徒然つれづれひとりごと



《#13.ホームページ作成奮闘記 》
(総文字数 約5,600文字)
 私がインターネットを始めたのは,2001年2月であった.どちらかと言うと,遅かった方に相当するかも知れない.その時より漠然としながらも,次のような願望を抱いていた.
『いつかは自分のホームページを開設したい.実現出来たらいいなぁ・・・』
しかしながらホームページとはどのように作成するのか,一体どんな内容を盛り込むのか,如何にしてインターネットにアップ・ロードするのか,全てについてサッパリ見当も及ばなかった.
 
 作成きっかけとなった発端は,父の死後(1996年6月没)数年経って見つけた戦争手記にあった.手記は古びた大学ノート4冊に記されていた.中国・朝鮮戦線での体験など思い出したことを,その都度メモ的に書き込んでいたようだ.この遺稿をそのまま眠らせて置くのは忍びないし,父に対して申し訳が立たない.やはり何らかの形で公開すべきでなかろうか,と思い立った.この時は自費出版をしようと考えていた.自費出版するにせよ,バラバラに書かれている文章をまとめなければならない.年代順に並び替えるのは勿論,関連した事柄を筋書きに沿ってまとめ,文体なども修正する必要がある.そこで後で自在に編集出来るよう,まず文章をそのままワープロ化することから着手した.
 
 この作業を年明けた 2002年1月から本格的に取り掛かった.当然,本業の合間をぬってやらなければならない.1日にこなせる作業量など,たかがしれている.しかも文字が擦れて消えかけとか,用紙が擦り切れているとか,文字が判読出来ないとかの箇所が随所に見受けられる.それら諸問題をひとつひとつクリアしながら,根気のいる作業となった.そんな訳で予想外に手間取り,一応の仕上がりをみたのは桜咲く4月初旬になっていた.
 
 しかしこれにて 100%完成,めでたしめでたし!とはいかない.まず,聞き慣れない言葉とか軍隊用語の解説を必要とする.また当時起こった事件の記述内容に誤りがないか,地名の読みなど合っているかどうか,ある程度の"裏"を取らなければならない.さらに新生中国の誕生に伴い,いくつかの省あるいは都市の名称が変更されている.判明した地名については,現在の呼び名を書き加えるよう配慮すべきであろう.そこで文化の森県立図書館で調べることにした.足繁く通い,その都度関連書物を数冊借用.貸出禁止の地図などは,図書館でコピーをとって対処した.これら一連の作業を終えたのは,約3ヶ月の後.早くも6月が終わろうとしていた.奇しくも6月27日は父の命日に当たる.
 
 このようにして父の手記「運命の十字路〜ある兵士の回想録〜」は,どうにか完成にこぎつけた.前述したように当初は自費出版を目指していた.ところが出来上がってみると,予想に反して少々文字数が足りないようだ.これでは立派な本に仕上がらない.結論としてホームページ(以下HP)上で公開することを決意.本だと読む人は限られるが,HPだと万人に読んでもらえる・・・かも知れない.一方,逆に問題もあった.HPで公開するには,いささか長編過ぎる.あれやこれやとしばらくの間悩んだ.そんなある日,突然パッ!とひらめいた.(←少々大げさ)
『あっそうだ!二部構成にすりゃいいのだ!』
 
 さて,このようにしてHPで公開することは決まったが,これだけではどうにも役不足.もっと他に載せるものはないだろうか?過去,ヒマにあかして山に関する紀行文をいろいろと書き留めていた.幸いそれらはパソコンワープロで記述してあり,フロッピーディスク(以下FD)に保存してあった.パソコンワープロデータならHTML形式(※1)に変換可能.それらデータは,元々5インチのFDに記録してあったが,数年前,3台目のパソコンとなる NEC PC-9801DA2 と5インチFDを捨てる際,3.5インチFDに移し替えていた."枯れ木も山の賑わい"とばかりに紀行文も掲載決定!
(※1.HTML:Hyper Text Markup Language の略.ウェブページを記述するための言語)
 
 突然に話は変わるが,私は古いものを捨てきれない.もうほとんど使う見込みのない道具・機器類でも大事に取って置く習性がある.さすがにパソコンは置き場所が無くなったので泣く泣く捨てたが・・・パソコンのデータも同じことで,後生大事にすべて保存している.思い起こせば 1985年9月,虎の子の"財形貯蓄"をはたいて発売されたばかりの新鋭マシン NEC PC-9801VF2 を購入した.この思い出深い初代パソコンで作成したワープロ文・住所録・ビデオなどのデータは,その都度使用ソフトに応じて何回かコンバート(変換)を重ねたが,現在でも引き続き利用している.
 
 そんな訳でFDにストックしていた山の紀行文「徳島の山」「黒部紀行」「剱岳登山」も多少の修正は必要だったが,比較的容易に加えることが出来た.同様に同窓会誌投稿文として作成していたスキーのエッセイ「我がスキー人生」も追加.なお余談であるが,山の紀行文は「剱岳登山」を除き,主に2台目の愛機であった PC-9801RA2 で,「剱岳登山」は4台目 PC-9821V20,スキーエッセイは5台目 EPSON EDi Cube TC515 で作成.なお現在は Dell Dimension 5150C を愛用.
 
