(総文字数 約51,000文字 第一部 約11,800文字)
 
カトマンズ急行

第一部 ヨーロッパ飛び歩記編

− Kathmandu Express Vol.1 −
 
 
はじめに
(“はじめに”は第二部と同じ内容です)

 1972年,22歳の春,私は2年間勤めていた会社を退職した.そして5月16日,横浜港よりソ連船ハバロフスク号に乗り込み,シベリア経由でヨーロッパに旅立った.当時,ヨーロッパへはこのシベリアルートが最も安価で,且つ共産圏であるソ連を見られるとあって,若者達にすこぶる人気があった.もっとも私の場合,全線シベリア鉄道を利用した訳ではなく,ハバロフスク〜モスクワ間は空路を選んだ.モスクワからはヘルシンキ,ストックホルム,ウィーンへの3コースがあったが,フィンランドは当時ユーレイルパス(EURAILPASS,欧州均一周遊券)が使用出来なかったのと,まだ寒かろうという理由で,南方のオーストリア・ウィーンコースをとった.
 ウィーンを出発点にファーストクラス,3ヶ月間有効のユーレイルパスをフル活用して,ヨーロッパ13ヵ国を鉄道で旅した.TEE(ヨーロッパ国際特急),IE(インターナショナルエクスプレス),IC(インターシティ),TALGO(タルゴ,スペインが誇る軌道幅可変・振り子式列車)は言うに及ばず,ローカル線に至るまで寝る間も惜しんで乗りまくり,ほぼ隈無く走破した.その他パスが使用出来るバス路線・定期船も積極的に利用した.
 また宿代と時間を浮かす為,夜行も頻繁に利用した.例えばフランスの場合,地方都市から一旦パリに戻り,すぐに夜行で別の地方都市へ向かうといった具合に.ただし,寝台列車は別料金が必要だったので,僅か2回しか乗っていない.そのうちの1回は,あの月桂樹と獅子のエンブレムで有名なワゴン・リ社(Wagons-Lits,国際寝台車会社)の寝台客車に,鉄道ファンの端くれとして一度ぐらい乗らなければお話にならないと思い,無理して大枚をはたいた.なおヨーロッパの鉄道,特にファーストクラスはほとんどコンパートメント形式なので,空いていれば横になってグッスリ寝られる.とにかく,ケチに徹して旅を続けた.私のケチな性分は,どうやらこの頃,身に付いたのかも知れない・・・


 
メ モ

【 手帳日記 】
 今まで旅行とか登山をする際,私は必ず手帳を持参している.手帳ならば胸ポケットにも入るし,必要なとき即座に取り出せるからだ.手帳はメモ帳として使うのは勿論のこと,日記帳としても活用する.日記といっても時間,場所,費用,その他必要最低限の事項を簡単にメモるだけで充分.何も詳しく書く必要はない.自分の辿った足跡をその時自分が記録すれば,何年経っても覚えているものだ.さらに手帳に記された情報を見れば,案外,忘れ去っていたことも容易に思い出す.そこで皆様にも,旅行の際には“手帳日記”をつけることを,是非お勧めする.
 
【 ユースホステル 】
 青少年旅行者のための会員制の安全で安価な宿泊所.発祥の地はドイツで,ユーゲントヘルベルゲ(Jugendherberge)という.ヨーロッパには年配者でも又会員でなくても泊まれるユースホステルが多い.スリーピングシーツは必携.持っていなければレンタル料金必要.本文中では“ユースホステル”を“ユース”と表記する.
 
【 その他 】
・為替レート:当時(1972年)のレートを日本円に換算した.
・国名:当時の国名(ソ連,西ドイツ,ユーゴスラビア)を表記した.



〜旅日記〜
 
5月17日 船中にて
 昨日,横浜港を出港したソ連船ハバロフスク号(5,300トン)は一路,ナホトカへ向かっている.暴風雨の中,津軽海峡を航行.生まれて初めてひどい船酔いを経験し,えらい目に遭った.船はかなり北へ来たのか甲板へ出ると風が冷たく感じる.ナホトカからは,シベリア鉄道の夜行列車でハバロフスクへ直行の予定.

《ハバロフスク号》






















 
<ソビエト連邦>
5月19日(快晴) モスクワ
 ハバロフスクから広大なシベリア原野の上空を,アエロフロートのイリューシン型ジェットでひとっ飛び,無事モスクワに到着した.ソ連入国以来好天気に恵まれ,今日もまた絶好の観光日和.夜9時頃まで外は明るく,気温は日本とほとんど変わりない.レニングラードホテルに宿泊.この巨大な高層ホテルは20年前に建築されたという.
 
