日本の山 《 Vol.3 》

【 読売新道をゆく 】
 
2011年9月11〜16日(日〜金曜日)
所在地:長野県〜富山県
走行距離:559km(自宅 → 七倉山荘)

【 七倉温泉・七倉山荘:長野県大町市平区高瀬入 】 

(総文字数 約16,500文字)
 
実施行程表

第1日(12日/月曜日/天候:晴)
▼七倉山荘前(6:30) …山荘横にタクシー乗り場がある.

 <タクシー乗り場> 
   ↓12分(タクシー)
▼高瀬ダム(6:42〜6:55) …タクシーはロックフィル式ダム堤頂まで運んでくれる(標高約1,340m).

 <ダム堤頂から望む> 
   ↓15分
▼北アルプス裏銀座登山口(7:10) …「日本三大急登」のひとつ,「ブナ立尾根」のスタート地点.

 <登山口の標識> 
   ↓2時間50分
▼三角点(10:00〜10:15) …標高2,208.5m.3回目の休憩をとる.
   ↓1時間35分
▼烏帽子小屋(11:50〜12:00)…標高2,550m.小屋正面に立ちはだかる赤牛岳方面の眺望が素晴らしい.

 <烏帽子小屋> 
   ↓25分
▼ニセ烏帽子岳(12:25〜12:45)…山頂で昼食(標高2,605m).

 <ニセ烏帽子岳を望む> 
   ↓40分
▼烏帽子岳(13:25〜13:55) …日本二百名山(標高2,628m).

 <烏帽子岳> 
   ↓55分
▼烏帽子小屋(14:50) …冷えた缶ビール(600円)を飲んで時間を潰す.
 

 

 
歩行 6時間40分(起点:タクシー乗り場)
休憩 1時間40分(タクシー乗車時間・昼食含む)   計 8時間20分
 

第2日(13日/火曜日/天候:晴)

▼烏帽子小屋(5:35) …5時朝食.快晴なので早立ちする.
   ↓50分
▼ピークに立つ標識(6:25) …標高約2,700m.

 <標識> 
   ↓20分
▼三ツ岳(標高2844.6m)(6:45) …注意していないと気が付かない山頂.

 <三ツ岳山頂> 
   ↓2時間
▼野口五郎小屋(8:45)…標高2,870m.山頂は近い.

 <野口五郎小屋> 
   ↓15分
▼野口五郎岳(9:00〜9:25) …標高2,924.3m.見晴らし抜群.

 <野口五郎岳山頂> 
   ↓40分
▼真砂岳分岐(10:05) …標高約2,800m.竹村新道(至る湯俣温泉)分岐.

 <真砂岳分岐> 
   ↓55分
▼2,833mピーク(11:00〜11:15) …休息地点.

 <ピークより野口五郎岳遠望> 
   ↓20分
▼東沢乗越(11:35) …標高2,734m.

 <東沢乗越の地蔵> 
   ↓55分
▼水晶小屋(12:30) …標高2,900m.遙か彼方に黒部ダムを望める.

 <水晶小屋> 
 

 

 
歩行 6時間15分
休憩 40分                    計 6時間55分
 

第3日(14日/水曜日/天候:晴)

▼水晶小屋(4:50) …夜明け前,薄明かりのなか出発.「読売新道スタート地点」

 <小屋の上空に懸かる満月> 
   ↓40分
▼水晶岳(5:30〜5:40) …日本百名山(標高2,986m).岩だらけの山頂は狭い.

 <水晶岳山頂> 

 <水晶岳北峰(2,977.7m),向こうに薬師岳> 

 <赤牛岳遠望,右手に小さく黒部湖> 
   ↓20分
▼雪田(6:00) …岩礫の窪地(標高約2,890m)に残る雪田.

 <雪田,向こうに黒部五郎岳> 
   ↓35分
▼2,904mピーク(6:35〜6:40) …小休止.

 <ピークに立つケルン> 
   ↓5分
▼温泉沢の頭(6:45) …高天原への分岐点(標高約2,870m).

 <温泉沢の頭> 
   ↓1時間50分
▼2,742mの鞍部(8:35)…縦走中,最も低いと思われる地点.

 <鞍部(コル)付近> 
   ↓20分
▼赤牛岳(9:05〜9:20) …標高2,864.2m.眼下に黒部湖遠望.

 <赤牛岳山頂> 
   ↓15分
▼休憩地点(9:35〜10:00) …山頂からの急降下した地点.岩の上で弁当を食べる(標高約2,750m).

 <登山者が通過> 
   ↓25分
▼標識7/8(10:25) …標高約2,660m.赤牛岳〜東沢出合(奥黒部ヒュッテ)間を8分割(※注)した標識.
※注:8分割の基準(距離,標高,時間)は不明.

 <標識7/8> 
   ↓35分
▼標識6/8(11:00) …標高約2,550m.見晴らしの良いピークに建つ.

 <標識6/8> 
   ↓25分
▼標識5/8(11:25) …標高約2,440m.ハイマツ帯に建つ.黒部湖が美しい.

 <標識5/8> 
   ↓35分
▼標識4/8(12:00) …標高約2,340m.この先,左の靴底(ソール)が後ろ半分剥がれる.

 <標識4/8> 
   ↓45分
▼標識3/8(12:45) …標高約2,140m.靴底が剥がれないよう,注意して歩く.さらにハイドロレーション内のスポーツ飲料が底をつく.

 <標識3/8> 
   ↓40分
▼標識2/8(13:25) …標高約1,970m.水晶小屋で調達した予備の水を取り出して飲む.

 <標識2/8> 
   ↓45分
▼標識1/8(14:10) …標高約1,840m.最後の標識.ここで最後の一滴まで水を飲み干す.

 <標識1/8> 
   ↓50分
▼奥黒部ヒュッテ(15:00) …無事ゴール.風呂に入れる数少ない山小屋(標高1,500m).