 話を元に戻そう.上記の他に「南米の旅」もリリースすることにした.残念なことに,こちらはパソコンでなくワープロ機"ピコワード" brother picoword で作成していたので,保存していた原稿を見ながらワープロ化した.話はまたも逸れるが,このピコワードはワープロと名は付いていても保存能力のない,言わば和文タイプライターのような代物.しかしながら,当時(1984年)としては極めて画期的な製品であった.何が画期的かと言うと,本体はノートパソコンサイズで持ち運び自由.しかもプリンター一体型で約9万円とリーズナブル.ともかく,キー操作で漢字に一発変換可.これだけで感動ものであった.あの頃の一般的なワープロは,最低50万円以上だったと記憶する.後のポータブルワープロ機の元祖でもあり,必要と思われる要素を兼ね備えていた.

【 brother picoword -1984- 】






















 
 最初に作業を初めてからここまで仕上げるのに,早9ヶ月が過ぎようとしていた.これで一応HPに載せる題材は出揃った.取りあえずこの内容でスタートし,後は追い追い増やして行けばよい.さぁ,次はHP作成ソフトが必要となる.HP作成ソフトと言えば IBM のホームページビルダーが代表的だが,何分にも価格が高すぎる.しかも本当にHPが作れるのかどうか,自分としても自信が無かった.お金をかけずにやるには,フリーソフトを利用するのが一番.早速インターネットで探すことにした.
 
 「フリーソフト」と入力して検索を掛けると,"ベクター" http://www.vector.co.jp/ というサイトが最初にヒットした.このサイトから3つほどHTML作成ソフトをダウンロード.パソコンにインストールし,実際に操作,使用感を体験してみた.そのうちのひとつが使い易そうに思えたので,迷うことなくそれ"Superじじ"に決定.なお,このソフトはフリーではなくシェアウェア(※2)なので,継続して利用するには \1,800- を支払う必要がある.変なソフト名であるが案外使い勝手がいいので,現在でも"Super爺"を使用している.いずれはホームページビルダーにグレードアップしたいと思っているが・・・
(※2.シェアウェア:試しに使ってみて気に入ったら購入する形態のソフト)
 
 次なるステップとして二つの問題点が立ちはだかる.
@ウェブデザインをどうするか?
Aサイトの名称をどうするか?
1番目については"Super爺"にヒナ型があったので,それを参考とすることにした.凝ったものはまだ無理なので,取りあえず簡潔ながら独自のものを作成.2番目のサイト名称には大いに悩んだ.結局,自分の職業である建築設備設計事務所「AUS設計室」の名とすることにした.これだと事務所の宣伝?も兼ねて一石二鳥.そうなると体裁上事務所の紹介も必要となるので,紹介文も一応作成.コンテンツはAUS設計室が提供する形とし,問題は一挙解決へ.
 
 この時既に12月に入っていた.年賀状にてHP開設の旨を知らせる積もりでいたので気はあせるばかり.何としても今年中にアップしなければならない.ところが"Super爺"の仮想ウェブプラウザを試みると,リンク切れがやたら目立つ.この修正にまたも思わぬ時間を費やす.今ならそんな処理作業は何でも無いことだが,とにかくプログラミング言語のようなHTMLファイルの書式など一切理解して居らず,ちんぷんかんぷん手探り状態であった.
 
 最後の関門としてインターネットへ作成ファイルを送信する,重要な作業が残っている.どうすればいいのか?まずファイル名を変更しなければならない.インターネットではファイル名に日本語は使えないとある.そこですべてローマ字(英数半角文字)に訂正し,リンク名もねんごろに修正.Super爺にファイル送信機能があるので設定,そしてプロバイダ側へ送信.ところが何故かうまく行かない.設定を変えて試みるが失敗.プリントアウトした取説書を何回も読み直し,何回設定し直してもダメ.これは困ったことになった.インターネットで調べてみると,通常,プロバイダ側のフォルダ名は public_html でホームページURL(※3)のデフォルトHTMLは index.html と決められている場合(※4)が多いようだ.そこで再々設定してみるがやはりアウト!
(※3.URL:Uniform Resource Locator.インターネット上のリソースのロケーションを指し示す記述様式→ホームページ・アドレス)
(※4.プロバイダ:Internet Service Provider → ISP によって異なるので,各ISPホームページで利用方法を要確認)
 