<オーストリア>
5月21日(曇り) ウィーン
 モスクワから空路ウィーンに到着.ドナウ川の水は雪解け水のせいか,茶色に濁っていた.手荷物を調べると,早くも折りたたみ傘が無くなっている.ユースホステルに宿泊し,2〜3日ウィーン市内を見物の予定.
5月23日(晴) グラーツ
 ウィーンのユースでは原則1泊しか出来ないようだ.そこで予定変更して今オーストリア第二の都市,グラーツにいる.エーゲンボルク城,シュロースボルク城を訪れる.明日はザルツブルクへ行く予定.

《シュロースボルク城》


















5月24日(晴) 移動日(グラーツ→ウィーン)
 グラーツからザルツブルク経由で再びウィーンへ.何故かと言うとシェーンブルン宮殿を見落としていたから.今日は一日中鉄道の旅を楽しんだ.鉄道好きにとっては,ただ列車に乗っているだけで,ご機嫌だ.ただし窓際の席に限る.なお,シェーンブルン宮殿は明日見学する.本日はウィーンのユース泊.
5月26日(晴) ザルツブルク
 昨日ウィーンからモーツァルト生誕の地ザルツブルクへ来た.ここでもう一泊してからインスブルクヘ向かう.
5月28日(曇り時々小雨) インスブルク
 西ドイツ,ミュンヘン中央駅で荷物を預けてインスブルクヘやって来た.明日はミュンヘンに引き返し,30日には待望のスイスへ入国予定.
 
<西ドイツ>
5月29日(晴) ミュンヘン
 ホフブロイハウスでビールを飲む.“ホフブロイハウス”とはドイツで最も有名なビアホールで,1920年2月ヒットラーがナチス党結成集会を開いたことでも知られている.昼間でも大勢の人たちがビールを楽しんでいた.飲みたい人はホールの長テーブルで,食事をしたい人は別席のレストラン部へ.HBマークが入った純正ジョッキも購入出来るが,旅行者である私は諦めた.
 酔った勢いで片言のドイツ語を駆使し,隣に座っていた爺さんと色々話をする.「ビールは旨いか?」と聞かれ「旨い!」と答えると「それではもっと飲め!」と言った具合.最後に爺さんが教えてくれた言葉を今でも覚えている.
「酔っぱらちゃった!」はドイツ語で「イッヒ ビン ベトルンケン!(Ich bin betrunken!)」と言うそうな・・・
 
<スイス>
5月31日(雨) チューリッヒ
 旅をより迅速に進めるため,荷物を軽くする.取りあえず不要なスーツ上下とズボン一本を船便で送り返すことにした.
6月2日(雨) ルッツェルン
 スイス入国以来4日になるが,ずっと雨が降り続いている.もし明日も天気が回復しなければ予定変更し,西ドイツフランクフルトへ向かう.

《ルッツェルン湖》


















6月4日(快晴) ツェルマット
ゴルナグラート・モンテローザ登山鉄道で終点ゴルナグラート(3,130m)へ.ここの展望台からマッターホルンとゴルナー氷河を正面に望める.午後からマッターホルンの肩に当たるシュバルツゼー(黒い湖)へ片道約2時間半かけてハイキング.下りは約1時間半.(現在はロープウェイで楽々登頂可)なお,ツェルマットの町中は自動車進入禁止となっている.荷物運搬用の電気自動車と馬車が動いてるのみ.

《クライン・マッターホルン方面》


















6月5日(晴) グリンデルワルド
 スイスアルプス山中のグルンデルワルドという小さな村にいる.

《ユースホステルの部屋から》























6月7日(晴) グリンデルワルド
 ここでもう3日も滞在した.昨日は雨だったが本日は天気が良くなったので,7時12分発の登山電車で一路クライネシャイデックへ.電車を乗り換え,いよいよユングフラウヨッホ(3,454m)へ.往復運賃六千数百円也.

《クライネシャイデック》

















 
<西ドイツ>
6月10日(曇り) マインツ→ケルン
 昨日フランクフルトからマインツへ.マインツではユースホステルではなく,日本でいうビジネスホテルに宿泊した.朝食のパンが旨かった.8:45発のライン川下り観光船に乗り込む.ラインに架かる低い橋桁の下を通過する時,マストは倒れ船のブリッジは下がる仕組みになっている.よく出来ているものだ.大方の観光客はコブレンツで下船した.首都ボン(1999年まで)を右岸に望み,終点ケルンには18時到着.ユースへ直行.
6月12日(雨後曇り) ハンブルク
 横風吹きすさぶ小雨降る中、ハンブルク市内見学.アルスター湖,市庁舎,ビスマルク像など.