 <奥黒部ヒュッテ> 
 

 

 
歩行 9時間30分
休憩    40分                  計 10時間10分
 

第4日(15日/木曜日/天候:晴)

▼奥黒部ヒュッテ(6:55) …5時朝食.小屋でもらったヒモで靴を応急修理後,出発.
   ↓40分
▼靴修理(7:35〜7:40) …靴底を縛っていたヒモが外れたので縛り直し(標高約1,470m).

 <下った所で靴底修理> 
   ↓25分
▼休憩(8:05〜8:10) …標高約1,480m地点.この先登山道は梯子で急降下,再び梯子で急上昇.最も険しい箇所のひとつ.

 <休憩場所> 
   ↓1時間15分
▼黒部湖平ノ渡し渡船場(9:35〜10:20) …針ノ木谷側の渡し船は10時20分発.

 <湖上遊覧船> 

 <渡し船> 
   ↓15分(乗船時間は10分)
▼対岸平ノ小屋渡船場(10:35)…船着き場からの急階段を途中右へ曲がる.真っ直ぐ登れば平ノ小屋へ.

 <平ノ小屋渡船場> 
   ↓45分
▼中ノ谷の沢対岸(11:10〜11:15) …標高1,450m.ここでヒモが再び外れ靴底がパックリ.それを目撃した札幌から来た夫婦の登山者が,親切にもガムテープと絆創膏で修繕してくれる.

 <中ノ谷の沢> 
   ↓35分
▼休憩(11:50〜11:55) …標高約1,450m.沢の水で顔と手を洗う.

 <休憩場所から黒部湖を望む> 
   ↓1時間25分
▼休憩(13:20〜13:25) …標高約1,520m.休憩中,団体に抜かれる.
   ↓20分
▼入り江の対岸にロッジくろよんを望む(13:40) …標高約1,480m.途中,スポーツ飲料が底をつく.

 <対岸にロッジくろよん> 
   ↓25分
▼御山谷の沢に架かる木橋(14:05) …標高約1,460m.入り江の最奥部.

 <沢に架かる木橋> 
   ↓45分
▼ロッジくろよん(14:50〜15:05) …標高1,480m.自販機で購入したジュースを一気飲み.
   ↓25分
▼黒部ダム(15:30) …標高1,460m.ダム堤頂を写真を撮りながらゆっくり観光.

 <ダムから下流側を望む> 
 

 

 
歩行 7時間
休憩 1時間35分(渡し船待合及び乗船時間含む)   計 8時間35分
 

 
 実のところ今回の山行は,南アルプスの仙塩尾根縦走を予定していた.その積もりでネット等で資料を収集し,着々と準備を進めた.ところが今シーズン(2011年度)は,梅雨明けの1週間を除いて,ずっと天候が不順な日が続いた.そして9月となり,遂にその機会を失う.何故なら下山後の唯一の足となる伊那バス鳥倉線のバス運行が,8月の最終日曜日をもって終了したからだ.そんな訳で急きょ,行き先変更を余儀なくされた.そこで以前より何となく気になっていた「読売新道」を歩いてみようと思い立った.長野の週間天気予報をネットで調べると,9月12(月)〜15(木)日の間はすこぶる天気が良さそう.『このときを逃すと,もはや次は無い!まさに千載一遇のチャンス!好機逸すべからず』いろいろ仕事上の予定もあったが,全て(勝手に)キャンセル.早速,前泊する七倉山荘へ宿泊予約の電話を入れる.この日が金曜日.自宅出発は,日曜日の午前8時前後と決めた.ところで何故「読売新道」と呼ばれるのか?これは下山後に後泊した七倉山荘の“助っ人支配人”(ヒマラヤ遠征を経験した山男)から聞いた話である.
 
《読売新道》
【読売新聞北陸支社創設時(1961年)の記念事業のひとつとして整備計画.水晶小屋から水晶岳,赤牛岳を経て奥黒部ヒュッテまでを結ぶ登山道で,完成までに5年を要す.全長約11kmにおよぶ険しいロングコース.なお,ヒュッテから平ノ渡し場までを含める場合もある.】
 

 
第1日(12日/月曜日/天候:晴)
 
 昨晩,山荘の主人に酒を振る舞われ思わぬ深酒をした.幸い二日酔いにもならず,すがすがしい朝を迎えることが出来た.さて,一般車両が進入出来るのは七倉までで,ここから先は東京電力が管理する道路となる.管理事務所の前にゲートが設けられている.登山口である高瀬ダムまでは,専用(特定)タクシーを利用することになる.タクシー乗り場は七倉山荘のすぐ横にある.朝食前にザックを乗り場のベンチ付近に置いておく.これがタクシー乗車の順番になる,と山荘の主人が教えてくれた.ゲートが開くのは6時30分.その時刻までに同宿した地元(長野)の登山者と朝食を済まし,準備を整える.待機していたタクシーに,およそ5分前に我々ふたりと夫婦の登山者が乗り込み,ゲート前で待機.6時30分きっかりにゲートが開き,高瀬ダムを目指す.ロックフィルダムの堰堤斜面につけられたつづら折りの道を登りきれば,ダム堤頂に到着.七倉より車で15分弱の距離であるが,歩けば1時間30分掛かる.運賃はひとり500円也(4人乗車の場合).なおタクシードライバーのガイドに依れば,高瀬ダムの堤高は黒部ダム(別名:黒四ダム)に次いで日本第2位の高さを誇り,下流の七倉ダムと共に揚水式発電所を形成.今夏の電力不足に備え水を満々と湛えていたが,今日まで全く稼働していないとのこと.
 
