四国の山
《 その1 》

【 赤石山系 西赤石山→東赤石山縦走 】
 
2009年9月16日 水曜日 天候:晴
所在地:愛媛県新居浜市〜四国中央市
走行距離(自宅→登山口):148km
(総文字数 約5,000文字)
 
実施行程表
 
▼日浦登山口(7:20) …銅山川の支流足谷川に沿って登山開始
   ↓30分
▼接待館跡(7:50) …立派な赤レンガ塀に囲まれている

 <接待館跡> 
   ↓5分
▼小学校・測候所跡(7:53) …運動場跡は杉が林立

 <小学校跡> 
   ↓2分
▼土木課・劇場跡(7:55) …城壁のような石垣が築かれている

 <劇場跡> 
   ↓10分
▼高橋精錬所・沈殿工場(8:05) …足谷川に石のアーチが架かる
   ↓5分
▼高橋溶鉱炉・ダイヤモンド水(8:10) …平坦な広場.こんこんと地下水が湧き出ている

 <ダイヤモンド水> 
   ↓10分
▼重任局・大山積神社(8:20)…神社跡には崩れかけた石垣が残るのみ
   ↓30分
▼蘭塔場(8:50) …見晴らしがよい墓所

 <蘭塔場> 
   ↓25分
▼歓喜坑・歓東坑(9:05) …別子銅山最初の坑道が歓喜坑

 <歓喜坑>
   ↓15分
▼銅山越・銅山峰(9:20〜9:30) …なだらかな広い尾根.銅山峰(標高1,294m)からの眺め良し

 <縦走路1>


 <縦走路2>
   ↓1時間20分
▼西赤石山(10:50〜11:10) …標高1,626m

 <物住頭(左)・前明石山(右)を望む>
   ↓50分
▼物住頭(12:00) …標高1,634.3m.目前に岩稜の前赤石山

 <前赤石山>
   ↓50分
▼石室越(12:50)…山荘へと続く登山道の笹は,刈り取られている

 <石室越に立つ道標>
   ↓20分
▼赤石山荘(13:10)…白い外壁に赤のトタン屋根
   ↓45分
▼八巻山(13:55) …標高1,698m,赤石山荘を見下ろすようにそびえ立つ険しい岩山

 <岩場の尾根の向こうに東明石山>
   ↓30分
▼東赤石山(14:25〜14:35) …標高1,707m.頂上は狭い岩
   ↓15分
▼縦走路・赤石越分岐(14:50) …山荘から権現越へと至る縦走路と東赤石への分岐点

 <縦走路・赤石越分岐>

   ↓1時間45分
▼瀬場谷分岐(16:35) …尾根沿いの旧道と谷沿いの新道の分岐点
   ↓55分
▼筏津登山口(17:30) …2車線の県道脇にある.銅山川対岸に筏津山荘がある


 

 

 
歩行:9時間10分(写真撮影含む)
休憩:1時間(遺跡見学含む)      計10時間10分
 

 
 早朝4:20に自宅出発.伊予三島から県道6号及び47号を経由して愛媛県新居浜市別子山へ入り,本日の登山口である別子山日浦へはAM 6:55に到着.別子銅山遺跡を控えているせいか,広場・水場・水洗トイレが完備した設備の行き届いた駐車場である.9〜10台ぐらい駐車可能か?『休日を含む観光シーズンには,ちっと狭過ぎるなぁ〜』などと余計な心配をしながらトイレを済まし,水場で顔を洗う.登山準備を急いでいると一台のミニバンが駐車.三脚などの写真器材を用意していることから,遺跡の写真撮影が目的か?「お先に!」と声をかけ7:20登山開始(標高約850m).

 <日浦登山口駐車場>

 
 今回は別子銅山の遺跡群を見学しながら登山するので,赤石山系尾根の銅山越まで通常よりかなり時間を要すると思われる.登山道はよく整備され,谷には鉄製の橋が架けられている.円通寺跡を皮切りに次々と遺跡が出現する.それにしてもこのような山中に接待館を始め,劇場・小学校・病院・精錬所それに鉱夫たちの宿舎・商店街等,ひとつの都市機能を有したものが存在していたなんて,到底信じられない.人工の塀や石垣が無ければ,そこら辺の山と何ら変わりない.銅山が閉山したのは1973年(昭和48年)とあるが,この辺りは元禄時代より採掘していた古い施設なので,大正時代頃から徐々に閉鎖されたようだ.
 