《ハンブルク駅》

















 
<デンマーク>
6月14日(晴れ) ヘルシンガー
 昨日ハンブルクからデンマークへ入国.クロンボルク城見学後,ヒラロッドのフレデリスクボルク城へ.この町のマーケットで食料を買い込む.ヨーロッパには,自炊設備を完備したユースホステルがある.米はどこでも売っているので,コッフェルさえ持っていれば飯を炊くのは容易である.
6月15日(曇り後晴) コペンハーゲン
 チボリ公園をまわり市内散策.明日はスウェーデンへ渡り,北欧風景を楽しむ予定.
 
<スウゥーデン>
6月17日 移動日(エーテボリ→ストックホルム)
 昨日,駅からユースまで来るのに1時間もかかった.エーテボリのユースは,夏休み中の小学校をそのまま利用している.つまり教室に2段ベッドを並べているだけ.さて今朝,目が覚めたのが8:30.9:20発のストックホルム行きに乗らなければならない.大急ぎで支度をして電車(130円)に飛び乗り駅へ.ストックホルム14時着.駅で直ちに今夜のナルビク行きを予約.
 
6月18日 移動日(ストックホルム→ナルビク)
 ほぼ満席の1等コンパートメントで一夜を過ごした.ところが列車内を探検中,2等客車に来て唖然!ガラ空きと言うより無人状態.最初は回送車両かと思ったほどだ.早速,荷物を持って2等へ引っ越し.一両貸し切りだ.2等と言ってもリクライニングシート付きのデラックス車両.しかもコンパートメント形式でないので広々している.後にも先にもこんな贅沢な列車の旅をしたことがない.
 鉄鉱石の町キルナを経由して終着駅ナルビク17:40着.ノルウェー北端に位置し,北極圏内にはいるナルビクは,ストックホルムから約21時間の列車の旅を要した.ユースは団体が宿泊して満室だったので,あっけなく断られる.そこで近くのキャンプ場で野宿となった.ポンチョとビニールシート及び寝袋を持っていたので,応急の寝場所を何とか確保.ここは白夜で有名だ.野宿のお陰で真夜中?の美しい夕陽を存分に堪能した.
 
<ノルウェー>
6月19日(晴) ナルビク
 日中はゴンドラで山に登り,眼前に広がるフィヨルドを見ながらのんびり過ごす.本日もユースに宿泊出来ないし,他に巡る観光スポットも無いようなので,15:10発の寝台特急に乗る.寝台料金を奮発したのは野宿と白夜のため,昨夜さっぱり眠れなかったからだ.再びストックホルムへ引き返し,ノルウェー再入国の予定でいる.

《真夜中の太陽》                   《ナルビクのスキー場》


















6月22日(晴) フラム→ベルゲン
 オーランド・ネーロイフィヨルド最奥に位置する,小さな美しい港フラム(Flam)でフェリーボートに乗り替える.このフィヨルドは,世界最長のソグネフィヨルドの支流である.鏡のような水面をゆったりと進む.船上から眺めるフィヨルドは「素晴らしい!」の一言.余りの大自然の驚異に感動し,無意識に思わず声が出てしまう.グドヴァンゲン(Gudvangen)で下船,バスでボス(Voss)へ.ボスから鉄道でベルゲンへ.

《フラムの港》

















 
<デンマーク>
6月25日(晴) オルフス
 オルフス市庁舎とデンマーク版「明治村」を見学.
 
<オランダ>
6月28日(晴) ロッテルダム
 アムステルダムへ.ユースが満員なのでロッテルダムのSLEEP-INへ宿泊.コペンハーゲンにて今まで撮影したフィルムを発送した.家からの小包は昨日(27日)ドイツ・ハンブルク中央郵便局で受け取った.
内容物:リバーサルフィルム,食材(ボンカレー,海苔,梅干し等)
またしても荷物が随分と重くなった.
6月30日(曇り時々小雨) ドルドレヒト
 午前中ハーレム市内見学.今にも雨が降り出しそうだが,午後から風車見学にツァーンダムへ.ユースに戻ってから絵はがきを書く.オランダから日本へのエアーメールはハガキ一枚30円.今まで廻ったどの国よりも一番安い.しかしながら絵はがきは結構高いので,結局通信費は大して変わらない.オランダは貴金属品も割と安いようだ.
 