(余談であるが,下山後の15日も七倉山荘に宿泊した.この日,山荘の主人は松茸狩りに出掛けて不在.代わって前述した“助っ人支配人”が宿の切り盛りをしていた.彼は山小屋の小屋番も経験し,またヒマラヤのダウラギリ等の高峰を制した,真の山男だ.この日の宿泊者はオレひとり.夕食時,いろいろと山談義に花を咲かす.会話が盛り上がれば盛り上がるほど,比例して酒もどんどん進む.最初に飲んだビールは金を払ったが,以降のビール,日本酒は気前よく振る舞ってくれた.山好きな酒飲みには,堪えられない面白い宿だ.リピーターとして,また泊まりたいものだ.針ノ木岳を始め,この周辺の山はまだ登っていないことだし・・)
 

 <管理道路入口のゲート>


 <高瀬ダム湖>

 
 静かな早朝のダム湖は美しく拡がり,湖畔より遙か上方に野口五郎岳方面の峰々が聳える.周辺の景色に見とれている間に,他の登山者たちは堤頂から続く不動沢トンネルの中へ消えてしまった.トンネルを抜けるとすぐに不動沢に架かる長い吊り橋を渡る.沢は大量の土砂で埋め尽くされ,殺風景な感がする.上流側を見上げれば崩壊が激しく進行し,土や岩が剥き出した山肌が彼方まで続いている.土砂は除去しているようだが,この状況から察すれば,イタチごっごと言うより流入量が遙かに上回るのではないか?今後の行く末が案じられる.

 <不動沢に架かる吊り橋>


 <湖へ流れ込む大量の土砂>

 
 砂地状の沢を歩き,もう一つの沢,濁沢の対岸に渡ればまもなく北アルプス裏銀座登山口だ.黄色の目立つ標識が建っている.水場もここが最終とのこと.ここからいよいよ「日本三大急登」のひとつ,「ブナ立尾根」のきつい登りが始まる.では,残りのふたつの急登はどこか?と後日ネットで調べると,甲斐駒ヶ岳の「黒戸尾根」,上越・谷川岳の「西黒尾根」となっていた.ちなみに北アルプス三大急登は「ブナ立尾根」,剱岳の「早月尾根」,燕岳の「合戦尾根」だそうな.
【登山口(ダム)より15分】
 
 確かに登り一辺倒の急坂であるが,登山道はよく整備されており歩きやすい.徳島の山によくある,草木を掴んでよじ登るといったシーンは出てこない.その分,変化に乏しい単調な登りとなるので面白くない.特に樹林帯が続くこともあって,その感が一層強まる.このような尾根を山岳用語で「バカ尾根」と呼ぶらしい.同宿した長野の登山者と抜きつ抜かれつを繰り返す.彼のザックはオレの2倍近い容量がありそうだ.年齢はオレより年上と思われるが,いやはや達者なものだ.ふたりほぼ同時,三角点(標高2,208.5m)に到着(10:00).ダムより3時間5分.一方,地図上の所用時間は4時間30分(※)となっている.以前はそのぐらい掛かっていたのかも知れないが,それにしても差があまりにも大きすぎる.ふたりして「早急に地図の訂正が必要だ!」ということで意見が一致した.そうこうして一服していると,タクシー乗り場で見掛けた東京から来たという登山者が登ってきた.失礼して彼らより先に出発することにした.
【登山口より3時間5分】
 
(※注:地図上の所要時間は,地図を発行する会社・年度などに依って異なるようだ)
 

 <三角点>

 
 その後も胸突き八丁の坂が続き,息が上がる.崩壊地を通り過ぎた辺りから木がまばらとなり,背丈の低い灌木へと植生が変わる.若干,傾斜も緩やかになったよう気がする.視界もだんだんと開けだし,立ち止まって写真を撮ること数回.三角点よりおよそ45分の地点で休憩をとる.休憩していると例の長野と東京の登山者ふたりに追い抜かれた.10分の休憩後,重い腰を持ち上げ再び黙々と歩を進める.15分で見晴らしのよい地点で立ち止まり,写真をパチリ.さらに20分歩くと遂に尾根筋(標高2,551m)に到着.尾根を越えると,指呼の間に烏帽子小屋がある(11:50).
【登山口より4時間40分,三角点より1時間35分】

 <尾根から南沢乗越を望む>

 
 宿泊手続きを済ませた後,部屋にザックを置く.直ちに烏帽子岳を往復するため,サブザックに弁当と茶を詰め込み,身軽な出で立ちになって出発.小屋から25分のニセ烏帽子岳(標高2,605m)で昼食をとることにする.山頂に鎮座する大岩の裏へ回り込み,腰を下ろす.何と!ここは烏帽子岳を眺めるには絶好のビューポイントである.成る程,岩塊から成る山の姿は何となく烏帽子に見えなくもない.満足して七倉山荘で作ってもらった弁当を拡げ,風景を堪能しながら頂く.しかし残念なことに,しばらくすると肌寒くなってきたので早々に昼食を済ませ,20分後に出発する.

 <ニセ烏帽子岳から烏帽子岳を望む>

 
 烏帽子岳への登山道は縦走路から外れて,山頂直下まで約15分の登り.ここから鎖を頼りにほぼ垂直に約10mぐらい登る.続いて水平に移動(いわゆるカニの横這い)し,最後は先程より短めの鎖を伝えば,大岩が重なる狭い頂(いただき)に出る.しかし,その頂上(標高2,628m)に立つことは出来ない.黄色のペンキが剥げかけた標識までがせいぜい.その反対側に斜めになっているが,比較的平らで広い岩がある.この岩の上に登って座り込んで休憩する.ニセ烏帽子岳方面が一望に見渡せるが,いつの間にか雲が発生して視界を遮る.30分近くも居座った後,13:55に山頂をあとにする.小屋に戻った時刻は14:50 だった.烏帽子岳往復の時間は,休憩も含めて2時間50分も要したことになる.それにも拘わらず,5時の夕食までまだ2時間近くある.ビール(600円)をチビリチビリ飲んだり,小屋付近を散策したり,部屋で寝転がったりして時間をつぶした.