 標高1,210mの別子本鋪(ほんじき)には9:05に到着.“本鋪とは一山の主たる生産坑のことである。”と案内板に書かれている.ここには別子銅山最初の坑道である歓喜坑ともうひとつ,歓東坑がある.どちらの坑も入口は立派に復元されている.ここより15分ほど登れば銅山越である.峠を登り詰めた場所に木製の道標があり,その際に小さな鉄製の道標が立つ.錆びた表示板には「西山を経て笹ヶ峰へ約5時間」「西赤石山を経て東赤石山へ約4時間」とある.ここより銅山峰(標高1,294m)へは歩行2〜3分.9月なのに瀬戸内側から肌寒い風が吹く.【登山口より2時間】

 <銅山越>

 
 石垣に囲まれた無縁仏を供養する峰地蔵の脇を通り抜け,いよいよ縦走開始(9:30).10分ほどで見晴らしの良いポイントに立つ.地図で調べると東山のコル辺りか?銅山越・西山方面を振り返りデジカメに収める.これ以降,快適な縦走路が続きどんどん進む.時折,瀬戸内側からガスがかかり視界が遮られたりする.西赤石山頂上が近づくと岩場が多くなり傾斜も急になる.登り切れば標高1,626mの別子側が開けた山頂に到着(10:50).二等三角点の傍に銅製の標識が立つ.銅山越え方面は,もやがかかって霞んでいる.これから向かう物住頭(ものすみかしら)と前赤石山が,そう遠くない位置に見える.【銅山越より1時間20分】

 <西山・銅山越>


 <西明石山山頂>

 
 20分の休憩の後,山頂を後にする(11:10).それほどアップ・ダウンのきつくない縦走路を進む.物住頭山頂(標高1,634.3m)に12:00到着.それにしても変わった山名だ.暇な時,名前の由来をネットで調べてみようか.【西赤石山より50分】

 <物住頭山頂>

 
 休憩もそこそこに東赤石山目指して出発.目の前に立ちはだかる前赤石山(標高1,677m)は,険しくも見事な岩山である.山頂への登山道もあるようだが,今回は時間が無いのであっさりパス.と言うのは表向きで,実は高所恐怖症なので岩山は大の苦手.足下がすくんで生きた心地がしない.そこで前赤石の南側(別子山側)を巻いている縦走路を進む.ところがどっこい!順風満帆と行かないのが世の常.歩きやすい道かと思ったらこれが大間違い!岩をよじ登ったりずり降りたり,飛び移ったり,バランスをとって乗り越えたりと緊張の連続.そして最大の難関が絶壁の狭い岩場での「カニの横這い」.手足の短い者にとって,これは辛い!それでもなんとか岩場を越え,樹林帯に入り一息つく.ここから約15分の歩行で石室越に至る(12:50).『アァ,今日もしっかり“インディ・ジョーンズ”をやっちまったな・・・』【物住頭より50分】

 <巻き道の岩場>


 <岩場より振り返る,遠方に西赤石>


 <「カニの横這い」箇所>

 
 石室越(標高約1,650m)は八巻山への分岐点でもある.道標には“悪路”と書かれている.これも先程と同様の理由(汗!)によりパス.ここから赤石山荘へと下る登山道は幅も広く,下草も刈り払われよく整備されている.しかしこの頃から足の疲れが出始め,膝も痛くなり出した.無理をせず,マイ・ペースでゆっくりと歩く.キャンプ指定地を通過すると,まもなく赤石山荘(標高約1,550m)の赤い屋根が見える(13:10).【石室越より20分】

 <山荘と八巻山>

 
 山荘北側には赤褐色の八巻山岩峰が,どっしりとした姿で居座っている.かなりの威圧感を感じる.とても四国の山,もとい!日本の山とは思えない光景である.感心して眺めるのも束の間,疲れているが本日最後の山,東赤石山へ出発.さて,山荘前には上がる道と下る道がある.しばし迷ったが,上がる道へと進路を取る.程なく水平の道へと移行すると思っていたが,意に反してどんどん八巻山を目指して直登している.山荘がだんだんと小さく遠のいていく.しかも真下に!どうやら下る道が正解だったようだ.引き返すかどうか迷ったが,ここまで来たのだからついでに八巻山にも登ろうと決意.登りにくい岩場をよじ登り,汗をかきかき八巻山のコル(標高約1,650m)に到着(13:45).瀬戸内側からの風に当たると,一気に汗が引っ込み体が冷える.ここから見上げる岩峰は一段と迫力を増す.果たしてこんな険しい岩場の山頂へ登れるのか?と疑問を投げかけながら登り口を探す.すると北側に登れそうなルートを発見.約10分であえなくステンレス製の祠が鎮座している頂上(標高1,698m)到達(13:55).祠の裏手には避雷針も設置されている.【赤石山荘より45分】