<ベルギー>
7月1日(晴) ブリュッセル
 アントワープ市内見学後,ブリュッセルへ.ビールを飲みに行ったら,隣の若者が3杯奢ってくれた.今まで観光した中で最も印象に残っているのは,ノルウェーのフィヨルドとスイスアルプスだ.その景観は今も眼底に焼き付いている.明日はワーテルローを訪ねる予定.
 
<フランス>
7月4日(晴) パリ
 ルクセンブルクよりパリ到着.ユースはパリ郊外にあり,メトロ(地下鉄)と徒歩で2時間もかかった.
7月6日(晴) パリ
 パリに来てもう3日になる.市内観光は一通り済ましたし,ルーブル美術館も見学したので,明日は夜行でブリュターニュ半島先端の町,ブレストへ向かう.パリより撮影済みフィルム発送.

《エッフェル塔》


















7月8日(晴) サン・マロ
 ブレストからサン・マロへ移動.先にサン・マロ城塞を見学し,夕方ユースヘ.ここのユースは,日本語を含む数ヵ国語で歓迎の挨拶があった.(この挨拶文は英文の原稿を私が適当に日本語に訳し,アルファベットで表記したもので,チェックイン時に作成を依頼された.)さらに珍しくバス(風呂)付きであったことも付け加えておく.(通常はシャワー設備があるのみで,湯が出ないところもある)
7月9日(晴) サン・マロ
 再び城塞を見学.潮が引いたので島にある砦へ歩いて渡る.昼からモン・サン・ミッシェルへ行こうと思ったが,バス乗り場がどうにも分からない.諦めてユースに戻り,今後1週間の計画を練る.
7月11日(晴) リョン→マルセイユ
 昨日,サン・マロからサン・ナザール,ル・クロワシック,ナンテスの各駅で下車.足早に市内観光を済ませ,ナンテスから夜行でリョンへやって来た.リョン11:52発でマルセイユへ.
 マルセイユの港を見学後,丘の上に建つノートルダム寺院を見学.風が強くて吹き飛ばされそうだった.この強風をミストラルと呼ぶのか?それともシロッコか?(時期的から判断すればシロッコだろう)ユースに泊まる予定を変更して19:00発のパリ行夜行列車に乗り込む.
 
<西ドイツ>
7月12日(晴) ケルン
 パリ北駅発7:33のTEE(ヨーロッパ国際特急)でケルンへ.ケルン中央駅12:28着.駅で荷物を預け,市内をぶらつく.デパートをブラブラしていたら,偶然,傘売り場の前に来た.ウィーンで傘を盗まれて以来,ビニール風呂敷を傘代わりにしていた.そこで傘を買おうかと思い立ち,店に入った.するとひとつの傘に目が止まった.クニルプス(Knirps)というメーカーの3段式折りたたみ傘で,たたむと丸でなく平になり,非常にコンパクト且つグッドデザイン.「さすがドイツ製!」とうならせる優れものだ.少々高価(約六千円ぐらい)であるが,店員の薦めもあり気に入ったので購入することにした.
 しかしながらこの傘は,以降ほとんど使用することはなかった.もったいなくて使えず,少々の雨なら濡れていたからだ.しかも二度と盗られることのないよう,貴重品のごとくリュックの一番底に仕舞っておいたから,なおさらだ.
7月13日(晴) ケルン
ケルンは2回目.来た理由は以下の通り.
@フランス地中海沿岸のマルセイユ迄行ったが,南欧地方の暑さに参った.
A2回目の不要品の送り返し.
Bケルンは交通の要衝の地でありアクセスが良い.
C駅からユースが近い.それに町のシンボル,高さ157mの「ケルン大聖堂」が目印となり迷うことがない.
D嬉しいことに私の話すドイツ語でも充分に通じるので,ホッとする.(第二外国語として2年間学校で学んだ程度だが,私の発音でも大丈夫)
そこで避暑と荷物の軽減整理を兼ね,一晩と半日かけてはるばるやって来たのがその理由.

 ヨーロッパで不自由することのひとつに,買い物がある.土曜と日曜は,市内の店舗は一斉に店を閉める.ところが駅にある店は年中無休.ドイツの主要な駅(Hauptbahnhof)には,ちょっとしたショッピングセンターがある.郵便局,両替所は勿論のこと,およそ旅行者に必要なものとか用件は,ほとんど駅で済ませることが出来る.しかも割と遅くまで営業しているので何かと便利.ケルン中央駅も例外ではない.

