったとしても,そこで南京までの切符を買えばよい.最悪でもそこで1泊して,明くる日,南京へ向かえばよいのだ.だが馬鞍山の“山”がどうも気になる.へんぴなところでなければよいのだが・・・・などと心配してめげ込んだり,開き直ったりしたりで全く神経の安らぐ暇がない.以降,激しい振動がよけい体にこたえてきた.
 途中もう1回休憩して,とうとう馬鞍山へ3時到着,全員駅前で降ろされてしまった.予想に反してなかなか大きな町である.乗客はみんな同じバス停前で待っていたのでそれに従う.さて,待つこと40分余り,目当てのバスが来たらしい.しかし,行き先表示は南京ではなく中華門とある.みんながそのバスに乗っているので躊躇なく乗り込む.切符を見せたが何も言われなかったので,多分間違いは無いだろう.
 1時間20分かかって汽車南站(南京市の南にあるバスターミナル)にやっと到着(17:00).全身埃まみれで大いに疲れているが,行動は迅速に実行しなければならない.そこで早速,市街地図‘南京市区交通図’を購入(6角),現在地とホテルの位置を確かめ,タクシーで勝利飯店(ヴィクトリー・ホテルという)へ向かいチェックイン.設備はまあまあよいほうだ.ここで50$両替し,明日の観光について聞く.食事は2階の西洋風レストランで食べる.
 (タクシー:20元,ホテル代:120元,食事:40元)
 あとで調べて判明したが,馬鞍山市は南京市の隣の町であった.
 
 4月27日(金) 晴
 4時起床,ガイドブックを取り出し,シルクロード旅立ちへの計画を練る.日本を出て早10日余り.しかし,まだ上海から300kmしか進んでいない.少し旅を急がなくてはならない.そこで西安へは飛行機で行くことに決定.7時に部屋を出て,早速フロントで西安へのフライト予約を依頼する.
 7時20分ホテルを出て,昨日フロントで聞いておいた市内定期観光のバス停へ出かける.しかし教えられた場所で15分ぐらい待つが,どうも様子がおかしい.誰も集まって来ないのだ.少し付近を歩いてみる.するとどうだ>向こう側の通りに,1日旅遊の看板があるのが目に付いた.急いで道路を横断,切符売場に走り,バスに乗り込む(7.5元).無論周りは皆,中国人民だ.一度外国人向けのデラックスバスツア−に参加したいものだ.ああ,全く情けないなぁ〜.
 最初に長江大橋へ行く.降りる前にガイドが集合時間を伝えるが,私にはよく分からない.杭州の時のように,いちいち紙に書いて聞く訳にもいかない.そこで,だいたい15〜20分を目安に,早めにバスの見える場所まで行って待つことにした.これはこれで結構思ったより,気を使うものである.さて,長江大橋の次に玄武湖公園に行く.その後,解放門→昼食となった.寄った食堂にはメニューが無く,私の知ってる限りの麻婆豆腐,麻辣豆腐とかを注文するが,すべて没有(メイヨー).結局食べるのはあきらめ,外でブラブラする.待つこと約40分,次に中山陵(PM1:00迄)→霊谷寺(PM2:00迄)→明考陵→石像路(ここは車窓から見ただけ)と訪れる.バスを降りたのは3時30分になっていた.その足でホテル近くの金陵購物中心(土産物屋)を見て回る.ホテル4時到着.
 6時30分,飛行切符を受け取りにフロントへ行くが4月29日(日)の切符又はフライト(どちらかわからない)は没有(メイヨー!)という.ところが28日のは有ると言うので,それに即決定!午後(下午)の便らしい.安心して2階の西贅庁(西洋風レストラン)で夕食.部屋に帰って明日の準備をする.
 
 4月28日(土) 晴
 8時30分ごろチェックアウト.宿泊代120元×2日分=240元支払う.飛行機の切符は12時に取りに来るようにと言う.それまで明考陵へ行くことにする.昨日のバスツアーでは十分に見学出来なかったからだ.今度は写真を撮りながらゆっくり歩いて見て廻ろうと思う.一つ手前のバス停で下車する積もりだったが,結局中山陵まで来てしまった.なにしろバスは超満員なので,外がさっぱり見えず,どこを走っているのか皆目見当がつかなかったからだ.中山陵広場の食堂で,そばの上に炒め物を載せた,パック入り弁当を買う(1.2元).なお,箸は別売りで0.05元だった.今まで胸ポケットにペンを挿すように箸を挿している人を見掛けたが,やっとその訳が分かった次第.弁当は店先のテーブルで食べる.
 明考陵へはタクシー(7元)で行く.明考陵から人や動物の石像が両側にある石像路(全長1.8kmの参道)を歩く.このあたりは観光のメインルートからはずれているのか,中国では珍しく人影が見えない.今までカメラアングルから人の姿が消えたことはなかった.黄山の山奥でも田舎でも必ずどこかに人がいた.多民族国家中国の人口は,約12億人以上と言われている.ともあれ,おかげで静かな散策を満喫出来た.
 11時頃,地図に示されている四方城のバス停らしきところに着くが,どうしたことかバス停が見当たらない.やむを得ず中山陵へ向けて歩くことにする.30分位かかっただろうか?やっと中山陵に到着,バスに乗り込みホッと一息.が,なぜかこのバスは市内入り口の中山門で停車.どうやらここでバスを乗り換えなければならないようだ.H番の市内行きのバスを待つ.
 12時15分,やっとホテルに着く.まずトイレを済ませ,フロントへ飛行切符を受け取りに行く.切符は買ってあったのだが,どういう訳か4/28ではなく,4/29の分であった.だから最初から4/29と言っておいたのに,全くどうなってんだろう!しかし,中国でいちいち腹を立てていたらきりがない.こういうことは日常茶飯事,毎度のこと.ここは日本ではなく中国,あきらめるしかない.とにかく気を取り直し,再びチェックイン.ツインはなくトリプル部屋(170元)しかなかったが,この際仕方ない.部屋はまだ空いてなかったので,上の食堂で昼飯の後,部屋に荷物を運び込み,しばしの休息.
 (南京→西安:353元,手数料:10元)
 3時頃から再び市内見学へ.今度は燕子磯公園へ行く.長江をじっくりと眺めるためだ.まず@番のバスで南京駅へ,ついでG番のバスに乗り換え終点下車.そこから歩いて10分ぐらいか.てな具合で行きは順調だったが,帰りのバスにトラブル発生.2つ手前のバス停でエンストしてしまった.運転手は何とかエンジンをスタートさせようと,汗をかきかき頑張っているがさっぱり駄目な様子.10〜15分ぐらい待つが,一向に動きそうにない.乗客達はあきらめてバスを降りだした.私もそれに続きバスを降り,乗り換えることにする.が,次のバスがなかなかやって来ない.もうすでに5時.やっと来たと思ったら超々満員.しかし,ここで逃したら次はいつになるか分からない.他の中国人に紛れ込み,強引に乗り込む.まさしくギューギューのすし詰め状態.もう中国のバスは懲りごり,二度と乗りたくないと思ったものだ.
 やっとの思いで南京駅に無事到着.駅前に広がる玄武湖の渡し船に乗って帰ろうと思い乗り場へ.最終便は17:30,今17:39,しばし遅かったようだ.再びバス停に戻り@番のバスを待とうと思ったが,いやな思いをした直後だったので,タクシーで帰る(15元).部屋に戻りくつろぐ間もなく風呂に入り,洗濯を済ます.今後の計画を練る.


−第一部終わり−


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