 <八巻山を見上げる>


 <八巻山山頂>

 
 東赤石山は目前に迫ってきた.しかし,その前には切り立った岩尾根が立ちはだかる.意を決し,いざ突入!歩きにくい尾根であるが約20分弱でクリアして赤石越へ.前赤石山の巻き道で得た経験が早速,役だったようだ.赤石越の道標には山頂まで10分とある.急坂を登り切り,東赤石山山頂(標高1,707m)到着(14:25).狭い岩の上が頂上で,瀬戸内側の見晴らしが素晴らしいが,霞がかかって視界はいまひとつ.【八巻山より30分,西赤石山より3時間15分】

 <赤石越>


 <東明石山山頂>

 
 疲れているのでユックリとしたいところだが,もうすぐ3時になろうとしている.下山を急がなければならない.10分の休憩の後,頂上を後にする(14:35).あとは筏津登山口までひたすら下るのみ.ところが悪いことに八巻山へ登ったせいであろうか,下りにかかると膝の痛さが増し,思ったように歩けない.山頂から分岐点(標高約1,600m,山荘から権現越へと至る縦走路と赤石越への分岐点)まで20分.ここで選択しなければならないことがある.何故なら下りのルートは2つあるからだ.尾根沿いの旧道,若しくは谷沿いの新道である.新道はいったん山荘まで引き返さなければならない.そこで旧道を辿ることにした.縦走路よりそれて旧道へ入り込んだが,大きな丸石が露出して極めて歩きにくい.スピードダウンして膝をいたわりながら下る.歩けども歩けども同じような樹林の中の山道が延々と続く.迷って同じ所をクルクル廻る“リングワンデリング”状態のような錯覚にとらわれ,とてつもなく深い山中をさまよっている感じがする.そろそろこの辺りで今夜の宿である「筏津山荘」に,チェックインが遅れることを連絡しておかなければならない.運良く電波が通じたので,到着は5時過ぎになるであろうことを告げておく.電話したことで気持ちがやや落ち着いてきた.しばらく歩くと,再び尾根沿いの旧道と谷沿いの新道が合流する瀬場谷分岐(標高約950m)にやっと辿り着いた(16:35).【東赤石山より2時間】
 
 休む間もなく瀬場谷に架かる丸太橋を渡って先を急ぐ.やがて谷間から滝の音が聞こえてきた.八間滝というかなり落差の大きな滝で,樹間越しにかろうじて望める.滝への遊歩道もあるが,今はそんな時間の余裕はない.うっそうとした杉林の中の道は,すでに足下が薄暗くなりかけている.膝が痛いのを辛抱して黙々と歩き続けていると,突然視界がパッと開け,目の先に白いガードレールが飛び込んできた.どうやら林道の終点のようだ.登山道は再び木立の中へ向かい下り始める.約5分ほどで最終目的地,筏津登山口(標高約700m)にゴールイン(17:30).そこには何と!筏津山荘の支配人が,心配したのか車で迎えに来てくれていた.【瀬場谷分岐より55分,東赤石山より2時間55分】
 
 事前調査によると筏津登山口から日浦登山口までの距離は約5kmの登り坂.車ならほんの10分足らずだが,歩くとなると早足でも1時間以上はかかるし,車道歩きはイヤなものだ.ましてや荷物を担ぎ,しかも登山後の疲れた足では行き着くことさえおぼつかない.乗合バスは別子山地域バスがあるが,1日2往復(時期により3往復)しか無く,時間は極めて限定される.利用するのはまずもって不可能.一方,タクシーは別子山には無く,驚いたことに伊予三島からはるばる呼ばなければならない.そこで宿泊の予約時に筏津登山口から日浦登山口までの“トランスポート”を,無謀にも強引にお願いしておいた.平日なので他に宿泊者が居なかったことも幸いした(本日の宿泊者は私ひとりのみ).そんな訳でその車で日浦登山口まで送ってもらった.心より厚くお礼を申し上げる次第.なお,二人以上のグループなら軽トラを貸し出してくれるそうだ.
 今回は10時間余りを要する長丁場の登山行であったにも拘わらず,途中誰一人として登山者に遭遇しなかった.明日の行動予定は,出発前から高知県の大座礼山登山と決めていた.が,足が痛いのでどうするか下山中からずっと迷っていた.疲れていたし今朝は早起きしたので9時に就寝.今日のこと明日のことを考えていたら,いつの間にか深い眠りについていた.
 

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