 午前中は中央駅構内の理髪店で散髪をする.髪を切るだけで七百円也.駅構内の映画館へも寄ってみる.アメリカ映画であるがドイツ語に吹き替えていた.それでも時間が余ったので,すぐ隣のデュッセルドルフへ行ってみる.日本企業の多くが,この町にヨーロッパ駐在事務所を構えている.2時間ほど市内をぶらつく.
 一日たっぷり休養を取ったので元気回復.さぁ,いよいよスペインを目指して旅立つ時が来た. ケルン16:50発のTEEでパリへ.



《パリ地下鉄での出来事》

7月13日 パリ
 パリ北駅21:46着.パリには七つもの駅があり,目的地に応じてそれぞれ乗車駅が異なる.スペイン方面はオステルリッツ駅発であるが,先にシェルブールを訪れることにした.シェルブール方面はサン・ラザール駅へ向かわなければならない.駅相互間の移動は,網の目ようにはりめぐらしたメトロ(METRO),すなわち地下鉄を利用することになる.そこで北駅からサン・ラザール駅まで地下鉄に乗った.
 パリ地下鉄は他の路線とホームの共有はないので,乗り換え時は必ず一旦外に出るか又は連絡用の地下道を歩いて行かなければならない.大都市パリとは言え,この時間帯になると人通りはめっきり少なくなっていた.パリ地下鉄の歴史は古い.1号線はパリ万博(1900年)の時,開業したと云う.
 その古びた長く狭く薄暗い地下道を,私はリュックを背負って黙々と歩いていた.その時のこと,向こうの曲がり角に人が立っている.腰を屈め杖を突いていたから,すぐに老婆だと直感した.黒っぽい三角頭巾を深く被り顔は見えない.まるで魔法使いのようなカッコをして奇妙だなと思いながら,傍らを足早に通り過ぎようとした.何かしらイヤな予感がするので,極力その姿を見ないようにして近づいた.真ん前を通りかかる丁度その時,老婆の頭が斜め横にじわっともたげた.自分の意志とは関係なく,私の目はその老婆の顔に自然に惹きつけられた.とその瞬間,まるで背中に水を浴びせられたようにゾクッとした.その顔は正に魔法使いそのもの!目つき鋭く,鼻はとんがり,しわくちゃだらけで青白く,異様に醜い.恐怖のあまり,声(悲鳴)も出ない.心臓が止まる思いでその場に立ちすくみ,凝視していた.フッと我に返り,ほうほうの体でその場を立ち去った.

 後日,ユースで出会った数人の日本人旅行者にこの話をした.するとその中のひとりが,自分も見たと証言した.とすればあの「魔法使い」は,夜な夜なパリの地下道に姿を現すのか?あれは一体何だったのか?「ノートル・ダムのせむし男」「オペラ座の怪人」など奇怪な話がパリにはあるが,今時,魔法使いとか亡霊が居るはずもないし信じ難い.今思えば,お化け屋敷のように誰かがいたずらでやっていたのだろう.あるいはこうも考えられる.演劇志望の若者が,役作りのため練習していた・・・だとすれば,真に迫ったあの演技は文句なくバッチリ“合格”だ. 



 
<フランス>
7月14日(晴) シェルブール→パリ
 パリ・サン・ラザール駅0:17発のシェルブール行き夜行列車に乗り込んだ.シェルブール5:45着.早朝であるが直ちに観光開始!この時期,ヨーロッパは日が長いので,夕刻8〜9時頃まで観光することが可能だ.一日の行動時間は,日本の1.5倍はあると思う.そんな訳で小さな町なら一日で2〜3ヶ所をたっぷり観光出来る.このようにして時間を稼ぎ,且つ宿泊費を浮かすため,努めて夜行列車を利用するようにした.
 シェルブール11:02発のパリ行きに乗車.何故このような行動を取ったのか?これには訳がある.7月14日と言えば・・・そう,パリ祭の日だ.もっとも“パリ祭”と呼ぶのは日本だけで,フランスでは“7月14日祭(Le Quatorze Juillet)”という.1789年バスチーユ牢獄を襲撃し,民衆を解放した革命記念日である.どうしてもパリ祭当日の街を見たかったから,スペイン行きは一日延期した.
 パレードはすでに終わっていたが,フランス国旗に飾られたコンコルド広場から凱旋門へと続くシャンゼリゼ大通りを歩き,エッフェル塔を再び見学.凱旋門のアーチには,巨大なフランス国旗が掲げられていた.
 パリ・オステルリッツ駅発22:50発のスペイン行き連絡列車に乗車.
 