 <頂上直下の鎖場>


 <烏帽子岳山頂>


 <山頂より南沢岳方面を望む>

 

 
第2日(13日/火曜日/天候:晴)
 
 昨夜は夕食後の6時前には,既に寝床に入っていた.疲れていたのですぐに寝付いたようだ.夜中に1〜2回しか眼も覚めず,たっぷり熟睡出来た.通常,山小屋では浅い眠りとなって,ほとんど寝られないものだが,今回は違った.そんな訳で4時頃起きだし,空いている間にトイレと洗面を済まし,5時の朝食に備える.部屋の窓を通して薄明かりの空を望めば,赤牛岳の天空に見事な満月が懸かっている.本日も晴天なり.
 
 あまりにも天気がいいので,小屋で無駄な時間を潰すのはもったいない.そこで朝食後,直ちに発つことにした.この時5時35分.小屋を出てヘリポートの脇を過ぎると,まもなくキャンプ地だ.みんなまだ起きた直後か,あるいは朝食の準備に取り掛かっているといった状況.朝の挨拶を交わし通り過ぎる.尾根筋に差し掛かると霧が発生している.霧の中に入り,ふと進行方向右側(西側)を見ると,光の中に大きな人影が見える.『おっ!これがブロッケン現象か!?始めて見た!』写真に収めようと慌ててカメラを取り出したが,既に遅し.そこでいつでも写せるよう,カメラを片手に持って歩いていると,待つ間もなくまた現れる(5:50).すかさずシャッターを切るが,先程みたいにはっきりと現れていない.その後も何回か見られるが,霧も薄くなってだんだんとぼやけてきた.

 <ブロッケン現象>

 
 三つ目のピーク(標高約2,710m)に建つ指標を通過(6:25).その後いくつか小ピークを越えて三ッ岳(標高2844.6m)に到達(6:45).山頂を示す木の標識が古く,注意深く観察しないと分からない.ここが三ッ岳とは気付かず,そのまま通り過ぎてしまいそうだ.以降,歩きやすいなだらかな尾根が続き,「裏銀座縦走」の楽しさを存分に味わう.ルート上に遮るものは無く,周りの展望は全て自分ひとりのもの.足元には高瀬ダムの湖面がキラリと光る.おまけに天気は快晴で申し分無し!青い屋根の野口五郎小屋(標高2,870m)には8:45到着.ここから野口五郎岳は,もう目前.15分の緩やかな登りで山頂へ(標高2,924.3m).
【烏帽子小屋より3時間25分】

 <尾根上の登山道>


 <野口五郎岳山頂手前>

 
 なだらかな山頂は広く,眺望抜群.既に先客が4人いる.その中に昨日知り合った東京の登山者がいたので,山頂をバックにお互い記念写真を撮り合う.その後でゆっくり周囲の山を楽しむ.やはり際だって目立つのは,その山容からして槍ヶ岳となる.どこから見ても一目でそれと分かる.富士山のような姿の笠ヶ岳も,双六岳の尾根の向こうに聳えている.明日縦走予定の水晶岳から赤牛岳,その先の黒部湖へ至る長い稜線も,一望のもとに見渡せる.目を凝らせば,今夜の宿である水晶小屋もかすかに識別出来る.十分景色を堪能した後,9:25に山頂を出発する.

 <山頂より水晶岳を望む>


 <遠く笠ヶ岳(右上)を望む>

 
 頂上直下から登山道はつづら折りとなり,一気に80m程コルまで下る.野口五郎岳から40分で真砂岳分岐(標高約2,800m)に着く(10:05).『アレ?真砂岳(標高2,862m)は,いつ通過したんだろ?ついさっき,立ち止まって写真を撮った場所が山頂だったのか?しかし,標識は無かった.あるいは縦走路から外れているのだろうか?』地図で確認すると,縦走路は山頂を通っていないようだ.大した距離ではないが今更登り返すのも面倒なので,真砂岳はスキップすることにした.さて,この分岐を曲がって竹村新道を辿ると,湯俣温泉を経由して高瀬ダムまで戻れる.無論,裏銀座縦走路は真っ直ぐ進む.

 <真砂岳分岐手前より鷲羽岳(左)を望む>

 
 およそ30分歩いた地点のピークから見上げると,水晶岳南肩にへばりつくように建っている水晶小屋がだいぶ近づいてきた.振り返ると,真砂岳分岐が見渡せる.その分岐の上方に連なる山が真砂岳とすれば,縦走路はかなり下の斜面をトラバースしている.『縦走路を外れて,わざわざ登る人はいないだろうな,多分・・』と独り言.さらにそこから25分歩いた2,833mの岩だらけのピークで,座り心地よさそうな石の上に腰を下ろし,15分の休憩をとる(11:00〜11:15).

 <野口五郎岳(左)と真砂岳(右)>

 
 東沢乗越(標高2,734m)には11:35に到着.傍らの石積みに囲われた中に,ポツンと地蔵が立っている.休憩するにはうってつけの場所だが,さっき休んだばかりなので通過.ここから水晶小屋までの登山道は険しくなり,崩壊したヤセ尾根とか斜面を横切るので一層の注意が必要となる.また一段と登りもきつくなり,苦しい区間である.特に小屋直下の登りは,牛歩のごとく歩みがスピードダウン.水晶小屋(標高2,900m)到着は12:30.
【烏帽子小屋より6時間55分,野口五郎岳より3時間5分】

 <東沢乗越>


 <小屋直下のきつい登り>

 
 汗が引いて落ち着いてから,宿泊手続きを済ます.この日,三番目の宿泊者だった.宿泊できて正直ホッとした.どうしてか?と言うと実は昨晩,相部屋の登山者たちから脅されていた.
「えっ!予約していないだって!あの小屋(水晶小屋,定員30人)は小さいから予約無しでは泊まれねえだろな.あぁ〜勿論,ボクは1週間前に予約したよ.赤牛岳登頂はそれ(泊まれるかどうか)がカギだからね.しかも明日は団体が泊まるらしいよ」
「だけど小屋のホームページには,確か“予約不要”と書いてあったはずなんだけど・・・」
一応反論したが,オレはだんだんと声が小さくなり自信が無くなってきた.最近,確かに要予約の山小屋が増えてきたと聞く.そんな不安な精神状態を抱えたまま,ここまで歩いて来たのだ.
 