 仕事も手につかず悶々としていたその時,ハッ!と気が付いた.HTMLファイル送信の専用ソフトがあることを思い出した.ベクターでHTML作成ソフトを探していた時,目に付いていた.その時は気にもかけずにいたが,今まさにそのソフトを必要とする.善は急げ!とばかりベクターのライブラリを開く.上位人気のFTP(※5)ソフト,つまりファイル送受信ソフトを二つばかりダウンロード.前回同様にパソコンにインストールし,どちらが使いよいか比較検討.このうち"ミラーサイト(MirrorSite)"をチョイスすることにした.手動型に切り換えればエクスプローラのようにグラフィック表示し,ホストコンピュータ(プロバイダ側)とクライアント(自分のパソコン側)のフォルダを上下にそれぞれ表示.設定・操作も比較的簡単.これは思った以上に優れもの!ちなみにこのソフトもシェアウェア(\1,995-)である.
(※5.FTP:File Transfer Protocol.ネットワーク上のクライアントとホストコンピュータとの間でファイル転送を行うためのプロトコル<規約,約束事>)
 
 このようにしてぎりぎりの12月30日にアップロードを完了した.結果としてウェブデザイン関係だけで,3ヶ月近くを費やしたことになる.苦労した甲斐あって,この頃になると基本的なHTMLファイルの書式,つまり"言語"がある程度理解出来るようになった.またホームページとは如何なるものか,すなわち仕組みのようなものも少々分かってきた.ことさら難しいと思われることでも,自分の手で一度やり遂げれば,後は至って簡単.万事世の中そんなもんじゃないの?
 
 ホームページ関連すべてのファイルは,サブとして使用しているノートパソコン SHARP PC-BJ150M でまとめ,作成した.仕事と並行しながら作業を進めていたこともあり,メーンパソコンとノートパソコンを常に立ち上げておいた.こうすることにより,思い付いたらどちらでも即使用出来きたからだ.なお,ノートパソコンは現在(2007.12.)でも現役で活躍しているが,HP管理及び作成についてはメーンパソコン Dell へ移管している.
 
 ホームページとは,一度作ってしまえば「ハイ!それでおしまい」とはいかない.メンテナンスは絶えず欠かせない.デザイン,文章その他気になる箇所及び誤字・脱字などは,常に修正を繰り返さなければならない.また後から写真や図などの画像,それに文言を付け加えることもある.最も重要なのは新たな企画をアップすることだが,これが最もやっかいで頭を悩ますところ.この「徒然ひとりごと」のように,シリーズとして連載するのは比較的容易な方だ.と言いたいところだが,最近ネタに事欠き難儀することも多々ある.勿論,仕事の関係とかで都合が付かない時は,ほったらかしとなるが・・・ところが,そのような心配など無用となりつつある.
 
 それは今年6月の建築基準法改悪?!(2007.6.20)にある.耐震偽装を防ぐため建築確認申請の厳格化をうたっているが,その内容たるや理不尽の極みで常識はずれとしか思えない.特定行政庁あるいは指定確認検査機関が行う確認申請業務が,異常なまでの審査項目の増加により,停滞している.早い話が確認申請をクリアするのは今や至難の業で,待てど暮らせど下ろしてくれない状況にある.その影響は甚大で,およそ関係ないと思われる一般住宅にまで及ぶ.これはアメリカの景気を悪化させているサブプライムローンにも匹敵する大きな問題だ.国土交通省つまり政府は,建築業界を抹殺しようとしているのか?そんな訳で原油高騰による先行き不透明感も加わり,このところ建築業界は大いに冷え込み,仕事は激減.よって現在,ヒマは売るほどいくらでもある.その一方困ったことに,ヒマな時ほどあまり創作意欲が湧いて来ない.人間,ある程度忙しい方がベストコンディションと言えそうだ,などと呑気なことを言っている場合ではない.この調子でどんどん仕事が無くなれば,我がHPの継続維持も難しくなる.そんな危機感に襲われる今日この頃.いやはや,とんだ御時世へと迷い込んだものだ.ともかく確認申請業務が円滑に機能するよう,早急なる見直しを断固要求する!
 
 これまでにHPアドレス (url) は2回変更した.1回目はプロバイダ側の都合であるが,2回目(2004.10)は独自ドメイン【 aus-ogawa 】取得による変更だ.この時HP容量もメーン 100MB(メガバイト)と増量した.既存のサブ 50MB を含めると 150MB となる.更にSTNetのPikaraサービス(光)に加入しているので,その分の 20MB を加えるとトータル 170MB となる.個人のHPなら十分すぎる容量かも知れない.しかし私のHPの場合,画像を取り分け多用している.既に全体で 98MB(2007.12現在)を使用するに至っている.そのため写真集の一部をサブに移す分散化を図り,相互にリンクを架けている.全画面表示の「スキー編」「今月の写真 Back.No.」「マイお宝大集合!」がそれである.今後とも写真はどんどんアップする積もりなので,大いに気に掛かる.さらにこのところインターネット接続は,光ケーブルが主流となりつつある.多少大きな容量の画像でも問題なく読み込める.以前は1枚 480×360 ピクセル(pxel)以下に縮小していたが,今は 640×480 以上にアップしているので,なおのこと深刻になった.
 
 
 ホームページ開局は2003年1月1日とした.それにしても "もしも" 父の戦争手記が存在しなければ,このホームページは日の目を見ぬままだったかも知れない.そう考えると改めて父の遺稿に対し,感謝しないではいられない.
 

(2007年 12月記す)


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