<スペイン>
7月15日(晴) サン・セバスチャン
 今朝パリよりスペインに入国,フランス国境に近いサン・セバスチャンで途中下車.しばらく市内をうろつき,コンチャ海岸に出る.大勢の海水浴客で賑わっている.その海岸から海に突き出るように山がそびえている.暇なので片道2時間かけて登ってみた.標高530m.山頂には砦らしきものがある程度で,別に大したことない.22:33発でマドリードへ.
7月19日(晴) マドリード
 ノミの市で革製水筒を購入.家からの手紙はユースホステルで受け取る.今後の予定はセビリア,グラナダを廻り,再びマドリードに戻り,23日頃ポルトガルへ入国予定.
7月21日(晴) グラナダ
 ここまで南下すると,さすがに猛暑だ.スペインは物価が安いので,暑さよけの帽子とサンダルを買った.日本から履いていった靴は,底が擦り切れたので捨てた.またアルミの水筒は,一度ワインを入れてから内部に斑点が出来たので,アフリカへ行くという日本人に進呈した.今はノミの市で買った革製の水筒を愛用している.これだとワインを入れてもOK.また列車での移動時は,必ずジュース類を持参.コカ・コーラやファンタの一リットル瓶入りが約百円.これはマドリッド到着早々,水道水を飲んで腹を下し,下痢気味となったからだ.スペイン入国までずっと今まで,ユースとか駅の水道水を飲んでいたが,大丈夫だったのに.とにかくスペインでは生水を一切飲まないことにした.
 スペイン滞在中は,バルを毎日のように利用した.“バル(BAR)”とは,日本の居酒屋を簡略化したような,こぢんまりしたスタンド形式のカフェ(無論コーヒーも飲める).どこの町に行ってもあるし,第一安くて早くて旨い.40℃を超える暑い昼下がり,カウンターの前に陣取り,外をぼんやり眺めながら,冷えた生ビールを飲むのはまさに天国!ビールを注文すれば“つきだし”も付いてくる.おつまみ(タバスという)は豊富で,食材は主に魚介類が多い.イカリング,エビ,タラ,ムール貝,イワシなどの小魚の他ポテトサラダ,オリーブの実など日本人の口に合う.

《アンダルシア地方》

















 
<ポルトガル>
7月24日(晴) リスボン
 昨日の朝,リスボンに到着.本日は郊外にあるシントラの古城ペーナ城へ.リスボン駅21:30発の夜行でいったんマドリッドへ戻る.
 
<スペイン>
7月26日(晴) マドリード→バルセロナ
 4日前に予約しておいた14:00発バルセロナ行特急列車「タルゴ」に乗車.20:14バルセロナ・テルミニ駅到着.ペンションに泊まる.なお,タルゴは人気があるのか,予約を取らないとなかなか乗れない.
7月27日(晴) バルセロナ(フランスへ)
 バルセロナからピレネー山中にある小国アンドラへ行こうと思い立ち,14:25発のローカル列車に乗り込む.この列車はフランス側国境(La Tour de Calol)でツールーズ行列車に連絡している.私は国境で下車し,バスを利用してアンドラへ入国するつもりでいた.ところが国境での検問の際,尋問を受けた.どうやら日本赤軍の一味と疑われたようだ.係官に付き添われ,駅の一室へ連行された.あ〜,我が運命は如何に!?
 さて,この後の顛末は?“事件”の一部始終は,こちらをクリックして下さい.
 
<フランス>
7月28日(晴) ル・マン
 今朝7:15にツールーズからパリ・オステルリッツ駅に無事到着.撮影済みフィルム5本を送る.用件を済まし,パリ・モンパルナス駅発10:53のル・マン行きに乗る.さて,ル・マンに着いたのはいいが,どうやってサーキットへ行けばいいのか皆目見当が付かない.そこでいつもの奥の手を使うことにした.
 まず駅前又は付近の店先で,ターゲットの入っている絵はがきを一枚買う.そして店の人に聞く.途中分からなければ,道行く人にもその都度絵はがきを見せ,教えを乞う.その時は日本語でも英語でもいいから,とにかく口に出して喋ることが肝心.旅を続けていると行動がだんだんと大胆になる傾向があるようだ.ともあれ,こうして今回も容易に目的のバス乗り場を見付けられた.サーキットはかなり郊外にあった.通用門から勝手に入ったので,入場料は無料.何台かのフォーミュラーカーが,練習走行を繰り返していた.
 18:15発の列車でパリまで戻り,再びパリ・オステルリッツ駅に移動.そして23:55発アルカション(Arcachon)行き列車に乗り込む.アルカションは,ボルドーよりさらに約60キロ先のビスケー湾に面する港町だ.