 何はともあれ,一安心.心も晴れて小屋の前に置かれている丸太のイスに座ってビールで喉を潤す.ここから北方面の眺めは素晴らしく,はるか彼方の,今回の山行のゴールでもある黒部ダムまで見渡せる.果たして2日間であんなに遠くまで歩けるのだろうか?一瞬動揺し,たじろぐ.それにしても“千里の道も一歩から”とはよく言ったものだ.気分を変えて小屋の裏山(赤岳)に登ればさらに展望は拡がり,南方面も眼中に入る.それこそ自分は今,北アルプスの中心に居るんだ,と云う気分に浸れる.残念なことに穂高連峰辺りは雲がかかっていた.雲ノ平は一望でき,雲ノ平山荘も確認できる.かれこれ20年近く前,雲ノ平を訪れたのを懐かしく思い出し,感無量.普段の生活では,こんなにくつろぎまくったことはないし,時間を持て余したこともない.山に登ったからこそ成し得る特権と言えよう.まるで世捨て人になったような積りで思いを巡らしていると,喉が渇いてきた.早速,小屋に戻りビールを購入.さっきと同じ丸太に座って,眼前に拡がる絶景を“肴”に飲む.

 <野口五郎岳>


 <水晶岳>


 <赤牛岳>

 

 
第3日(14日/水曜日/天候:晴)
 
 4時前に起床.本日は今回の登山目的でもありハイライトでもある読売新道に,いよいよ足を踏み入れる記念の日である.手早く準備を済ませ4:30には小屋前でスタンバイ.野口五郎岳の稜線が,満月の光に照らされ浮かんでいる.槍ヶ岳のシルエットも美しい.夜明け前の荘厳な景色を楽しむが,冷たい風が絶えず吹き,寒くなってきた.ザックからウインドブレーカを取り出し,羽織る.東の空がほんのりと赤く染まりだし,足元が何とか見えかかった薄明かりの中,いざ!読売新道へGO!(4:50).例の長野と東京の登山者が先行する.彼らは赤牛岳をピストンするそうだ.そんな訳で小屋にザックを置き,サブザックのみの身軽な軽装で闘志満々,気合十分.歩き始めると,その速いこと速いこと.どんどん引き離され,見る間に視界から消え去った.
 
 最後の急登をしのげば水晶岳山頂(標高2,986m)に至る.到着(5:30)と同時に日の出を迎え,急ぎ写真を撮る.ほんの僅かの間に周辺の峰々は一斉に朝日を浴び,くっきりとその山容を現す.大自然の偉大さを,ひしひしと感じ取れるひとときである.岩がゴロゴロした山頂は狭く,歩きづらい.既に山頂を踏んでいた東京の登山者が発つ前に,記念写真を撮ってもらう.なお,山頂の岩が黒く見えることから,水晶岳は別名“黒岳(※)”とも呼ばれている.
【水晶小屋より40分】
 
(※「黒岳」が正式名称であるが,山頂の標識には「水晶岳」と表記されている)
 

 <御来光>


 <朝日を浴びる稜線(鷲羽岳方面)>

 
 まだまだ先は長いので,登頂10分後(5:40)に頂上を後にする.雲ノ平を足元に見ながら,砂塵混じりの岩礫道を,滑らないよう注意しながら一気に下る.20分ほどで二重山稜の岩礫地に出る.山稜に挟まれた窪地には雪田が残っている(標高約2,900m).登山道は尾根の北側を通っているので,絶えず雲ノ平を左に見ながら進むことになる.その向こうに,見事なカールを懐に擁する黒部五郎岳が構えている.先に目を移せば,大きな山塊の薬師岳がデンと居座っている.途中,小さなケルンの立つ2,904mのピークで5分間の休憩をとる.ピークのすぐ下にある温泉沢ノ頭(標高約2,880m)には6:45到着.ここは高天原温泉及び高天原山荘への分岐点である.下を覗けば,赤い屋根の高天原山荘と西隣の湿地が小さく見える.山荘とここを結ぶ登山道を登って来るのは,かなりきついと思われる.
【水晶小屋より1時間55分,水晶岳より1時間5分】

 <頂上直下の下り,彼方に赤牛岳>


 <歩きにくいガラ場>


 <雲の平と黒部五郎岳>


 <水晶岳を振り返る>


 <高天原山荘方面を見下ろす>

 
 以降の登山道に目立ったアップ・ダウンはなく,なだらかな尾根道が続く.それだけに単調なコースとなり,薬師岳を横目で眺めながら,ただひたすら歩き続けるのみ.このコース上では比較的大きなピークをふたつ越え,赤牛岳を間近に望める鞍部で,長野と東京の登山者と再会(8:35).彼らは既に赤牛岳登頂を果たし,帰路に就いている途中だった.長野の人は三俣山荘で宿泊し,黒部五郎岳から薬師岳を目指すと云う.一方,東京の人は野口五郎小屋で宿泊し,登って来た時と同じルートを辿り,七倉へ戻ると話していた.お互いの無事を祈って別れる.

 <赤牛岳へ続く稜線>


 <左手に薬師岳>


 <赤牛岳(中央)>

 
 ここより赤牛岳へはだらだらと長い登りが続く.辛抱して歩くこと30分.やっと山頂(標高2,864.2m)に辿り着いた(9:05).山名の通り,なだらかな山頂は小石が露出した,やや赤みがかった土に覆われている.年季の入った標識は,どっしりとした石積みに守られ建っている.セルフタイマーで標識をバックに記念写真を写そうと,ミニ三脚を取り出す.2〜3回試みるが,どうもうまくいかない.モタモタしていると,ふたり組の登山者が登ってきたので,シャッターを依頼する.意外なことに,彼らは奥黒部ヒュッテに泊まらないと言う.明日は会社があるので,一気に黒部ダムまで下りて帰ると言うではないか!いやはや,凄い人たちがいるものだ.
【水晶小屋より4時間15分,水晶岳より3時間25分】

 <近づく赤牛岳>


 <最後の登り>


 <赤牛岳山頂から薬師岳を望む>


 <水晶岳方面の眺望>


 <黒部湖遠望>

 
 15分の滞在の後(9:20),ふたり組に別れを告げて奥黒部ヒュッテを目指す.山頂から険しい急坂を下ること15分.登山道から少し離れて,岩が積み重なった所(標高約2,760m)がある.見晴らしは良さそうだし,休憩するにはうってつけと即断し,ここで朝めし(兼昼めし)に決定.おにぎりの弁当を食べている最中に,頂上で出会ったふたり組は足早に通り過ぎ,見る間に点となって消え去った.25分後(10:00)に出発.

 <休憩場所からの眺め>

 
 休憩した場所から25分の見晴らしの良い岩場(標高約2,670m)に「読売新道 東沢出合−赤牛岳 7/8」と書かれた標識がある(10:25).つまりこれは,奥黒部ヒュッテのある東沢出合までの距離を示すものなのか?しかし山頂にも同様の標識があったが,「8/8」の標示は記されてなかったが・・どのような意味があるのか?そんなことを考えながら歩いていると,果たして次の標識「6/8」が開けた場所(標高約2,560m)にあった(11:00).以降の行程の進捗具合は,この標識が目安となった.
【赤牛岳→「6/8」まで1時間40分】

 <赤牛岳東斜面>


 <標識7/8>


 <標識7/8岩場から黒部湖を望む>


 <標識6/8から赤牛岳を振り返る>

 
 今まで尾根筋を通っていた登山道は,「5/8」に差し掛かる手前で低木の茂る樹林帯に入る.数分でハイマツに囲まれた「5/8」に到達(11:25).ここから(標高約2,450m)も黒部湖を望めるが,まだまだ遠くにある.しばらく気持ちの良いハイマツ帯が続くが,いきなり針葉樹の樹林帯に突入.根が張り出し岩が剥き出しとなった道は,歩きにくさを増す.ずっとこんな状態が続くと覚悟していたら,いきなり開けた明るい“広場”に飛び出た(12:00).ここに倒れかけた「4/8」の標識がある(標高約2,350m).まだ行程の半ば.黒部湖を望めるのは,この地点が最後となる.
【赤牛岳→「4/8」まで2時間40分】

 <標識5/8>


 <標識4/8>


 <根が露出した登山道>

 
 またしても樹林帯に入り,歩きにくい登山道に逆戻り.ぬかるんだ箇所を避けたり,急坂を滑り落ちないよう降りたり,あちこちに露出した石を避けたりと気を使う.迂闊に石の上に足を置いたりすると,滑るので要注意.そんな時,今までで最悪の出来事が起こった.足元の感触がなんだかおかしいな?と思い立ち止まる.足元を見ると,左の靴底が剥がれているではないか!『えらいこっちゃ!さ〜て,どうしたものか?』一瞬,戸惑い途方に暮れ,めげ込む.応急手当に必要なヒモとか針金とかテープなど,持っているはずがない.落ち着いてよく観察すると,剥がれているのは後ろ半分.幸いに前半分はしっかり貼り付いているようだ.これなら歩き方に気を付ければ,ヒュッテまで何とか辿り着けるだろう.靴底を折ったり痛めたりしないよう注意を払って,ゆっくり進む.標識「3/8」(標高約2,140m)到着は12:45.今までのタイムと比較すると,やはりこの区間は10分以上余計に時間が掛かっている.
【赤牛岳→「3/8」まで3時間25分】

 <険しい登山道>

 
 途中,遂にハイドロレーション内(容量1リットル)のスポーツ飲料が底をついた.1日目も2日目も半分ほどしか消費しなかったので,十分にまかなえると思ったが,甘い判断であった.お茶は弁当を食べた時に飲み干したので,既に空っぽ.予備として500ミリリットルの水が,ザック内に入っている.お茶も持っていることだし水は不要と思われたが,念のため水晶小屋で購入していた.『よくぞ持っていたものだ!よかった,よかった!』やはり山では何が起こるか分からないので,十分な備えが必要だと改めて思い知らされた.標識「2/8」(標高約1,970m)までは特にアップダウンがきつく,靴をいたわりながらの歩きは,不安定で往生こく.登りよりも下りに余分に気を使う.何故なら,足を上げた瞬間に靴底が垂れ下がり,勢いで踏みこんで折ってしまいそうになるからだ.そんなこともあって,この区間に要したタイムは40分.通常なら30分も掛からないだろう.
 
 「2/8」を過ぎると登山道はやっと下降し始め,右手に東沢谷のせせらぎが聞こえ出す.この区間で唯一,ほんの少し開けた崖から覗き込むと,谷はまだまだ遙か下.反対側の黒部川本流も樹間を通して望める.確実に東沢谷出合に近づいていると実感できる.最後の標識「1/8」(標高約1,840m)には14:10到着.コースタイムは45分.ここで最後の水を一滴まで飲み干す.やはり時間が掛かる分,それだけ水を消費することになる.足の速い人は,こんなに水を要しないことは確か.「1/8」からは下る一方.途中,10本近い大木の根が見事なまでに絡まった,根上がりの針葉樹と対面.おとぎ話に出てきそうな穴も開いている.じっと見つめ,しばらく立ちすくむ.沢の音はだんだんと近くに聞こえるが,反対側の尾根下に回り込んだせいか,やがて聞こえなくなる.変わって発電機のエンジン音が聞こえ出すと,木の間越しに奥黒部ヒュッテ(標高1,500m)が姿を現す.到着時刻は15時ジャスト.コースタイムは50分とかなり延びている.つい思わず口から『あ〜ぁ,しんどかった〜!』と漏れた.幸いなことに,靴はどうにか保った.やはり読売新道は,想像以上に厳しかった.
【水晶小屋より10時間10分,赤牛岳より5時間40分】