《アルカション》


















7月30日(晴) ボルドー
 午前中ボルドー市内見学.午後からラ・ロシェル,ロシュホールへも足を延ばす.ボルドーのユースでは2泊した.
8月1日(雨) モン・サン・ミッシェル
 パリ・モンパルナス駅からサン・マロへ早朝5:45着.前回見逃したモン・サン・ミッシェルを訪れるべく再びサン・マロへやって来た.サン・マロ駅で地方線に乗り換え,ドル(Dol)まで引き返す.そこからバスでポントルソン(Pontorson)へ.再度バスを乗り換え,やっと目的のル・モン・サン・ミッシェル(Le Mont St Mischel)到着.
モン・サン・ミッシェルとは,岩山にそびえ立つ要塞のような修道院.陸から数キロ,サン・マロ湾の海上にある.この間を道路兼堤防が繋いでいる.この地域は潮の干満が極めて大きく,当日はバス停の際まで波が迫っていた.しかもあいにくの悪天候.全身びしょぬれとなり,見物もそこそこにポントルソンへ引き返す.レンヌで途中下車し市内散策.16:33発でパリへ戻る.シャモニーへ行く予定であったが満員のため断念.そこでパリ北駅へ移動し,ケルン行きの夜行に乗る.



《ここでフランスの鉄道についてひとこと》

 フランス国鉄(SNCF)の列車は,めったやたらスピードを出す.走行音がまるで異なる!『ガタン,ゴトン』ではなく『カラン,コロン』とアップテンポ気味のリズミカルな音と共に『グン,グ〜ン(実際そんな音が聞こえる)』と引っ張られるような小気味の良い加速感を覚える.国土が広い(日本の約1.5倍)割には険しい山岳地帯がほとんど無く,緩やかな丘陵地帯が大半を占めているのが要因と思われる.何よりもやはりフランス人は,スピード好きな国民なのだろう.コンコルド,TGV,ル・マン,パリ・ダカラリーがそれを物語っている.
 主要路線はパリを中心に放射状に各地方都市へ延びている.そのため他の地方都市へ行くには,横移動するより一旦パリへ戻り,パリから目的の都市へ行った方が効率がよい.本数も多く夜行便を利用すれば,宿泊費は浮くし時間の節約にもなり一石二鳥.しかも大抵の列車は空いているので,ゆったり熟睡出来る.時には列車内の洗面で洗濯し,コンパートメント内に干すことも可能だ.到着する頃には程よく乾いている.一方余談であるが,スペインとイタリアの列車は,よく遅れるし常に混み合っている.
 フランスでは頻繁に列車を乗り換えたり,乗り継いだりするので,必要に迫られフランス国鉄の時刻表を購入した.全線もれなくカバーされているのでかなり分厚く,持ち歩くには重すぎる.軽くするため主要な幹線部分だけを残し,ローカル線などの不要な部分は破り捨てた.慣れてくれば,フランスの時刻表も結構見やすいものだ.
 車内での食事は,もっぱらフランスパンとワイン.フランスパンは元々堅いので,鞄に入れて携帯するには至極便利.またワインはどこでも入手出来るし,何をさておき安いのがいい.しかもフランスパンとワインは相性抜群!パンをかじりながらワインを飲めば,もう何もいらないぐらい.また,時たま駅で販売している“駅弁”を買った.パン,ワイン,ソーセージの類などを紙袋に詰めているが,開けるまで何が入っているか分からないところが楽しみであった.



<西ドイツ>
8月2日(晴) ケルン
 7時過ぎにケルン到着.もう三度目の訪問となる.スペインで買い込んだ土産物がかさばるので小包にして発送.いつものように船便で.その後ボン市内を見学の後,フランクフルトへ.
8月3日(晴後曇り) フランクフルト→フュッセン
 8:00発のヨーロッパバスに乗車.このバスは南ドイツの田園地帯に点在する中世そのままの古い町々を訪ねながら,ノイシュヴァンシュタイン城のあるフュッセンまで走る.ビュルツブルク,ローテンブルク,ディンケルスビュール,ネルトリンゲンなどを経由.このうちビュルツブルクからフュッセンまでの全長約350キロを,“ロマンチック街道”という.夕刻,小雨煙る森と湖そしてオーストリアとの国境の町でもあるフュッセン到着.ユース泊.
8月5日(晴) ミュンヘン
 フュッセンからミラノへの道中,ミュンヘンに立ち寄った.目的はただひとつ“ホフブロイハウス”.ビールもさることながら,本場のソーセージをもう一度食べたかったからだ.恐らく今回が最後の訪問となるので,少々豪勢にレストラン部で飲むことにした.