 <東沢谷は遙か下>


 <見事な根上がりの針葉樹>

 
 しばらくヒュッテ前のベンチで休み,息が落ち着いてから宿泊手続きをする.その際,靴修理用の細ヒモを分けてもらう.このヒュッテには風呂がああり,到着順に風呂に入れる.番が来たら声を掛けてくれるので,それまでに明日の備えを手早く済ますことにする.まず,空になったハイドロレーションバッグをアクエリアスで満たし,着替えを準備する.ヒゲを剃り,ついでに歯も磨く.トイレは久しぶりに水洗である.やっと快適な一夜を過ごせそうだ.準備作業終了後,500ミリリットルのビールを購入(700円)し,ヒュッテ前のベンチで飲む.ビールを含め飲み物類は,上の山小屋より100円ほど安く,しかも冷蔵庫で冷やしているので十分に冷えて旨い.上の山小屋は,保冷剤を入れたクーラーボックスだった.
 
 風呂に入って汗を流し下着も着替え,気分良く夕食に臨む.今までの山小屋では,夕食時にビールや酒を飲むのを我慢していた.その理由はただひとつ.夜中にトイレへ行くのが面倒だから.屋内トイレならまだしも,屋外にある場合は行くのに一大決心が必要となる.でもここは設備が整っているので,やっと解禁.隣に座った千葉からの登山者と,とりとめもない話をしながら飲む.彼が質問してきた.
「奥さんと一緒に山に登らないの?」
「全然!今まで一回も無いですね」
「どうして?」
「ウチの家内は,山とかのアウトドアには全く興味がないんです」
「連れ出したらいいじゃないの」
「無理,無理!趣味の世界が全く違うから.ウチのは宝塚とかの観劇が大好きなんです.それにもし趣味が合っていたら,いちいち連れて来なきゃならんでしょ.そりゃ〜面倒くさいし足手まといだ!せめて山に来た時ぐらい,ひとりで居たいよなぁ.人生はつねに孤独だからね・・・」
酒の酔いも手伝って,オレは持論を展開していた.気が付けば他の客たちは食事を済まし,全員退席済み.我々もそろそろ終わりにしようかと腰を上げかけたら,遅く着いた10人ぐらいの団体客が,食堂に入ってきた.これ幸いとばかり再び腰を落ち着け,酒を追加注文.
 
 ほろ酔い気分でふたり一緒に部屋に戻ると,4人の客がいた.うちひとりは地元(長野)の登山者で,「4/8」を過ぎた辺りでオレを追い抜いていったので,もう顔見知り.残りの三人は同じグループで,読売新道を逆に登るので,明日は早立ちすると話していた.年齢を尋ねると62〜63才.なんだ!オレと変わらないじゃないか!年の割には凄いスタミナとド根性だ!ちなみに長野の登山者は61才.なんでもダムから扇沢までのバス代が高いので,針ノ木峠(標高2,541m)を越えて扇沢へ下りるんだとか.これも驚きだ.一方,千葉の登山者は67才で,この周辺の山はほとんど登ったらしい.明日はオレと同じくダムを目指す.それにしても同室者全員60代で年金組だったとは意外!そりゃそうかもね.職に就いている人は,何日も休めないから当然かもしれない・・と納得.
 

 
第4日(15日/木曜日/天候:晴)
 
 靴を修理しなければならないので,千葉の登山者より早く発つことにする.靴底をヒモで縛って応急修理を施すが,道中何回か切れそうだし外れそうで不安だ.平ノ渡しの発着時刻は10:20.地図によると渡し場まで3時間の行程とある.6:55ヒュッテを出発.すぐに東沢谷に出る.広い沢に連続して架かる木橋を,注意して渡って行く.丸太を組んだ橋で,大水が出たら流されそうだ.維持管理するのは大変だな,と余計な心配をする.ここよりいよいよ木橋・梯子・ロープが連続する,本格的な険しい山道の始まりとなる.崩壊した急峻な斜面には,丸太で組んだ梯子状の通路が設けられ緊張の連続.そんな梯子段を下りたところで,靴底を縛っているヒモが外れた.腰を下ろし新しいヒモで縛り直す.出発して40分.ここまでよく持ち堪えた方かも知れない.しかし,これから一体何回ヒモを縛り直さなければならないのか?それを考えると憂鬱になる.

 <東沢谷に架かる木橋>


 <最初は平坦な道>


 <だんだん険しさが増す>

 
 かなり激しいアップ・ダウンを伴うので,息が上がり汗が吹き出る.想像以上に険しい登山道だ.時折,木の葉越しに黒部川の上ノ廊下峡谷や薬師岳へ続く稜線が眺められる.今はこれが唯一の慰めとなる.常に梯子の丸太を踏みつけるせいか,ヒモの緩む度合いが増えてきた.何回も縛り直したり交換したりしていると,皮肉なことだが慣れてきて,手早く出来るようになった.これは良いことなのか?やがて黒部川のせせらぎも黒部湖先端の一部となり,徐々に川幅を広げてゆく.渡し場が近付いたのかと思ったが,着いたのはそれから1時間後だった(9:35).渡し船発着時刻まで,まだ45分もある.船着き場(標高約1,450m)へ下りる階段に座って,待つことにする.すでに10人ほどが待っている.ヒュッテにいた団体客だ.まもなく千葉の登山者も到着した.黒部ダム湖上遊覧船がこの付近でUターンするのを,ボォッとして眺める.
【ヒュッテより2時間40分】

 <梯子が連続>


 <黒部湖の先端付近>


 <崩壊地を通過>


 <針ノ木谷渡し場>

 
 定刻10:20に渡し船が接岸した.全員(12人)乗船出来るのか心配したが,余裕で乗り込めた.デッキも含めれば,もっと乗れそうだ.船の速度は歩く程度で,やたらゆっくり進む.手漕ぎのボートが早いかもしれない.乗船名簿が回ってきたので,住所氏名を記入する.乗船時間は約10分で無料.この渡し船は,関西電力が平ノ小屋に委託して運行しているとのこと.黒部湖に因って登山道が寸断されたための代替措置か?対岸の平ノ小屋には10:35に到着.