 夕刻,カラクリ時計で有名な市庁舎前のマリエン広場にて,ひとりの日本人を見掛けた.ほろ酔い気分で,ヨタヨタしながらミュンヘン駅方面へ向かって行ったとさ・・・
 
<イタリア>
8月6日(晴) ベニス
 ミラノを経由して夕刻ベニスへ到着.ユースは本島ではなく,対岸のジュデッカ島にある.そこで駅前から海上バスに乗って,はるばるやって来た.ところが満員で泊まれない.既に陽はとっぷり暮れようとしている.どうしたものかと迷ったが,駅の待合室で一夜を明かすことにする.海上バス直行便で駅へ戻っても時間的にまだ早すぎるので,最初の乗降場である教会前で下船,夜のベニス市街を縦断することにした.暗い迷路のような狭い路地を迷いながらも黙々と歩く.どこからともなく聞こえてくるイタリア民謡(カンツォーネ)が何とも郷愁を誘う.1時間以上歩いたろうか.どうにかベニス・サンタルチア駅まで戻ることが出来た.一等のユーレイルパスを持っているので,ファーストクラス用の待合室へ.予想通り空いており,長いすに横になって仮眠した.

《ベニス・サンタルチア駅》


















8月9日(晴) ローマ
 昨日,フィレンチェからローマへやって来た.ローマ中央郵便局にて両親からの手紙受領.同時にフィルム発送.
8月12日(晴) シチリア島パレルモ
 イタリアもまたスペインと同等かそれ以上の暑さだ.早くこの酷暑を脱出してスイスへ行きたいものだ.イタリアは列車がひどく混雑し,出発1〜2時間前にプラットホームで待っていなければ,乗れないことがある.
8月13日(晴) ナポリ
 ナポリから有名な「青の洞窟」のあるカプリ島へ渡った.連絡船で1時間45分.非常に風光明媚な島で,行った甲斐があった.

《カプリ島》                 《ナポリ・サンタルチア門》























8月14日(晴) ナポリ
 ポンペイ行きの列車について尋ねようと,ナポリ中央駅の案内所へ立ち寄った.英語,フランス語,ドイツ語と書いてあったので,英語で質問してみた.すると係員はすぐ日本人と見て取ったのか「ポンペイへは××番線から急行で15分です。」と流暢な日本語で答えてくれた.さすが観光立国イタリアだけのことはある!と大いに感服致した.ポンペイ遺跡巡りはとても暑く,歩き疲れた.イタリアでの滞在はナポリが最後となる.
 
<スイス>
8月16日(雨) チューリッヒ
 ミラノ発の夜行便で今朝6:37,チューリッヒ駅着.山岳鉄道に乗るためクール(chur)へ.濃霧の中,しばし山岳鉄道の旅を楽しんでいた.ところが,電車はほぼ中間地点のアンデルマット(Andermatt)で長時間停車.雨による土砂崩れのためか,この先ブリグ(Brig)間まで運転中止となったらしい.諦めて一旦ルッチェルンまで戻ることにする.ルッチェルン→ベルン→ローザンヌ→モントルーへ.モントルー・レマン湖畔のション城見学後,シャモニーへ行くためモントルー(Territet)ユース泊.

《山岳鉄道》

















 
8月17日 移動日
 列車に乗り遅れ,またしてもシャモニーへ行けなくなった.急きょ,ジュネーブ14:20発パリ行きに乗り込む.パリ・リョン駅20:47着.当初直ちに取って返し,21:40発か23:46発のシャモニー・モンブラン行きに乗り込むつもりでいたが,疲れていたためか今ひとつ気力が失せ,駅近くの安ホテルに泊まることにした.
 
<オランダ>
8月19日(晴) アムステルダム
 パリ北駅発の夜行便で今朝9:47,アムステルダムへ到着.午前中市内見学.昼からキンデルダイクの風車群を見学.
 
<ベルギー>
8月20日(晴) ブルージェ
 ロッテルダムからベルギーのオーステンデへ.海岸まで歩き,帰りに果物を買う.14:51でブルージェへ.この街は“水の都”そして“中世以来時を止めた街”として有名.
 
<フランス>
8月22日(晴) ダンケルク
 ドーバー海峡に面した町ダンケルクで一日のんびりした.コレラの予防接種は,18日にパリ・モンパルナス駅のエール・フランスで済ました.明日は隣町のカレーからいよいよイギリスへ渡る.主にスコットランド地方を見て廻る予定でいる.

《ダンケルクの海岸》

















 
(2006年6月記す)

−第二部へ続く−



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