 <渡し船接岸>


 <船上にて>

 
 船着き場から続く急な階段を登り,途中で右折し「黒部湖周遊道路」に入る.道路と名が付いているが,正真正銘の登山道である.アップ・ダウンはあるものの,先ほどのヒュッテからの登山道みたいに険しくないので,随分と歩きやすくなる.湖に突き出た“半島”を忠実になぞり,次に大きく入りこんだ“湾”に沿った道を辿る.こんな具合に地形に応じて登山道は設けられている.ようやく奥まった中ノ谷の沢(標高約1,450m)に着いた(11:10).船着き場より35分歩いたが,地図上では皆目進んでいない.

 <中ノ谷の沢>

 
 沢に架かる丸太の橋を渡ったところで,例の団体が休憩していた.挨拶を交わし追い抜こうとしたその時,ヒモが外れ,靴底がベロ〜ンと垂れ下る.格好悪いので,慌てて縛り直そうと屈みこんだ.その様子を見ていた団体客のうち夫婦の参加者が,ガムテープを持っているので修理してくれることになった.ガムテープでグルグル巻きにして,さらに上から絆創膏で補強.彼らの話に依ると,靴底が剥がれるのはよくあることで,登山時にはテーピング用のガムテープを常備しているとのこと.さらにツアーリーダーらしき人が話した.
「靴は5年過ぎたら要注意.特に縦走を伴う登山時は,5年経った靴は履かないこと!」
オレの靴が20年近く経過していることをバラすと,コリャ〜ダメだ〜,と一笑に付された.そんなことは露程も知らなかった.自分の無知を改めて再認識させられた.ともあれ,ひとつ勉強になったことは確か.厚くお礼を言って先に発つ.この後,この団体とは何回か抜きつ抜かれつを繰り返すことになるが,休憩した地点(13:20)で抜かれて以降,追い付くことはなかった.

 <先行する団体ツアー客>

 
 ところで彼ら団体は,富山の折立から太郎兵衛平を経由して薬師沢小屋で泊まり,雲の平を経由して高天原山荘へ.そこから温泉沢の頭へ登り読売新道を辿り,昨日遅く,奥黒部ヒュッテへ着いたのだと云う.あの親切な夫婦は,もうひと組の夫婦と共に,札幌からツアーに参加.その他は,東京からの参加者らしい.それにしても相当健脚の上級者向け山岳ツアーだ.

 <黒部湖>

 
 対岸に建つ白い外壁の「ロッジくろよん」が,入り江を挟んで望めるビューポイントに立つ(13:40).ここから入り江に沿って御山谷へ向かう.この区間はブナなどの自然林が繁る、気分の良い道が続くが、またしてもハイドロレーションのスポーツ飲料が底をついた.今日は弁当無しなので,茶はおろか予備の水も持っていない.ロッジに着くまで喉の渇きを我慢するしかない.先のビューポイントから御山谷の沢に架かる橋まで25分.橋からロッジくろよん(標高1,480m)まで45分が経過(14:50).ロッジの建物が対岸に見えてから到着するまで,述べ1時間10分を要したことになる.ロッジ前のテーブルにザックを置き,自販機でジュースを買って一気飲み.渡し場〜ロッジ間は,地図では3時間と記載されているが,1時間以上もオーバー.この大きな違いはどうしたことか?
【平ノ小屋渡し場より4時間15分】

 <自然林の中の登山道>


 <御山谷の沢>


 <ロッジくろよん>

 
 ここまで来れば,最早ゴールインしたようなもの.約10分間の休憩の後,身支度を整え発とうとした時,千葉の登山者が到着した.彼は携帯を取り出し,大町温泉郷の宿を予約していた.
「今日中に千葉まで帰れなくもないんだが,電車内で汗臭いのは嫌われるからね.温泉につかって汗を流し,明日帰るよ」と話した.
黒部ダムには3:30に到着.ダム堤頂を観光しながらゆっくり歩く.覗き込めば2箇所の放水口から勢いよくダム湖の水が吐き出され,迫力満点.思い起こせば今から二十数年前,この堤頂を通って黒部下ノ廊下へ分け入り,欅平まで踏破した.あの頃はまだ若かったが,登山初心者でもあったせいか,非常に苦しく足も痛くなって大いに困窮した.今となっては懐かしい思い出だ.
【平ノ小屋渡し場より4時間55分】
 <黒部ダム湖>


 <ダムの放水>

 
 観光案内所で扇沢行トロリーバス切符売り場の場所を尋ね,4時35分発の切符を購入.所要時間は16分だが,運賃は1,500円.ウ〜ン,確かに高い.扇沢に着いたのは5時前.直ちに七倉山荘へ戻るべくタクシー乗り場に向かった.が,時間が遅いせいか,タクシーは1台も停まっていない.早速,携帯で呼ぶことにした.待つこと10分少々.アルプス第一タクシーが飛ばしてやって来た.バスを待つ千葉の登山者に別れを告げ,タクシーに乗り込んだ.ヤレヤレ,靴は何とか保った.靴底はく離の応急手当は,ガムテープが一番手っ取り早い.それも“布”ガムテープが最も適していることを身を挺して学んだ.あの親切な札幌の登山者のお陰だ.心の中で感謝しつつ何気なく片方の靴を見ると,こっちも靴底が剥がれかかっているではないか!『オォ〜,今日が登山最終日でよかった!』安堵のため息と共に胸をなで下ろした.なお七倉山荘までのタクシー代は,手前でメーターを倒してくれたので5,800円で納まった.


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(2011年11月記す)
−終わり−